桃の岸へ
十数回目の
「あっ」
後ろで、ちいさく声があがったのが聞こえました。シュイは
だれかに、したから呼ばれたようでしたけれども、地面を見ることはできません。
やっとの思いで池へとたどりついたとき、シュイは羽の力を失い、冷たい水に
(ああ、母さん、母さん。あの声は、短くしか聞かなかったけれど、確かに母さんのものだった)
明るい空から、すたがもなく、いつかの老師の声が聞こえてきます。
「とうとう見られてしまったのだな」
シュイは答えます。
「もういいのです。きっと気味が悪かったに
「シュイよ。母親は決して、おまえをそんなふうには思わない。それだけは思い違えてはいけない」
天からの光は、ちいさな水鳥をいたわり包んで降りつづけました。
やがて春になりました。やつれ果てたシュイは、うらうらとした
これまでシュイをいじめていた鳥たちは、もう
(ぼくはあの岸に手を伸ばしたのだ。そして足をすべらせて、この池に落ちたのだ。母さんはぼくを呼んでいたのだ)
どうかもう一度だけでも名前を呼んでほしいこと、あの夜に、もし地面におりていたら、どうなっていたであろうかということを、今日まで何度となく考えました。
しかしもう、それは叶うこともないのだと、シュイは自分の命の
そのときです。池のほとり、一本の桃がたたずむところから、待ちわびていた声が聞こえました。
シュイははじめ、まぼろしのなかにいる気がしたほどでした。力を
そこには
「シュイ。大事なわたしの子。おまえはまだこの池の底にいるのかい」
(いいえ、母さん。ぼくはもう、そこに
「なぜあのとき、お前を引きあげてやれなかったろう。なぜあのとき、たった一度おまえらしい水鳥を見たとき、すぐに声をかけてやれなかっただろう」
(しかたないのです、ぼくは水草にまぎれてしまったのです。そしてぼくは自分から、母さんに背を向けてしまったのです)
うらうらとした陽のなかで、言葉はぽつりぽつりと続きます。悲しみのあまり、
「シュイ。どうか
そうして母は、かたわらから、あのランプを取りだしました。それはすみずみまで
涙に
「母さん、もう、気に病むことはないのです。ぼくは母さんがお
人間にはわからない鳥の言葉で、シュイは言いました。それが通じたかどうか、母ははっとした表情で、羽をうつ水鳥を見つめていました。
「母さんが見届けてくださった。ぼくはこれ以上なにも望みません。どうか、どうかお幸せに」
最後に一声、水鳥が鳴いたかと思うと、花びらのつくる岸から
額の白が、ランプのまばゆさを
景色が晴れたのち、ゆれる水面には、ただすべらかな桃の岸だけが浮かんでいるのでした。
(おしまい)
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