箱
箱は、そこにあった。
全く唐突に。
小さな箱だった。
茶色い、段ボールの、模様も何もない、味気ない、ただ立方体なだけの箱。
その箱は白いテーブルの上に、まるで何かの汚点のように、ぽつりと置かれていた。
なぜそこに、箱があるのか。
それが私にはさっぱりわからなかった。
私はこの箱を知らない。見覚えもない。
この箱をそこに置いてはいないし、触れてもいない。
そしてこの家には私以外誰もいない。
ここのところしばらく、ここに訪れた人もいない。
ならばこの箱はどこからきて、なぜそこにあるのだ。
まるで何かの魔法のようだ。私はそう思った。
だが…じゃあその魔法をかけたのは誰だ?
一通り考えてみたが、やはりそれは見覚えのない箱で、そこにある理由のわからない箱でしかなかった。
しかしこの箱は何なのだろう。
それが「箱」である、ということが私の興味を引いた。
箱とは容器だ。容器であるならば、その中には必ず「中身」がある。
この箱にもきっと何か「中身」があるはずだ。
だが何だ?
大きさとしては、鶏卵が一個入る程度だ。
腕時計だとか、そんな小物くらいなら入るだろうか。
触れてはみたいが何となく触れるのはためらわれる。
現代においては、思わぬところにある思わぬものには、誰かの悪意が込められていると考えるのが自衛のためには正しい。もちろんそうではない可能性もある。でも、そこに悪意がある可能性がある以上、それは避けておくべきだ。
もちろん逆の可能性だってある。何かの好意的なプレゼント。そんなとらえ方だってできなくはない。サプライズというのは、贈り物の一つの上手いやり方だ。
だが、人間とは自分の利益のために動くものだ。
私の利益になるようなことをする他人と、私の不利益によって利益を得ようとする人間。どちらが多いかといえば、自ずと後者になる。
だから、これを誰かの好意と受け取るのは、確率論的に愚かだというしかない。
じゃあ、やはり悪意と仮定する。
では、どんな悪意だ?
それもいまいちピンとこない。まあ、他人の悪意なんていうものは、向けられる本人には到底想像のつかないところで育っているものだ。カオス理論じゃないが、例えば私が言った些細な一言が、誰かの人生に修復不能なほどの大きな悪影響を及ぼすことだってある。それが私に向かう悪意に転化したとして、何の不思議もない。
だが、そんな強い悪意の臭いがするだろうか。この箱から。
箱は、相変わらずただそこにある。何も表現しない。ただじっと箱であるだけだ。
悪意も、善意も、いや、人の意思というものの痕跡自体、どこにも見て取れない。
しかし見た目がそうだからといって安心できるわけでもない。
悪意は大抵何のこともない、平常な装いで近づいてくるものだ。
いやでもこれは単なる箱なのだ。小さな箱なのだ。たとえこれが悪意であったとして、こんな箱に詰め込める悪意など、たかが知れている。
しかしこれが例えばプラスチック爆弾だとか、そんな強い悪意だったら。
触れた瞬間に、私の人生そのものが終わってしまうとしたら。
いやそんなはずはない。
私はそんな悪意を集めるような行いはしていない。
いやだが愉快犯というような、無差別の悪意だってある。
私に理由がなくても、悪意の側にさえ何か理由さえあれば悪意は最悪の形で具現化する。
考えれば考えるほど、分からなくなっていく。
そこに込められたものは悪意なのか、善意なのか、はたまたそれ以外の何かなのか。
どうすればいい。
私はどうしたらいい。
私はどうしようもなく混乱していた。
こんな、こんなたかだか数センチの箱のために、こんなにも混乱をきたすなんて。
何て無様な精神だ。
こんな、こんな小さな、こんなありふれた箱のために。
私は意を決してその箱を開けた。
もう、そこに何があろうがどうでもよかった。
むしろ、大きな悪意で私など貫き殺されてしまえばいい――
箱を開けると、その中には、中しかなかった。
箱は、箱だったのだ。
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