春先の冷たい風
「お世話になりました」
「いーえ。切りすぎてしまって……ホントごめんなさい」
髪の毛を切り過ぎてしまったことをよっぽど気に病んでいるのか、美容師さんは店の外まで出てきてくれた。右手で首元をさすりながら「こんなはずじゃなかったんだけどなあ……おかしいなあ…」と呟いている。
「いえ、その、さっぱりしましたし」
そう言って頭を下げて、私は階段を降りはじめた。すると後ろから
「またお会いしたらっ、その時はっ」
と言う声が追いかけてきた。
「はいっ。さよならっ」
振り返って、もう一度頭を下げる。辺りが暗い中、彼の姿だけがやけにはっきりと見えていた。
「うわ、もうこんな時間」
腕時計を見ると、もう5時を回っていた。ということは、私はあの店に2時間もいたということだ。
「髪切るのってこんなに時間かかったっけ」
あたりに誰もいないことをいいことに、私はぶつぶつと独り言をこぼし始めた。
手を首の後ろにまわし、うなじ付近の髪の毛を指で触ってみる。
「それにしても、短いなあ。こんなの小学生以来だよ」
今までは自分の毛で隠れていた所に風があたる。春といっても、日の沈んだ後の風は冷たい。それにつられてか、自分の心にも少し冷たい感情が雫のように落ちてきた。
「本当は、長いほうが好きなんだけどなあ……」
自分で短くすると決めておきながら、やはりちょっとの後悔が残る。我ながらめんどくさい性格だと思う。
「だけど…」
心の中に落ちてきた冷たい雫を温めるように、私はぎゅっとこぶしを握った。
「この髪が伸びたたころ、『伸びたね』って笑いかけてくれるような、素敵な友達ができたらいいなあ……なんて」
「いいな」じゃない。できるように頑張るのだ。
「おっしゃ、頑張るぞ自分」
そう言って握りしめたこぶしを小さく上にあげたとき、後ろからかすかな衣擦れのような音がした。
誰もいないと思って一人で盛り上がっていた私は、慌てて後ろを確認する。さっき曲がって来た曲がり角、電柱の横に、フードを被った人が立っていた。
(全然気づかなかった……。やだ、私完全におかしな人じゃん)
恥ずかしくて、いたたまれなくて、私は足を前に出す。
コツン、コツン、コツン……
足音が追いかけてくる。
5分ほど歩いても、後ろの足音は消えない。あの人も、私と同じ住宅街に住んでいるのだろう。そう思ったが、背後の薄気味悪さを払いきれず、私は歩調を速めた。
しかし、遅れることも追い抜かすこともなく、ただしっかりと一定の距離で追いかけてくる。加えて、トンネルでもないのにその靴音は良く響く。
(も、もしかしたら、不審者……いや、この世のものではないのかも…!)
私の思い過ごしならいいのだけど、もしそのどちらかだったら、家に連れて帰るわけにはいかない。
私は覚悟を決めて、顔を後ろに向けた。
「……ん、うわっ!!」
私の目の前に、男の人が、立っていた。
(いぃ、いつの間にかこんな近くにっ! 全然気づかなかった)
道の隅にぽつぽつとある街灯に照らされて、その人はまるで影のようだった。服装も、パーカーのフードを被っているのだと思っていたのだが、どうやらちがうらしい。絵本や映画でしか見たことない、魔法使いのような黒いローブを身にまとっている。
(こ、これは、不審者だ)
通報するために相手の顔を覚えなくては。そう思い目線を上に持っていく。
「……!」
今まで、テレビでしか見たことないような……いや、それ以上にきれいな、よく整った顔が、フードの下に隠れていた。
そして何よりも目を惹いたのが、2つの眼窩に収まっている、瞳だった。
明け方の向こうの空に浮かんでいる紫を、ガラス球に閉じ込めたみたいな、見たことのない素敵な瞳だった。
(紫の瞳って、珍しいんだよね……たしか)
あまりの衝撃に顔を覚えることも忘れ、どうでもいいことを頭の中に浮かばせる。いや、こんなきれいな顔、一瞬で脳に焼き付いた……。
「この邪気……やはりか…!」
形の良い唇が動いた。その瞬間、きれいな瞳に恐ろしい殺気が浮かぶ。
危ないと思ったが体が動かなかった。
ローブの下から手がにゅっと伸びて、私の頭をその手のひらで覆う。そしてリンゴを潰すような勢いで、ギリギリと力を込めはじめた。
「いぃ、いたっ、痛い痛い痛いっ!!」
抵抗しようと彼の手首を掴むが、力が入らない。あまりの痛さに涙がにじむのが分かった。
「痛い、か……。言葉が分かる……効果はあるようだ」
そう意味の分からないことを言って、彼は力を緩めてくれた。その隙に彼から離れようと、私は頭を引っ込める。
「だめだ、逃がさない!」
しかし彼は素早く反応し、また私は頭をわしづかみにされた。
そして私の顔を覗き込み
「おい、男! 貴様、あのハサミをどこへやったっ!」
と、きれいな顔を怒りに染めながら怒鳴った。
「え、は、ハサミ……?」
彼のあまりの剣幕に、私の声は殆ど音にならなかった。
(ん、まって、今、男って?)
「何か言ったらどうだ! 男!」
………。
(男?! わ、私、女なんだけどーっ!!)
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やっと異世界行きの切符を手に入れたってカンジですね。さて次は電車に乗らなきゃなりません。
おかしいなあ、予定だともう着いてる頃なんだけど……
読んでくださり、ありがとうございます!
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