第二章、リュウグウの里(ラビリントス)。
第二章、プロローグ&本文(その一)
俺がその『人魚姫』と最初に出会ったのは、煌々と輝く満月の光を一面に浴びた、鏡のような泉のほとりであった。
一糸まとわず露になった陶器のごとき白く
「……君は、何者なのだ?」
俺は我を忘れて、水遊びに興じていた彼女のすぐ面前まで歩み寄り、知らず知らずのうちに言葉をかけてしまっていた。
こんな月の妖精みたいな美少女は、この館では見かけなかったはずである。ここで彼女のことを
しかしその夜、彼女のあたかも桃花のような唇が、ほころぶことはなかった。
ただ満月を映したような瞳を、戸惑いと憂いとに揺らすだけだったのである。
そう。まるで海底の魔女に言葉そのものを奪われてしまった、おとぎ話の人魚姫そのままに。
二、
「
叔父の名前を呼ぶソプラノの声がする。……おかしいな、彼はたしか今失踪中のはずなんだが。
「つかまえた!」
つかまえられた!
──あれ、それってもしかして、僕のこと?
こちらの顔をのぞき込むように見上げる幼子のような無垢なる瞳。胸元を力まかせに握りしめている白魚のような
その様子は絶世の美少女(あくまで外見上)から抱きつかれているというありがたみよりも、何か元気いっぱいの親戚の子供の子守をしているような感慨をもたらした(実際義理の弟らしいし)。
……しかし、これでこいつが男だなんて、何だかもったいないというか、ほとんど詐欺のレベルだよなあ。こんなにもあの『夢の中の少女』とそっくりなのに。
たしかに落ち着いてその『
それに何と言っても、その身にまとう雰囲気というものがまったく異なるわけであり、少女のけして物言わぬ神秘的な妖しさなどは微塵もなく、せっかくの美少女然とした容姿をあっさりと裏切り、あくまでも人懐っこい笑顔でべらべらと陽気にしゃべくりながらまとわりついてくるのだ。
これではむしろ二人が同一人物であるというほうが、だんだん無理だと思えてくるほどである。
しかもまだ出会ってから一時間も経っていないというのに、何でこいつはこんなにも僕になついてくるんだろう。いくら言っても人のことを叔父の名前で呼びやがるし。他人の識別能力というものが少し足りないんじゃないのか。叔父と僕とじゃ十歳ぐらい歳が離れているそうなんだけどなあ。
しかし叔父さんもどうして、こんな子供を養子にしたんだろう。別に身寄りがないわけでも生活に困っているようにも見えないし。僕を養子にしたことといい、よっぽど子供好きだったのかな。
まあ、こいつのことは、とりあえずはどうでもいい。
たしかに叔父の養子になった子供がこんな特殊な環境に住んでいて、しかもこのように独特な容姿をしている少年だったのには驚いたが、別に同じ養子の僕が口出すことでもないし。むしろ本来の目的は叔父の行方の手がかりをつかむことなのである。
鞠緒本人に聞いてもあまり成果はなさそうだけど、館の女性陣にそれとなく探りを入れてみれば結構収穫があるかもしれない。何と言っても美人ばかりだからな。叔父もいろいろちょっかいを出しているに違いない。
できれば
「──いやあ、さすがは
突然なれなれしい声が、ななめ後ろあたりから飛来する。
振り向けば何だか棒切れを連想させるような、痩せこけた長身に眼鏡をかけた温和な笑顔の男性の姿があった。
……たしかこの人は、『このラノすごい』だか『このミスすごい』だとかいう変な名前の、小説評論家だったような。
そう。この山奥の隠れ里にやって来てまたしても驚いたことには、今回この館に長期逗留客としてお世話になっているのは僕と
自称探偵や陰陽師もアレだが、『休職中の刑事』っていったい何だ。そんな職業がこの世にあるのか?
……まったく、ミステリィはファンタジーの次に実社会の一般常識からかけ離れてしまっているから、なんとも珍妙なんだよね。
「しかし、我々には見向きもしないどころか、声をかけても何も喋ってくれないから、てっきり『人魚姫』のように悪い魔女に言葉そのものを奪われているんじゃないかとすら思っていたんですよ。それにひきかえ一目見るなり抱きつかれるほどの熱烈歓迎をたまわるなんて、もしかしたらあなたって『王子様体質』なのかもしれませんねえ」
人のこと言えるか。あんただって初対面のくせに何なんだこの、数年来の友人か親戚のおじさんみたいな親しさぶりは。こんな若造にいくらヨイショをしても何も出ないぞ。
「ええと、『このラノ』さんでしたっけ。たしかアメリカ御出身で、今最も先進的なライトノベル評論家の「──このラノではなく
ふうん、アメリカに行ったことないんだ。元来日本の本格推理小説は英米の作品を、あくまでも『お手本』というか『下敷き』というかいろいろ参考にしてきたのにねえ。
……しかしなあ、自分から先進的なことを否定するのもすごいもんだよな。さすがは本格。
「いや、そんなことよりも。あなたは僕の叔父のことをご存知なんですか?」
「当然です!」
うわっ、即答かよ。なに意気込んでやがるんだ、この人。
「綿津見潮先生といえば、本格推理に限らずミステリィ小説全般において、今最も大注目の新進気鋭の小説家であらせられるのです。一口にミステリィと言っても彼は古式ゆかしき本格をベースにしながらも、
……それって、すでに本格ではないのでは。
「そして何よりもその独特な作風は常に幻想的世界観に彩られており、読む者をスリリングながらも心地よい寓話的な夢の世界へと
いかん。オタクに得意分野の御託を喋らせる機会を与えてしまった。何という自殺行為だ。
こいつら自分の意見を話し始めたら長いんだよな。聞いている人の意見や都合は完全に無視しやがるし。大人しくネットでカキコでもやってりゃいいのに。
しかし、僕の叔父さんて、こんな濃いそうな連中に受けるような小説を書いていたわけなのか。
……もしかして結構マニアックなのかな。作品だけではなく、作家本人も。
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