終章、オトギ話のそのあとに(エンドレスゲーム・リスタート)。

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  終章、オトギ話のそのあとにエンドレスゲーム・リスタート



綿津見わたつみ──うしおって、そんな。それは叔父さんの名前なんでしょう? 僕はみつるですよ!」

 しかしその女性は、心から申し訳なさそうに目を伏せた。


「ごめんなさい。『綿津見満』なんて人物は、最初からこの世に存在してはいなかったの。初めにあの運河の家で会ったときから、私が嘘を教えていたってわけなのよ」


「僕が最初から存在していなかったですって? いやだって、歳が合わないじゃないですか。まさか僕は中学生あたりで作家デビューした、天才少年小説家だったとでも言うのですか?」

「玉手箱よ」

「へ?」

「浦島太郎は玉手箱を開けてしまったわけ。でもそれは不完全なものだったから、歳をとるという不幸な結果を生んだのだけど、本物の玉手箱の力は逆なの。本来はもう一度人生をやり直したいと思っている者のために存在していて、むしろ時間を巻き戻す力を有しているのよ」

「それで、僕が若返ったとでも?」

「ええ、そうよ」

「何言っているんですか、『浦島太郎』とか『玉手箱』とか。僕は別に亀を助けた覚えも、開けてはいけない箱を開けてこの世に災厄をふりまいた覚えもありませんよ!」

「だって記憶喪失じゃん。それに後半のたとえは『パンドラの箱』のことだから、全然関係ないし」

「その辺は、さらっと流してください!」

 話が進まなくなるから。

「う〜ん、説明すると長くなるけど、まあいいか。時間はたっぷりとあるし」

 いや、長話はもううんざりですので、手短にお願いします。

許斐このみ氏からこのゲームの本当の趣旨が、『巫女姫の伴侶探し』ってことは聞いているわよね」

「ええ、まあ」

「座敷牢にあった草稿とかで、『満月つきの巫女』の伝承のほうは目を通してくれたかしら」

「はあ、一応は」

 ……まさか、あの大学ノートの山があそこにあったのも、仕組まれたことだったのかよ。

「あくまでも基本は、巫女の伝承のほうだと思って欲しいの。許斐氏の話のほうはまあ、味付けのトッピング程度でしかないのよね。つまり巫女がお婿さんを選べるのは、最初に少年体から女性体に変化する『聖なる泉の禊の夜』だけなの。この里で言う『人魚送りの満月の夜』と同じことなんだけどね。だから早い話が、一発で伴侶を決めて、一発で赤ちゃんを的中させて、一思いにその相手を殺して食べつくさなければならないの」

「何でそこで自分の夫であり、生まれてくる我が子の父親を殺して食べなきゃならないのですか。カマキリやスズムシでもあるまいし」

「あらあ、冴えているわねえ。まさにその通りなの。カマキリやスズムシみたいなものなのよ」

 げっ。

満月つきの巫女が生殖能力を発現し、次世代の巫女をこの世に生み出すには、配偶者の肉体を食べて自分の血肉とし、胎児への栄養に回さなければならないわけなのよ」

「そんなこと、たとえ人魚の血を引いていようがいまいが、この現代社会で許されるわけがないでしょう! なぜ法治国家である日本国の政府が、こんなゲームの後ろ盾なんかをやっているのですか?」

「まあ、許斐氏から満月つきの巫女の利用価値について、いろいろ聞いているとは思うけど、だからといって政府が法律も道徳もすべて無視して、権力をごり押ししているわけでもないのよ。ちゃんと参加希望者を募った上で、その適性も慎重に考慮選別しているもの」

「殺されて喰われるのに参加希望者がいるんですか? それに適性って? あまり脂肪だらけではなく、適当に筋肉が締まっているとか?」

「う〜ん、どこから説明したらいいかしら。いろいろとお互いに関連し合っているから、話しづらいのよねえ。じゃあ、適性からいくけど、ぶっちゃけてこのサバイバル・ゲームに参加する資格のある人って、一言で言うと『死んだほうがまし』と思われている輩ばかりなの」

「……」

「あ、やっぱり気に障っちゃったあ? ごめんごめん。覚えていないとはいっても、前回の優勝者だものねえ」

 するってえと昔の僕は、『おまえはもう逝ってよし』キャラ・ナンバーワンだったのか。

「つまりは、小説家だとか評論家だとか言っているけど、それはあくまでも表の顔だけで、選ばれた人間たちのその知られざる素顔ときたら、同性愛者ホモセクシャル小児性愛者ペドフィリアといった性的異常者ばかりであり、しかも暴力的性格すら兼ね備えていて、世間に隠れて数々の罪を犯していたそうなのよ。これはもう人間社会から排除されて当然な身の上の奴らばかりなんだけど、最後の最後ぐらいは世の中の役に立たせてやろうという趣旨で、この言わば『贖罪の儀式』とでも言うべきゲームを開催することにしたわけ。何せその犯した悪業の数々が明るみになれば、当然極刑に処せられてもおかしくない連中なんだから、巫女姫の夫候補としてエントリーできて、あまつさえ神聖なる生贄として世に貢献できるんだから、これはもうむしろ人助けをやっていると言っても過言ではないでしょう」

「『贖罪の儀式』ですって? 何ですか、それって。しかもそもそもおかしいじゃないですか。なぜ犯罪者などという危ない男たちを、大切な巫女姫の夫候補に選んだりするんです? それになぜ、それほどの異常性格者や鬼畜の暴力主義者たちが、こぞってこんなわけのわからないゲームに参加してくるんですか?」

「たぶんね、異常性格者や鬼畜の暴力主義者と言ったところで、同じ人間にすぎないのよ。やはり私たちと同じように悩みを抱えていて、自分の罪悪感に苛まれる夜だってあると思うの。そんなときにもし、『人生をやり直すことができる』って言われたらどうかしら。抱えている罪やそれに対する罪悪感が重い人間こそ、藁にもすがる思いで飛びついてくるんじゃないかしら」

「『人生をやり直すことができる』──って」

「政府の某機関のダミー会社である我が『海神別荘かいじんべっそう書房』で、そういうあおり文句のサバゲー参加者募集の通知を、ネット上に公開していたのよ」

「あなたって、そんなことまでやっていたんですか。いやだからって、そんなことできるわけないじゃないですか、人生をやり直すなんて」

「簡単よ。ここでまたしても『玉手箱』の登場ってわけなの。つまりは過去のあなたに使ったのと、同じ手を使うだけよ」

「え?」

 そのとき僕は、あまりにもうかつすぎる質問をしてしまったのだ。

 夕霞嬢の口元がこれまでになく、不気味な形へと歪んでいく。


「記憶を奪ってしまうのよ。──今のあなたのようにね」


 突然足下の地面が、音を立てて崩れていくような錯覚を感じた。

「だからゲームの優勝者はまさに純真無垢な善人のようになり、巫女姫の夫として仲睦まじく暮らせるのであり、『人魚送りの満月の夜』に少年体だった巫女姫が女性体に変身した暁には、自分の哀れな末路に気づくこともなく、ただ快楽と絶頂感エクスタシーの中で、文字通り『く』ことができるわけなのよ」

「──それじゃ、それじゃ、僕も前回のゲームに優勝して鞠緒の夫として選ばれてしまったから、記憶を抜き取られて、ついでに歳も若返らせられたって言うんですか?」

「それがあなたってば、いろいろとイレギュラーなことをやってくれちゃってねえ。まず第一にせっかく巫女姫の夫として選ばれたくせに、土壇場で逃げ出しちゃったから、すべてが狂ってしまったのよ」

「逃げたって。たしかに事実はそうだったんでしょうけど、なぜ記憶を奪われた人間が逃げ出したりできたのです?」

「いやそれが、正式な儀式の直前に逃げ出したものだから、完全に記憶を奪うところまではいってなかったのよ。でも御存知の通り、この里に到着して以来ずっと人魚の肉を食べさせられていたのだから、不完全とはいえ、若返りやそれに伴う記憶の解消が行われてしまったというわけなの」

「そんな無責任な。そもそも何で僕は逃げ出したんです。好きこのんでこんなゲームに参加していたんでしょう? 騙されたとか何とか言っていたけど、手記を読む限りどうやら、鞠緒まりおのことも嫌いなわけじゃなさそうだったし」

「さすがはご本人。そこらあたりは当然、同じ趣味趣向を共有しているって感じなのかしら。まあねえ、本当の理由は当人にしか知り得ないんだけど、どうやらあなたは『忘れてしまう』ことが、どうしても我慢できなかったみたいなのよ」

「忘れてしまうって、いったい何を」

「もちろん、鞠緒ちゃんのことよ」

「はあ? だって優勝したってことは、鞠緒の夫として選ばれたんでしょう。しかも聖なる巫女姫にふさわしくなるように、記憶も刷新されて真人間になるチャンスだったのに」

「じゃあ、あなたはどう? 今度こそ鞠緒ちゃんと幸せになれるからといって、もう一度記憶を失うことを承諾できる?」

「そ、そんなことは──」

 そうだ。記憶を失ったあとにいくら幸せになろうが、それは本当に、今の僕と同じ人間であると言えるのだろうか。

「『綿津見潮』としては、こう思ったんじゃないかな。いくら鬼畜でもいくら罪深くても、自分は自分だと。それにたとえ真人間になれたとしても、それまで過ごしてきた鞠緒ちゃんとの日々を忘れたんじゃ、意味が無いと。いやむしろその短い日々こそが、何よりも大切な宝物そのものであったことに気づいたのよ」

「……」

「それであなたは逃げ出したの。思い出だけを胸に抱いて。本当に自分自身が鞠緒ちゃんを愛したという、想いを守るために」

「……」

「だから我々は、あなたの行方を早期につかんだものの、その意志を尊重しようと思ったわけ」

「僕の、意志?」

「そう。もう一度鞠緒ちゃんと会わせて、あくまでもお互いの意志で触れ合わせて、しかも今度は最後に記憶を奪うこと無しに、思い出をそのまま持ったまま、贖罪の儀式に臨んでもらおうと。だって真人間になるプロセスは、一応前回で済んでいるということになっているしね」

「……」

「だからさっき許斐氏に言ってた、あなたの唯一の失格条項って、あくまでもあなた自身が、鞠緒ちゃんのパートナーになることを拒否することだったの。だけどあなたたちは、今回も心から惹かれ合っていった。我々の小細工なんて、本当は必要もないほどにね」

「……」

「それでも最後の最後に決断するのは、あなた自身ですからね。今からだってすべてを拒否して、逃げ出したっていいのよ。何だかんだ言ったところで、今日の儀式があなたと鞠緒ちゃんの契りの儀式であると同時に、あなたにとっては最後の贖罪の儀式となるのだから、あなたがすべての儀式が終わったあとで、愛する伴侶から食べられてしまうという事実は変わりはしないのよ」

「……」

「まあ、じっくり考えてみてね。最後の猶予の時間をあげるわ。私と鞠緒ちゃんはこれから食糧庫にこもって、儀式の準備に取りかかるから、逃げるなり徹底抗戦するなり、身の振り方を決めておいて頂戴な」

 そう言い残して、その女編集者は巫女姫の少年と一緒に、それぞれ一体ずつ哀れな生け贄の屍体を引きずりながら、食糧庫のほうへと移動し始めた。

「……」

 ゆっくりと考えろと言われても、そのときの僕は何をどう考えればいいのかも、まったくわからなかった。

 まず何と言っても自分を──『綿津見満』であることを、否定されてしまったのである。しかもこうして自分の存在基盤を揺るがされた上に、過去の自分である『綿津見潮』が何を考えていたのかも、まったくわからないのだ。こんな状態じゃ「──うしお!」

 支離滅裂な思考の海へと没頭していたら、いつの間に舞い戻っていたのか、あの月長石ムーンストーンの瞳の少年が、目の前に立っていた。

「我はおまえがおまえでさえあればいいのだ。いろいろ言われていたみたいだが、気にする必要なぞないんだぞ」

「──な」

「それにの、我はとにかくおまえが此度こたび帰ってきてくれたことが、何よりも本当にうれしかったのじゃ。もう二度と会えないと思っておったからの。じゃからな、おまえが逃げたかったら、逃げ出してもいいのじゃぞ」

「……」

「我はもう十分じゃ。今度こそあきらめる。皆の者にもそう申し付ける。きっと我らはたとえ離れ離れになろうとも、心ではいつまでも一緒にいることができるはずじゃ。そう思えばけして淋しくなぞはない。だからおまえも安心して、勝手に自分の好きな道を生きていけばいいのじゃからな」

 そう一気にまくしたてたあと、こっちの返事を待つことなく、少年は食糧庫の中へと駆け込んでいった。


 ──一度も振り返ることもなく。まるですべての未練を断ち切るかのように。


          ◇     ◆     ◇


「……『贖罪』、か……」


 僕は泉のほとりの草地に横たわり、煌々と輝く満月の夜空と、『人魚にんぎょおく』が乱舞している水面をぼんやりと眺めながら、ため息まじりにつぶやいた。


 今もなお、夕霞ゆうか嬢の意味深な台詞や、これまでの不思議な出来事の数々や、先ほどの鞠緒まりおの別れ際の言葉が、脳裏を駆け巡り続けている。


 ──もし。そう、あくまでも『もしも』という仮定の話であるが、本当に過去の自分が──『綿津見わたつみうしお』が、性的倒錯者でしかも暴力主義者であり、これまで人知れず数々の犯罪を犯してきたとしたら、いったい何を望もうとするであろうか。


 そうだ。きっと僕は良心の呵責に堪えかねて、こう願うにちがいない。──人生をやり直したいと。別の誰かになりたいと。

 もしそんなときに、あの『満月つきの巫女』の伝承を知り得たならば、僕はいったいどうするであろうか。

 考えるまでもない。たとえどんなに愚かなことだとそしられようが、僕はすぐさまこの山奥の隠れ里へとおもむき、その『聖なる巫女姫』の末裔を──そう、自分自身のための『死刑執行人』を、己のものとするために、どんな苦難や闘いにもためらわず身を投じることであろう。

 そんな中で僕は、残虐非道で人でなしの自分をそのまま受け容れてくれた、あの人喰いの少年と出会うことができて、いったい何を思い何をしようとし何を変えていこうとしていたのであろうか──。


 馬鹿馬鹿しい。


 やめたやめた。過去の自分が何を考えどう行動していたかなんて、考えるだけ無駄なことなのだ。

 自分にとっては『昔話の主人公』にすぎない男のことなんて、もはや知ったことではない。大切なのは今現在なのである。今ここにいる僕自身が、あくまでも自分の意志で、あの少年を選んだということが重要なのだ。


 ──そう。巫女姫であろうが予知能力者であろうが人喰いであろうが、一切関係なく、ありのままの鞠緒自身を受け容れたことこそが。


 もし、あの女編集者の語った、馬鹿げた夢物語が事実であるとしたら、今夜僕を待ち受けているのは、世にも恐ろしい『贖罪の儀式』だということになるわけである。

 だが、たとえそうでも構いやしない。今度こそあの少年と、本当に一つになることができるのなら。

 もはやこれ以上、望み得ることがあるだろうか。僕は『満月つきの巫女』によって安らかなる最期のときを約束された、『聖なる生贄』に選ばれたのだ。

 そして僕は鞠緒の血と肉となり、これからは永遠に一緒にいることができるのである。


 ──そうだ。これこそ僕自身が望んでいた、この物語じんせいの『結末』なのだ。


 まさにそのとき、食糧庫の扉が静かに開き、華奢な人影がゆっくりと現れでた。


 その、黄金きんの瞳の『人魚姫』のつややかなる髪の毛は、緩やかなウエーブを描きながら足元まで流れ落ち、眩い月明かりの中で、鮮やかなしろがね色に輝いていたのである。

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