背
私がその暴漢に襲われたのは、もうかれこれ数十年も前のことになるのでしょうか。
当時、私はまだ年端も行かない子供でございました。
暴漢は、公園の砂場で一人遊ぶ私の気づかぬうちに、背後から忍び寄りました。
そして突然私の首を締め、そのまま高く持ち上げたのでございます。
私は一体自分の身に何が起こっているのか、全くわかりませんでした。
突然に高くなった視点に、ただ混乱していたのでございます。
そして状況を把握した時には、すでに苦しさで意識を半分手放しかけておりました。
私は「うぅ」とかすかな呻き声を上げ、残った意識で必死に腕を振り解こうといたしました。
しかし所詮は子供の力。その腕から逃れることなどは当然叶わず、ただいたずらに体力を失うばかりでございました。
その時になってようやく、私は恐怖しました。
死。それが唐突に目の前に現れたのです。
それは生まれて初めての、とてつもない恐怖でした。
真っ黒で、どうしようもなく恐ろしい、死というものが、じっと私を見ている。
それは今思い出しても身の毛もよだつ、恐ろしい時間でした。
私は藻掻きました。なんとかこの両手から逃れられないかと、必死に手足をばたつかせました。
万に一つの可能性を切り開けぬものかと、残る意識の全てを費やしました。
しかしがっしりと締め上げらる男の両手は、鉄のようにびくともしませんでした。
ああ、これが子供という生き物の非力さ。
ああ、これは、もう――
と、私がほとんど意識を失いかけたその時でございました。
暴漢は何を思ったか、首を締めつける腕の力を急に緩めたのでございます。
私はずり落ちるようにして地面に落とされました。
朦朧とする意識の中、微かに見えた男の顔。
その顔には、それまでにどこでも見たことのないような、ひどく複雑な表情が刻まれておりました。
今になって思えば、あれは恐らく「絶望」だったのだろうと思います。
男が一体何に絶望していたのか。それは分かりません。
絶望が男をこのような行動に仕向けたのか、はたまた行動の結果として、男の顔にそれが刻まれたのか。それを知ることは叶いません。
いずれにしても、男はそんな複雑なものを表情に刻んだまま、不確かな足取りで私の元から去りました。
前触れもなく突然に訪れ、そして突然に去った死。
私は震えながら、足音が遠く消えるのをじっと待ちました。
足音はひたひたと遠ざかり、やがて小さくなって消えました。
私はゆっくりと身体を起こし、どこかほっとしたような、でも底知れず恐ろしいような、そんな気持ちを抱えたまま、しばらく呆然としておりました。
それからというもの、私の胸の内には、暗澹とした不条理な恐怖が、しかと根を下ろしました。
しばらくはどうにも外へ出るのが恐ろしく、家の中で飼い犬のタロとばかり遊んでおりました。
暴漢に襲われたなどという事は、誰にも告げる事ができずにおりましたので、急に外に出なくなった娘を、母はたいそう心配していたようでございます。
あの暴漢に襲われて以来、私には一つ大きな変化が起こっておりました。
私の背後に立つ人間というものに対してのただならぬ恐怖を、消すことができなくなっていたのです。
何者かが私の後ろにいる。たったそれだけのことで、心は粟立ち、叫び出したいような恐怖を感じるのです。
いわゆる心的外傷というものなのでございましょう。
たとえば学校で、列になって並ぶ時、後ろにいるのが私のよく知る友人であったとしても、胸がざわざわと落ち着きません。
後ろにいるのが知らない誰かであるときは、もうどうしようもなく心臓が早鐘を打ち、逃げ出したい心地になります。
唯一、壁を背にしている時だけが、心休まるときでございました。
だから、なのでしょうか。私はいつも背後を気にしてばかりおりました。
普通の人が前と後ろで9:1の注意を向けているとすれば、私は4:6で背後に大きな注意を払っておりました。
そのため前方不注意で人にぶつかったり、障害物にぶつかったりすることも多くございました。
それでもやはり背後という場所にはどうしても恐怖が拭い去れず、背後に意識を向けることを止める事ができなかったのでございます。
そうして私は大人になり、背後に経つ人間への恐怖は、幾分かは和らぎました。
いえ、和らいだ、というのは正しくないのかもしれません。
私は相変わらず背後を気にしてばかりおりましたし、恐怖も変わらずそこにございました。
ただ何というか――恐怖に慣れ、恐怖との付き合い方を覚え、恐怖が日常の中に溶け込ませることに、どうにか成功してはいたのです。
そんなある日のことでございました。
私は気づきました。私の臀部、割れ目の上のあたりに、何かが生えているのを。
それは、しっぽのようなものでございました。しかし、しっぽにしては妙な形でございます。
一本まっすぐ伸びた部分に、根本には袋のようなものがあり、その袋には2つの玉のようなものが入ってございました。
それが小さな男性器である、ということに気づくには、猶半年という時間がかかりました。
なにせ私は暴漢に襲われてからというもの、男性というものに対しても少なからぬ恐怖を感じておりましたので、男性というものをよく知らなかったのです。男性器などというものをまじまじと見た事もなく、せいぜい保健体育の授業で断面図のようなものを見た、その程度の知識しか持ち合わせていなかったのでございます。
まったく不思議なことでございました。
女性である私に、男性器。
しかも、それは通常あるべき体の前面にではなく、尻尾のように背面にあるのです。
これは何かの病気なのだろうかと、医学の書を読み漁りましたが、当然このような事例は過去に例がございません。
医師に相談しようかとも考えましたが、事があまりにも荒唐無稽すぎて、どう説明したらいいのかと思案に暮れてしまいます。それに診察という場であるとしても、医師に背を見せることはなんとも恐ろしいことでもあり、それを想像しただけで尻込みしてしまいます。
かくして私は誰にも何も言えないまま、背に男性器をぶら下げて時を過ごすこととなりました。
それは何とも不安と不思議につつまれた時間でございました。
でも――不思議な話なのですが、私は同時に胸の内で、どこか納得しているところもあったのです。
ああ、これはきっと、私が後ろばかりを気にしていたから。だから起こったことなのだろう、と。
そしてそれからまた暫くの時間が過ぎ。
背に男性器がある、ということを日常として受け入れ始めた頃でございました。
私はふっと考えておりました。
男性器が存在しているのならば、それは「前」なのではないだろうか、と。
なるほど私にとって、男性器の生えているのは「背」です。
しかし、一般的な男性にとってみれば、男性器の存在するのは前面です。
ならば、あの男性器の生えている方向は「前」なのではないか。
何ともおかしな考えなのですが、それがいやに腑に落ちてまいります。
そんな考えが腑に落ちるなど、と不思議に思われる方も多いかと思います。
ですが、私にとってはそれはとても納得のいく考えだったのでございます。
なぜなら、ちょうどその頃、男性器以外にも、私の体には不思議な事が起こっていたからです。
たとえば、私の背中、肩甲骨の下辺りに、左右に一個ずつイボのようなものができており、それがまるで乳首のようであったこと。
たとえば、首が妙に後ろに回るようになってきていて、真後ろを向くこともできるようになっていたこと。
たとえば、肩関節が普通では考えられれないほど後ろにスムーズに回すことができるようになっていたこと。
つまり――私の背に、男性器以外にも、人の体の前面にあるような特徴が増えていたのでございます。
もしかして――私の体は、後ろを前にしようとしているのでしょうか。
私がずっと、人の何倍も後ろを気にし、後ろを見ようとばかりするものだから。だから、私の体は、後ろを前にしようとしているのではないでしょうか。
そう考えれば、どこか納得の行く心持ちがいたしました。
でも、これまで前にあったものがなくなったりするわけではないようでした。
私の乳房は乳房として前にあり、女性器は女性器として前にあるのでございます。
私の体は、前面は以前のまま、背面が少しずつ男性になっていこうとしているようでございました。
そうしたら、「前」が2つ……
いや――そうか。
そうなのですね。
その時、私は気づいたのです。
私の体は、どちらも前になろうとしている。
前は、前のまま。
後ろが、前になることによって。
ああ、そうか。
ああ、これで。
これで、私は後ろを気にしなくていいのだな。
私は、なんとも穏やかな心地で、お腹の底から大きくひとつ、息を吐き出したのでございます。
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