第二章、その七

「ミステリィ小説が真実ですって? 正義ですって? この世のすべてを決めているですって? 何ふざけたこと言っているの、ちゃんちゃらおかしいわ。むしろ私に言わせれば、もはや事実というものを見失って、どんどんと常識から外れていっているのにそれに気づくこともできず、単なるみんなの笑い者となっている道化師そのものの存在じゃないの」

「な、何ですとー!」

「その一番いい例が、ミステリィ世界における『警察』という物の、あきれるほどの事実無根さよ。『いったいどこの宇宙の何という惑星の警察機構なんですか』と言うほどの現実剥離っぷりは、いっそ芸術と呼んでも差し支えないほどよね」


「──それは聞き捨てなりませんな!」


 おおっ、何とここに来てようやく、新たなる人物の登場だ!

 ミステリィ関係者にしてはいかにも人がよさそうで、我が子のことも大切にしていそうで、雨の日に捨て犬を拾ってきそうで、そしてどことなく病弱そうで。

 ……間違いない、たぶんこの人は──

「失礼ですけどあなたはいったい、どちら様かしら?」


「私は、『休職中の刑事』です!」


 あ、やっぱり。

 白々とした空気がその場を覆った。まさか新世紀も二十年が経とうとしているのに、まだそんな人種が生き残っていたなんて。

「な、何ですか、信用なさらないわけですか。警察手帳ならここに──」

「出したわね」

「え?」

「もうこれで完全に手遅れよ」

「ななな何ですか、これは正真正銘本物ですよ。私は警視庁の刑事ですが休職中であるからして、こうして便利によその管轄でも活動できるわけであり」

「お黙りなさい」

「うげ?」


「これだからミステリィ小説は困るのよ。まず前提条件から狂っているんだから。ああ、もう、何から説明すればいいんだか。しかたない、基本中の基本から行きますか。最初からあっさりとすべてのミステリィ作品を土台からぶっ壊して申し訳ないんですけど、いいかしらみなさま、日本の警察機構においては『刑事』なんて官職名も階級名も存在していないんですのよ。あれは正式な組織名である都道府県警察本部の『刑事部』から転用された便宜上の呼び名にしかすぎないの。それなのに小説やテレビドラマとかで何十年も前から『刑事』なるものを主人公にして大活躍させるものだから、なぜか人々の共通認識として『刑事』こそが警察機構の中心的存在で唯一無二のヒーローであると信じ込まれてしまったのよねえ。警察というものはあくまでも組織体にすぎないんだから、一人一人はただの公務員であり、叩き上げの捜査官もキャリア組の官僚もミニパトを乗り回している婦警さんも、それぞれ歯車として捜査活動に当たったり予算折衝に臨んだり駐車違反を取り締まったりしているだけなんだし、個人がむやみやたらと主人公になれる職場ではけして無いんだから。第一こんなことは言いたくないけどさ、勝手にヒーロー視しているようだけど、よ〜く考えてごらんなさい。本来制服姿であるべき警察官が、人知れず私服で捜査活動をしているという事実を。別にあなた方が思っているように、いかにも目立つ格好をして太陽に吠えたり西部劇まがいのことをするためじゃないのよ。それは刑事部だけに限らず警備部や公安部等の他のセクションにおいても同様のことなんだけど、その職域に関して国民に公にできない任務に就く特務要員であるってわけなの。つまりぶっちゃけて言えば、彼らはすべていわゆる『秘密警察』のようなものなのよ」


 ええ〜っ! それっていわゆる旧ドイツ国家社会主義労働党(略称ナ○ス)の『ゲシュ○ポ』みたいなものですか〜⁉

 ミステリィ界の根底を覆す思わぬ事実の発覚に衝撃を受け、みるみる蒼白化する休職中の『刑事』さん。……て、あの人の顔色が悪いのは最初からか。

「あ、あなたっ、何という恐ろしいことを! 我が国の警察官はあくまでも民主警察であり、国民の福祉向上のために滅私奉公しておるのですよ。それを何ですか、秘密警察だとか何とか言って。しかも我々『刑事』が存在しないなんてそんな恐れ多いことを。あなたは知らないんですか、およそ三十年前国民的に大ヒットしたミステリィ小説の主人公が、私の大先輩の『休職中の刑事』だったことを。それに私はれっきとした本物の現役の警察官です。警察手帳も見せたでしょう!」

「あのね、私は別に個々の作品がどうだとか言いたいわけじゃないの。さっきから言っているんだけどさ、元々すべてのミステリィ作品が根底から間違っているの。その国民的大作家だけでなく、常識派で神様のようにあがめられているベテランの大御所も、そしてたとえ緻密な取材と豊富な人脈で警察小説の代表格と言われる人ですらもね。でも実を言うとね、その人たちも本当はわかっていて、間違いたくて間違っているわけでもないのよねえ。なぜならそれはまさに先ほどあなたのお仲間の許斐このみ氏がおっしゃっていた、『歴史小説界においては今さら坂本竜馬の悪口は書けない』というのと同じことなのですからね」


「──むう?」


 さっきから出番を待ってジリジリしていたベシャリのオタク評論家が、名指しを受けて満を持したようにすっくと立ち上がった。よ、大統領!(ただしウ○ンダの)

「おたくの非常識きわまる暴論なんぞに、私の大正論を勝手に例に挙げられるのは聞き捨てなりませんな。だいたいあなたの言っていることこそ矛盾しているではありませんか。いわゆる『緻密な取材と豊富な人脈で警察小説を書いておられる方』が、誤った警察像なんか書かれるはずがないじゃないですか。それでなくとも今は情報公開の時代なんですよ。それをあなた『秘密警察』などと時代錯誤もはなはだしい。もしも今の世に何かしらの『国家による言論統制』が行われているとでもおっしゃる気なら、一つでもいいからその証拠を挙げてみてくださいませんか?」

「『言論統制』ねえ。厳密に言うとやってるのは国家なんかじゃないんだけどねえ。まあいいわ。証拠を挙げてみろ? そんなの簡単よ。許斐さん、あなたでもいいわ。今ここであなた方の言うところの刑事──私服の警察官の任務中における『敬礼』というものを、ちょっとやってみてはくださらない?」

「ば、馬鹿にしないでください。このミステリィ界きってのベテラン評論家である私に向かって、そんなの常識でしょう!」

 得意満面で右手を手刀の形にし、自分のこめかみに向かって斜めに突きつける評論家。いわゆる刑事ドラマやアメリカ映画とかでよく見る軍隊式のアレだ。しかしそれを見て「あっ」とうめき声を上げたのは、自称現役の警察官の『休職中の刑事』さんであった。

「ほ〜、これはまた見事な『挙手の礼』ですわね。完璧完璧♡」

「何を言っているんですか。もとよりこの許斐、日本の警察については調べに調べて──」


「どこで見ました?」


「え?」

「私服警察官がその『挙手の礼』をやっているのを、どこで見たかと聞いているのですよ。まさか大評論家の許斐氏ともあろうお方が、自分の目で見てもいないものを……」

「み、見ましたとも! ええとその……いや、数が多くて、どこそことまではいちいち覚えてはいませんがね」

「それはおかしいですね」

「何だと!」


「先ほども申し上げた通り私服警察官が私服であるのは、自分が捜査活動中の警察官であることを一般国民に知られないがためなのです。それなのに一般人が見ているようなところで、あからさまに警察官とわかるような敬礼なんかをして見せるわけがないんですけど」


「えっ? あ、いや、その、そんなことは………私はたしかに見たんだ、ズラッとこう──」

 偽札の原版が並んでいるのを。あ、これは某アニメの話でした。


「──テレビでしょう」


「はあ?」


「あなたがそんなでたらめな『私服警察官の敬礼』を何度もご覧になられたのは、テレビや映画の『刑事ドラマ』の中だったのではないのですか、と言っているんですよ」

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