第四話 クロムグリーン

 学校に着いてから大と別れて自分のクラスの教室に入ると、予想通り人は少なかった。基本的に朝から自分に必要な補修を受けたり、校内の別の場所で勉強していたりするからだ。窓際の自分の席に座り何をしようか思案していると、教室の引き戸が開いた。入ってきたのは銀縁の眼鏡が似合う男。名前は武蔵野真人、このクラスではいつも黒板を消したり花を飾ったりということを積極的に行っている。俺達のクラスに学級委員という概念はないけれど、クラスの人が勝手に「委員長」と呼んでいる。俺と彼は二年の時から同じクラスだからその時から「ムサシ」というほうが馴染んでいるけれど。襟のついたシャツにジーンズというシンプルな服装だけれど、シャツのラインが小洒落ているせいか地味という印象

はない。彼は俺に気づくと、まっすぐに向かってくる。流石に座って待つのも偉そうだしと立ち上がってこちらも歩み寄る。


「三隈、朝からいるなんて珍しいな」


「うん、俺もそう思うよ」


笑顔で返すと、ムサシは眉根を寄せた。気に触ったのかとどきりとしたけれど、返ってきた言葉は


「あまり顔色がよくないようだが寝不足か?」


なんていう心配の言葉だった。彼への評価を見誤っていたようだ、上方修正しておこう。


「昨日あまり眠れなかったからかな」


「仕事、忙しいのか」


「ううん、そうじゃないんだけどね」


俺の返事にそうか、と短く答えるムサシ。銀縁の眼鏡を中指で押し上げてから言葉を続けた。


「三隈がいたら卒業アルバムの写真を選ばせて持ってくるよう言われていたんだ。俺は今から先生に質問があるから、選んで貰えたら一緒に持っていくが」


彼は手に持っていた鞄に手を突っ込んで軽く漁り、クラフト紙の封筒を差し出してくる。受け取って中を確認すると、番号のふった写真が五枚。どれも俺の顔写真で、顔の表情筋がすべて凝り固まったかのような暗い顔にこちらの心まで落ち込んでくる。一枚適当に選んで裏に付箋を貼り、すべて直して封筒を返す。


「ごめん、何かパシってるみたいな感じになっちゃって」


「お互い様だ」


特に言葉を挟むわけでもないのに、俺はムサシとの距離感は好きだ。大とはまた違うタイプで、適当な距離をおいてくれている。

 それでも心配してくれているのはわかる。友情というには少しドライ過ぎるかもしれないけれど、でもきっと俺と彼は友達なんだと思う。





 ムサシが教室を出てから自分に宛がわれた机にある椅子を引いて座り、少しだけ眠ると気分も落ち着いてきた。数ヵ月前の何のやる気も感じられない自分の顔には少し驚いたが、あのときの記憶はそんなにない。あの時の事を必要以上に思い出したくない。

 そのうちに登校してきた生徒でクラスが騒々しくなってきて、俺も顔をあげると総じてクラスメイト達は珍しいと声をかけてくる。適当に相槌を打ってから、ホームルームを受けてから希望している授業を受けに教室を移動する。今日は生物に数学、どちらも得意な科目だ。マットカラーの緑に白いチョークで板書されていくのを適当にノートに写しながら先生の話を聞き流す。前回配られたホッチキスで止められたプリントの束を取り出し、板書用とは別のノートに問題を解いていく。作業のようなものだけれど、数学は嫌いじゃない。ちゃんと正しい公式を使って解いていけば必ず答えは出る。自分の作業が正しかったという事を証明されるような気がして達成感がある。集中しているとあっという間に一時間なんて過ぎていってしまう。ノートの見開き三ページが埋まってしまうとチャイムが教室内に響き渡る。一時間集中しているだけで軽い疲労感はあるものの、別に気になるほどではない。荷物をまとめていると、数学の先生から声をかけられ手招きをされた。その先生は確か進路を担当している。何かは見当はついていたので大人しく近寄ることにする。


「三隈、大学の推薦は問題ないようだ。書類の準備はできたから後は保護者の方からサインをして貰いなさい」


後で職員室に取りに来るように、と言い残して先生は出て行ってしまった。大学は別に心配はしていない。自慢ではないが勉強とアイドルとしての活動は両立できていると思うし、成績が極端に落ちたこともない。恐らくこの間の中間考査の結果次第だと思ってはいたが、どうやら高校の基準は満たしていたようだ。

 無意識に息を吐きだしたところで、スマートフォンの画面が光る。電話が来たという証ではあるそれを見て、一瞬頭がフリーズする。脳味噌が芯から少しずつ冷えていくのを感じる。頭が真っ白になって、電話を取ることに恐怖すら感じてしまう。気付きませんでしたと言えばそこまでなのに震える手は端末に手を伸ばしてしまう。呼吸が荒くなっていくのを感じながら光る画面を確認する。

 番号を登録しているからその連絡先がどこであるかはわかる。


 事務所からの電話だった。




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