脇道
脇道を入ると、小さなパン屋があった。大通りから離れ、薄暗い路地に佇む店構えは商売っ気のなさを感じた。
扉を開けると、ドアベルがカランと鳴り、オレンジの照明に照らされたいくつかのパンが出迎えてくれた。陳列されたパンは芳ばしい香りを放つ。値段とパンの名前を見渡し、私はトングとトレーを手に取った。なかでも、艶やかなフルーツデニッシュに目が行った。小路に煌めく宝石のように見えた。
三種のベリーのデニッシュ。ストロベリー、ブルーベリー、最後はラズベリーだろうか。トレーに慎重に乗せて、レジへと向かう。
レジにはベルが置いてあった。これを押せと言うことだろう。商売っ気もないが、店番もいないとは。仕方なくベルを鳴らすと、奥から一匹の猫が現れた。白い猫だ。
「いらっしゃいませ」
私は呆然としながら、トレーを台に置いた。猫は透明のケースに、丁寧にデニッシュを入れてテープで封をした。それを緑の手提げ袋に入れながら、言う。
「一六〇円です」
千円札と六十円を出すと、器用にお札と小銭をレジスターに入れ、お釣りの九百円を出した。ドラえもんの手のように、お札と小銭が肉球に張り付き、レジスターに入れる様を私は初めて見た。それだけで千円札をチップで渡したくなる。
「ありがとうございました」
私はお金を財布にしまいながら、まだ猫を見ていた。白猫は首を傾げている。何かおかしいところでも?そんな風だ。
「あの、追加でお願いできますか」
「はい、どうぞ」
私は空の掌を猫に差し出した。握手もとい、犬の「お手」の様相だ。白猫は慣れた様子でぽんと私の手の上に前足を置いた。柔らかく、そして吸い付く謎の肉球だった。
「ありがとうございます」
私は礼を言い、店を後にした。
買ったパンを忘れたことに気付いたのは、家に着いた後だった。
その後、何度も同じ脇道を通るが白猫のパン屋は見つからない。
三種のベリーデニッシュ。
そして、魅惑の白猫。
頭のなかでこねくり回す情報。パン生地なら発酵を遂げている。
それらは白昼夢だったのだろうか。
ふと隣りを見ると、上司があの日の、緑の手提げ袋をがさごそと漁っている、
「白猫のパン屋さんですか?」
「ああ、よく知ってるな」
何故か自慢気な上司に構うことなく、袋の中身を勝手に確認した。
あんパンとクリームパンだった。
私は威嚇する猫のように上司を見たのだけれど、上司はどこ吹く風であんパンを頬張っていた。
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