第二章、その二

「──うしお、潮」

 さっきからずっと蚊帳の外に置かれっぱなしだった鞠緒まりおが、退屈きわまったのか袖を引っ張ってきた。おお。ナイス・タイミング!


「お話の途中すみませんが、これからこの子が僕に里の中を案内してくれるそうですから、そろそろ失礼させていただきたいのですが」

「え。ああ、うむ。そうですか、それはそれは。ではごゆっくり」

(持論を布教しつくせなかったので)名残惜しそうに僕らを見送る評論家。

 こいつらをハリウッド映画みたいに完全に電脳化して、ネットの中だけで生息させてみてはどうだろう。あそこなら何の制約もなく『御意見』を垂れ流すことができるから、好都合だろうしね。


「鞠緒ちゃんいいわねえ。お兄さんと一緒で」

「うひゅひゅひゅひゅひゅ♡」


 やめなさい、そんな不気味な笑い声は。

 いまだお屋敷の女性陣の代表者らしき人と御歓談中だった夕霞ゆうかさんが、僕らに向かって声をかけてきた。

 どうでもいいけどこの人、僕のことはみつる『君』なのに、鞠緒には『ちゃん』付けなんだな。同じ男で年齢もそう違わないんだけど、見た目重視なんだか中身重視なんだか。

 たしかにこの子は黙っていれば、見かけは結構大人びた美少女にも見えるんだけど、中身はほとんど小学生男子って感じだからな。

 それにしてもやっぱり夕霞さんて、ここに来たのは初めてなんかじゃなさそうだ。一部にツンデレ評価(あ、人見知りか)が出ている鞠緒にも、親しげに対応しているし。


 その彼女とずっと談話をしていた和服姿の女性が、こちらに向かって微笑みを浮かべたまま会釈をしてきた。


 美しくて親しげで上品で、でもどこか画一的にかたどられた人形みたいな笑顔で。

 もちろん快く返礼を送信する。こちらも出来立ての微笑みをそえて。願わくば心からの天然素材になりますように祈りながら。


「何だかあなた、全方位的にモテモテですねえ。そんなところも綿津見わたつみ先生そっくり」


 まだいたのかよあんた。出番の終わったキャラクターはとっとと退場してください。構成や台詞の配分が複雑になって大変なんだぞ。

 こっちの苦情を歯牙にもかけず、またしても大演説を開始しようかとする雰囲気の評論家。

 おそらくここに到着した段階で隠れ里の秘密を守るために、スマホや携帯電話やノートパソコン等の通信可能な機械類をすべて没収されて、現実空間でしかオタク談義の花を咲かすことができないので、一般人の僕に対しても必要以上にたわ言を(いや失礼)討論をふっかけてきているのではなかろうか。

「それにしても、いかにも神秘的でお美しい方ばかりですよね。これはあながち伝説のほうも、ただの与太話ではないのかもしれませんなあ」

「伝説って、『人魚伝説』のことですか?」

 そういえば、具体的な内容はまだ聞いてなかったよな。観光用の資料館でもつくっていて、人魚のミイラでも展示しているのかな。

「そうです。あなたもお聞きになったことはありませんか。人魚の肉を食べれば不老不死になれるという、我が国独自の民間伝承を」

「はあ」

 ああ、そっち方面に行くわけか。たしか嘘八百ばっかりついていた尼さんが本当に人魚を見つけたときに誰にも信じてもらえなくて、とうとう人魚に食べられたとかいう。……あれ、ちがったっけ。逆に人魚を食べるんだったっけ。

「あなたも不思議に思われませんでしたか。こんな人里離れた山奥なのに、大きな館がぽつんとあって、しかもそこに住んでいるのが、なぜだか若くて美しい女性ばかりで」

 たしかに。でも、あまりそこばかりにこだわっていると、話が進まないだろうと思って遠慮していたんだがな。さすがはオタク評論家。たとえおせち料理全体のバランスを崩そうとも、重箱の隅をつつくのをためらったりはしないわけだ。


「我々ミステリィ界きっての論客ぞろいである『人魚愛好会』としては、想像せざるを得ないのです。これぞ過去にこの里の人間が何らかの理由で『人魚の肉』を食べたことが、原因となっているのではないのかと」


 ちょ、ちょっと「待ってくださいよ。いくら何でもそれじゃ飛躍のしすぎじゃないんですか。たしかにここの住人は皆容姿が似通っているし、どことなく日本人離れしているけれど、それはこの狭い土地の中で外国からの帰化人が近親婚をくり返してきたとしたら、十分あり得ることだし、第一この鞠緒を見たらわかるように、年齢のばらつきもそれなりにあるようだし、とても不老不死の人々の集まりとは思えませんよ」

 ミステリィファンはこれだから困る。ちょっとでも腑に落ちないことがあれば何が何でも『謎』や『怪事件』に祭り上げて、屁理屈をこねて『解明』しようとするんだからな。

 何にせよもう少し常識の範囲内で、物事を考えてもらいたいものだ。そんなんだからこの手の小説の中ではどんどんと設定がエスカレートしていって、どう考えてもあり得ないような密室状態とかトリックとか犯行動機とかが横行するんだよ。

 しかし、その男のしたり顔はますます輝くばかりであった。しまった、またしてもオタク心に火を灯したようだ。

「お説御もっともです。でも、こういうふうにも考えることはできませんか。元々彼女たちの先祖が食べた人魚の肉が、不完全な力しか持っていなかったのではないのかと。そして子々孫々に受け継がれるにつれ、更にその力が弱まっているのではないのかと」

 ……まったく、ああ言えばこう言うだよな。

「それにその子──鞠緒さんがいい例です。『巫女姫』直系にだけ受け継がれると言われている、強い異国の血。それは髪と瞳の色のような外見上の違いだけではなく、巫女ならではの『異能の力』を受け継いでいることをも意味しているのです」

「異能の力?」

「ええ。時代時代の巫女姫によって多少は異なるものの、大方は『遠見とおみ』と呼ばれる予知能力の一種であると伝え聞かれています」

 思わず鞠緒のほうをまじまじと見つめてしまった。しかしにこにこと微笑みを浮かべて沈黙を守り続ける少年。誰かさんと違って、自分がこの場面では出番がないことをちゃんとわきまえているようだ。扱いやすいものの行数が稼ぎづらいキャラだな。

 それにしても今度はまた、何ともサイキックな展開をしたもんだ。

 しかも『伝え聞かれている』って、そんなに有名なのか、ここの『人魚伝説』は。隠れ里ではなかったのか。何か似非アーティストが、シークレット・ライブを『公開』でやっているようなものだよな。

「あ、いや。ごく最近のことなんですよ。ネット上でこの隠れ里のことが噂になったのは」

 ……ネット上って。ますますうさん臭く感じるのは、気のせいか。

「それでこうしてツアーが組まれて、我々ミステリィ業界『人魚愛好会』のメンバーが、この里に集結したってわけなのですよ」

「ツアー?」

「ええ、三ヶ月滞在の長期タイプの」

 それって、騙されているんじゃないのか、あんたら全員。案外失踪しているはずの叔父が裏で糸を引いていたりしてね。あ、しまった。これをオチに使えば良かった。

「とにかくこの里の人たちの血筋について徹底的に調査研究を行えば、不老不死のメカニズムの謎の解明に一歩近づけるのではないかと思っているのですよ。場合によっては住人の皆様の協力の元、遺伝子調査等を行うことも辞さない覚悟です」

「はあ」

 そういえば昔、ファンタジーやホラー作品でいかにも荒唐無稽きわまる設定で大ヒットしながら、続編以降でそれに無理やり科学的考察をこじつけて蘊蓄を語っていくってやつが流行ったことがあったよな。

「何せ不老不死というものは、人類にとって有史以来追い求め続けてきた、永遠かつ最大の宿願ですからね。我々ミステリィ愛好家がそのテーマとして選ぶのに、これほどふさわしいものも無いでしょう」

 いや。みんなが不老不死なんかになったら、誰も死なずに殺人事件という概念が無くなってしまい、ミステリィ関係者は一人残らず、おまんまの食いあげになるかと思われるんですけど。

「何度もお急ぎのところをお引き止めしてしまい、誠に申し訳ない。それではまた、今宵の歓迎会のおりにでも」

 そう言って、今度こそ間違いなく退場していってくれる評論家を見送りながら、僕は頭の中で考えを巡らせていた。


 ──仮に不老不死となって、周りの親しい人たちが次々に死んでいくのを見せつけられるのと、突然記憶喪失となって、知る者の一人もいない世界へ放り出されるのとでは、どちらがより不幸であるのかと。

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