紐
彼は、一本のヒモで繋がれていました。
街の中心にある、一本の柱に。
柱と彼を結ぶヒモの長さは約500メートル。
彼はそのヒモの許す限りの範囲で行動し、生活していました。
そのヒモを切ろうと思えば、切る事だってできました。
でも、できません。なぜなら、このヒモが切れたとき、彼は死ぬ、という予言があったからです。
でも彼には不満はありませんでした。
そのヒモの許す範囲には、家も市場も遊技場も学校も病院も、必要なものは全てありましたし、友人も両親も皆いたからです。
街の人々も優しく、困った時には助けてくれましたし、ヒモを見かけたときには皆踏んだり引っ掛けたりして切ってしまわないよう、普段から気をつけていてくれました。
彼はそんな街の皆を愛していましたし、街の皆も彼を愛していました。
ところがある日のことです。
老女が誤ってそのヒモを切ってしまいました。
それは些細な事故でした。誰も彼女を責める事はできません。
ある者がそのことを彼に伝えました。すると彼は、
「それは仕方のないことです。まあ必ずしも予言が当たるとも限らない。せっかく与えられた自由です。楽しませてもらいますよ」
そう言って、自分の身体に結ばれているヒモをはずしました。
もうこれからは、彼を制限するものはありません。
3キロ離れた隣町まで行こうが何をしようが、自由です。
彼は早速、この街の、今までに見たことのない場所に向かいました。
もちろん、予言の事は気になっていました。ですが、それよりも今まで話にしか聞いたことのない場所を実際に見てみたいという好奇心の方がずっと強かったのです。
彼は日が暮れるまで街や街の外を見てまわりました。行く先々で、彼は驚きの目に囲まれました。何故ならそこは彼がくるはずのない場所でしたから。彼はそのつどヒモが切られたことを説明し、予言のことで不安げな顔を向けられました。
それから数日がたったある日のことでした。
彼は街の一角で、街の人が話しているのを、ふと耳にしました。
「ヒモ、切れたんだってな」
「ああ。これでやっと気楽に街を歩けるよ」
「そうだな。自分のせいでヒモが切れて、あいつが死んだとかいうことになったら…って思って、街の中心部歩くときはかなり注意しなきゃならなかったからなぁ。っていうか、街の中心部なんて、よっぽどの用でもなきゃ行かないようにしてたもんな、俺」
「パン屋のオヤジも、これで客足が戻るって喜んでたぜ」
「ああそうか。ヒモのせいで客足が遠のいたってよくボヤいてたもんなぁ」
その話を聞いて、彼は大変悩みました。
あの優しくしてくれたパン屋のおじさんが、そんなことを言っていたなんて。
あの優しさは、あの街の人々の優しさは、僕がヒモに繋がれていたから、だからこその優しさだったのだろうか。
ヒモがなかったら、誰もあんなに優しくはなかったのだろうか。
あの優しさは、僕がヒモに繋がれていて、しかもそのヒモが切れたら死ぬから、だからあんなにも優しかったんだろうか。
彼は悩みました。何日も何日も悩みました。
そしてそれから数日後のある夕方、彼は今まで自分が繋がれていたヒモで首を吊って、死んでしまいました。
ヒモが切れたら死ぬ。だからあんなにも皆が優しくしてくれたのならば、ヒモが切れた今、彼は死ななくてはならなかったのです。
皆の優しさに報いるために。
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