蛙と山鳩

 「さあ、もう泣くんじゃないよ。 ええと、あんた……」

 「わたし、ハツです」

 「ハツね、ハツ。さ、“くさべのつゆさん”めようか」

 さきほどの、変わったうたを一節ひとふしやると、かえるは待ちきれないふうにのどをころころやりました。

 「あのう、それですけど、」

 ハツが赤い目をこすりこすり、聞こうとしたときです。頭のうえから、なにかふたつの羽ばたきがおりてきました。

 それは、さきほど木小屋きごやのまえで飛びさった山鳩やまばとが、つがいで様子を見にきたのでした。

 「ででっぽう。めずらしい。こんな子どもがいるなんて」

 「蛙さんや。じじばばとの子じゃあるまいな。で、でっぽう」

 黒い目をくりくりさせて、くちばしをせあって、山鳩は遠慮えんりょなく聞きました。

 「ああ、うるさいのがきたねえ」

 蛙はハツの足のうえで、ちょっと面倒めんどうそうに答えます。

 「この子は人間だよ、迷子だよ。女精めがみさんに帰してもらうんだよ」

 山鳩に、迷子に、女精さんに。聞きたいことはたくさんありましたけれども、山の生きものに囲まれて、ハツはただ顔を右にやったり左にやったりしながら聞いていました。

 「そうしたら、つぎの日の出を待たなくちゃ。で、でっぽう」

 「人の子だって。鉄砲てっぽううつなや、ででっぽう。持っちゃいないか、ででっぽう」

 「ああ、やかましい。わたしらは今から露さん探すんだから、もう行っちゃくれないか」

 ぴょっとねた蛙が草むらへいなくなると、二羽の鳩も、すぐ頭もとの枝へとはなれていきました。けれども、まるい目はきょうぶかそうに、ハツを見ています。

 ハツは、間抜まぬけた鳴き声がまた降ってくるのを聞きながら、草むらに体をつっこみました。


 春のかげが落ちる緑のなかでは、ひとつぶの蛙を見分けることはできませんでした。けれども、やわらかくれている、見覚えのある草花が、ハツを明るく包みました。

 「ああ、ツヅミグサがある。こィはニンドウ。こィは……」

 「あらあら、ただ小さいばかりと思っていたら、よく知っているんだねえ」

 手を伸ばした葉のうえに、ちょうど蛙が休んでいましたので、ハツは笑ってしまいそうになりました。

 「へ。みんな山んことは、ばっちゃんが、うたって教えてくれなったです」

 「そうなの。それで入ってこられたのかしら。山を知るということは、自分も山になるのとているものねえ」

 なんだかむずしいことを言われたようで、ハツは胸のあたりがむずむずしました。

 「あのう、さっきの、山鳩の」

 「あんなのは気にしなくっていいんだよ。悪い鳥じゃないんだから」

 言いながら蛙は、草に浮いた露を舐めとっています。桃いろの舌が、ちろちろ甘そうに出たり入ったりしました。

 「ここの露は美味おいしいんだよ。きちんと飲んでいくといいよ」

 はあ、とハツは返事をして、ハルヨモギのひかる露にくちをつけました。すぐに溶けてしまうような、ちいさなちいさな粒でしたけれど、それはハツの喉にしみてらしてくれました。

 「それであの、おにおには、どがんひとでしょう」

 露を舐めながら、ハツは聞きました。

 「あれは人じゃあないよ。もともとは山のもの、木精こだまなんだよ。いまはあんなふうだけど」

 「じゃ、ここはどがん……」

 「しっ。むかえが来たね。ごめんね、もっと教えてやりたいけどさ」

 もうれたふうに、蛙の手足はハツのふところまで一直線に動きました。

 「ハツ。きっと帰れるからね。だからすこうし、辛抱しんぼうするんだよ」

 いつの間にかしずかになった山鳩が、草むらに動くかげをじっと見ていました。

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