稲の切り房の話(一)

去る師走のできごと

 「なあ今朝は早いんじゃないのかい」

 声をかけてきたのは田んぼでした。まだ日が出る前の、散歩の道でした。

 「ええ、たまには明け方を歩くのも、いいかと思いまして」

 「そうだろう。こうしてだれもいなけりゃ話しかけることもできる」


 ちゃんとしたことを言えば、相手は田んぼそのもの(つまり土とか)ではなくて、れのあとのこされたままになっている“いねぶさ”たちでした。

 わたしが出歩くのは、ふだん夕方か夜になってからなので、話しかけるには気をつかうらしいのです。

 「昨夜ゆうべの星空を見たかいよ。あんたいつも上を向いているが」

 「見ましたよ。流れ星もひとつ」

 「そりゃ結構けっこうだったね。昨夜はやっぱり、わかしゅうがこぐま座流星群とか言って、その道を歩いていったっけよ」

 切り房がこぐま座流星群なんて言うのにはおどろきましたが、考えてみれば、わたしよりもよほど長くこの道端みちばたにいるのです。そして土をかえされないかぎりは天を向いているのです。星のこともくわしいにちがいありません。


 ふと東のりょうせんを見ると、赤く生きはじめた空にふたつのたましいただよっていました。大小、尾を引く雲のかたちで、親子のものだと知れました。

 「あの魂は天へとかえるようですけど、どこから来たんでしょうね」

 「さて、山からみたいだがね。ちょっと遠くてわからないよ。もっと向こうの田んぼで聞いてみたらどうかね」

 わたしは、もっと向こう、つまり東側の田んぼのようすを思いました。

 あの辺りは精勤せいきんな土地主によって、もう土をかえされて、このごろは一面のしもとこになっています。切り房のすがたはひとつもありませんし、そうなった田んぼはましてなにも言いません。


 考えているあいだに、ふたつの魂はほどけあい、新しい風のなかで一度だけ光りました。

 「ああ、かえった、かえった」

 切り房たちがうれしそうに言います。

 「わたしらも、もうじき土をかえされて新しくなるなあ。その間もあんた、ここを歩くんだろう」

 わたしがうなずくと、切り房たちのみじかい背がみんなふるえました。彼らにみついていた霜が、はがれてあたりにらばったのが見えました。

 「ぜひともそうしてくれ。そうしてたまには話しかけてくれ。わたしらだまっているのもつかれるからな」


 魂のとけ還った空は、きよらかな赤みを増していきます。きょうも、なにより明るい日の出があって、どこの田んぼの霜だって溶かしてしまうでしょう。

 それだけでなく、春が来たなら、どこの田んぼも霜を忘れて、やがて初夏には早苗でにぎやかになるでしょう。それはとても自然なことです。

 「ええ、きっと、きっと」

 切り房たちとの約束を言葉に出して、わたしはまた、散歩の道をいきました。


(おしまい)

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