第三話 マホガニー
その瞳は柔らかな茶色をしている。そしてそれは男のものであるにもかかわらず大きくて丸い。目は俺を見ると一瞬丸くなった。けれどそれと同じタイミングで電車の扉が大きく開き、後ろから人が出ていこうとする力で俺もされるままに電車から降りる。流れるままに改札口まで階段を降り、定期券を改札に通してようやく人の流れから這い出ることが出来た。むせ返る空気から解放されて一息ついていると、後ろから軽快な足音が近づいてくる。
「
焦げ茶の緩い癖のかかった髪に丸い目。俺よりも背の低い少年といってもおかしくない同級生が駆け寄ってきた。広瀬
「おはよう、大」
「今日早いね。どうしたの?」
彼の隣に並んで朝の町を歩く。大は気さくに話しかけてくる。ふわふわと歩く度に揺れる髪の合間で、笑い皺がより深くなっている。駅を出た時にはあれだけ人が多かったのに、歩いて高校へ向かっていると歩道を行きかう人の数も少なくなってきていた。部屋を出た時に感じたぬるめの風がまた吹いている。少しだけ心地いい。
「えっと、なんとなく」
咄嗟に聞かれ、気の利いた言葉が出来なかった。一応俺も受験生の年齢なのに、あまりにも「なんとなく」という返事は酷いのではと思ってしまう。
俺と大が通っている高校は同じ。俺達の高校は二年生が修了する時点で高校の教育課程を全て終わらせてしまう。そうして三年生になると志望校の勉強に集中するというカリキュラムが組まれている。学校に行く必要はあるけれど、ある程度の自由度がある。俺は大学の進学はほとんど決まっているけれど、大は大学受験が控えている。きっと彼は朝から学校で勉強しようとしていたんだろう、毎朝そうしているように。 いつも通りに屈託のない笑みを浮かべている大を見ていると、特に理由もなく早朝から学校に行こうとしていることに少しだけ罪悪感を抱いてしまう。気が向いたら寝ようとか少しだけ思っていたし、それも相まって申し訳ない気持ちになる。
「あ、そうだ。コンビニ寄ってもいい?学校に行くだけでお腹すいちゃうんだよね」
「いいよ」
やった、と言う大を横目で見ながらサングラスを外してマスクをポケットから取り出す。この辺りで三葉天城さんですかと声をかけられたことはないけれど、用心するに越したことはない。施設内でサングラスは逆に目立つからマスクの方がいいことは経験から知っている。
大とは高校三年間同じクラスだったけれど、こうして話すようになったのは二年生に進級したくらいだ。初めての席替えで席が隣になってから何となく話すようになり、一緒にいる時間が長くなった。今は俺が唯一親友と言い切れる立場にある人だと思っている。変な話、それを大に否定されたら相当落ち込むだろうと思う。
俺達はいつも通りいつも行くコンビニに入る。ここは俺達が高校に入学した時からあって、有名店のチェーン店だ。平日の夕方や土曜の昼時になるとこの店内も修羅場に変わる。この時間だと、朝から若干足元のおぼつかない老いた男性店員が品出しをしている。商品を並べる手つきこそ怪しいものの、お昼時に彼のレジ裁きを見ると別人格でもあるのではないかと思うくらいに素早いから人間は見た目で判断してはいけないと思い知らされる。他にも客は数人、時々駅で見かける紺のスーツを着た男性もいる。
新商品を物色する大を遠くから眺めていると、何か口にいれておいた方がいいかもしれないという気分にはなる。それでもどうしても胃袋はまだいいと言ってくるので適当に神パックの野菜ジュースを棚から手に取る。レジを確認すると、暇そうに煙草の包装紙を破って在庫に足している店員は馴染みの人ではない。ここの店員は何となく俺の正体には気づいているようだが話しかけられたことはない。そのささやかな気遣いは嬉しいのだが、それが知らない店員にも浸透している暗黙の了解かは定かではない。嘆息して小銭入れを取り出し、ジュースの値段より多目の硬貨を取り出して大の肩を叩く。今日は代わりに買って貰おう。彼も察してくれたようでジュースと硬貨を手にとって
「お駄賃サンキュー」
と言いながら片目をつぶって見せ、レジに自分の買い物と一緒に持って行く。
俺と本当の友達になってくれる人はそういない。大概が有名人と友達なんだぜって自慢したい人が多い、それはテレビに出るような人間の宿命だ。俺の友達、テレビに出てるあいつなんだよって言って自分もえらいような気分になる人。そういう人間は好きではないけれど、俺の場合は話すのが苦手だから人が寄ってくることは知っているアイドル達に比べれば少ない。友達どころか「三葉天城って結構根暗だ」と電話の話題にされてしまう方が多いくらい。
その点、大とは学校の話や趣味の話以外はしないというのは他の友人とは違うところだ。それがとても心地よくて、気兼ねなく一緒にいられる理由でもある。
けれど、最近一言だけ言われた。
「そんなに酷い顔してるんだから、アイドル休んだら?」
宿題やった?と聞くような気軽さで、彼はそう言った。とても驚いたし、俺は家に帰って何度も自分の顔を見てみた。けれど、自分で見ても全く変には思わなかった。彼がどうしてそんなことを言ったのかは理解できない。
わからないけれど、会計をすましてビニール袋を見せて笑う彼が決して冗談でそんなことを言わないのを俺は知っている。
「ごめん雨城、待った?」
「大丈夫、平気だよ」
そっか。ジュース、渡しとくね。
自動ドアをくぐりながらビニール袋を漁る大を見ながら、やっぱり俺はあの時の言葉の意味を考えていた。
内側から頭が締め付けられるように痛い。それでも答えは出せなかった。痛みを大との会話で紛らせながら、校門への歩みを進めて行くことにした。
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