湯器と着物

 さて、それから枝葉がさえぎる雨粒も、ぱたぱた頭上にまっては、時にぼたっと降りかかるほどになりました。

 わらくさいかさからけもののにおいもしているのではないかと、先生は鼻が痛くなるほどいでいます。それでも頭からはずさなかったのは、すっかりだまされたていでいこうと決めたからなのです。

 ――暗くなりましたなあ。あとどのくらいで着きますか。

 「もうですよ」「すぐですよ」「そこですよ」

 答えが一度に返ってきまして、ひとつも聞き取れませんでしたが、ふたたびたずねることはしませんでした。みきのかげを分けた、すぐ向こうにかやぶき屋根が見えたのです。暗くて細かくは判別わかりません。けれども、どうやら、ひどいぼろではなさそうです。

 「こちらです、だん

 一番手が言うと、あとのふたりはささ、と頭をさげて別なほうへ歩いていきました。

 ――あの方たちはいいのですか。

 「ええ、よろしいんです。湯と着替えを持ちにいったんです」

 ほう、とうなずいてそちらを見ても、ほかに建物らしいかげはありません。しげしげながめる先生をつれて、男はいおりの戸口を開けました。その手には、いつの間にかのちょうちんれています。雨風で消えないよう天辺にちいさな傘までついています。


 におう傘をやれやれとぐあいだに、男は提灯の火を使って、なかの角燈あかりを灯しました。浮かびあがった部屋はじょうはんほどで、とうふうめずらしいつくりをしていたそうです。角燈も異国のものか、たんせいかざりがしてあったらしく、

 ――不思議なあかりですなあ。まるでこの国の、いえ、この世のものではないような。

 先生がわざと息をためて聞くと、

 「おお旦那、お目が高い。そうなんです。これは、ここいらでは真似まねのできないしろものなのです」

 そんなまんげな答えです。意外なことに先生がまごつくうち、戸口がとんとんたたかれました。

 「湯をお持ちしました」「着替えをお持ちしました」

 先ほどのふたりがもどってきたのです。ひとりは手に広いを持ち、ひとりは紙包みのなかから着物を取りだします。

 とうとうきたな。どう化かしてくるものか――

 いつ気が付いたのやら、尻尾しっぽはもうありません。ただ、先生をちらちらと見る三番手の男は、

 「さ、さ。旦那。足湯は、お好きではありませんか」

 などと、どこかおうかがいをたてるような表情です。上がりかまちのしたに置いたうつわからは、湯気がもうもう立っています。

 先生があやしんでそばまで寄ると、そのふちには陶器づくりの狐らしいれいじゅうが身を乗り出していて、口からいきおいよく湯を吐いてます。

 不思議なことには、抜けるところもない器から、それがちっともあふれないで、常にちょうどいいだけ入っているのです。

 おまけに浮いている香草のかおりで、湯気だけですっきりするような感じがしました。けれども、すぐに足を出す気にはなりません。風呂だと思いこんでかってみたら、実はこえめだったなんて話はよくあることです。

 先生はもっともらしく咳払いをして言いました。

 ――なるほど、変わった代物しろものですが、私はこういう造りには気後れするのでして。

 「なにもえんりょするこたありません。こぼれることも心配しなくて構いません」

 三番男が片手を突っ込んで湯をかき混ぜます。器の底が真珠のようにひかり、なんともいえない美しさです。これを見て、先生はとりあえず「肥溜めではない」と決めました。

 しかし着物はどうかしらん――

 差しだされたものを、かざしたり伸ばしたりしてみます。着替えたと思ったら、実は素っ裸だったなんていうのは、本当によくあることなのです。先生はまったく手堅いお方です。

 ――これも立派なものですね。ですが、私はこういうかたくるしいのには気遅れするのでして。

 「なにも遠慮なさるこたありません。着てみれば、存外やわらかいのです」

 二番男がすかさず答えて、もう押しつけるみたいにして、みんないそいで戸口へ向かいます。顔だけは、出会ったときとおんなじに、心底うれしいという笑みです。

 「ではごゆっくり」「お好きなように」「お済みになりましたら、これでお呼びください」

 ひとりが最後に指していったのは、すぐ横に下がる古びた木魚でした。

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