第三章、その四

「確かに数千数万にも及ぶ過去の名勝負の棋譜や常に進化し続けている主だった定跡をすべて記憶し己の血肉とし、無限とも言える対局の行方の分岐を余すところなく予測計算シミュレーションできる凄腕の棋士たちは、神懸かりと言っていいほど尋常ならざる存在でありましょうが、しょせんは将棋盤の上というちっぽけな世界限定での話でしかありません。それに比べて我々ミステリィ系の作家においては、確かに扱っている世界そのものが絶海の孤島や吹雪の山荘等の凄絶なる怪事件が起こるにふさわしい、いわゆる『閉鎖世界クローズドサークル』に限定されがちとはいえ、そこに含まれる数十名もの人物の言動や思考の動向に始まり、具体的な舞台設定や事件に関わる人間関係や背景事情やら、もちろんミステリィ小説にとって必須の『証拠』や『証人』や『容疑者』や『凶器』やら、そして何よりも事件の推移から結末に至るまでの具体的なストーリーの流れ等々、そのすべてを──つまりはミステリィ小説という一つの世界そのものを、たった一人で創り上げなくてはならないのです。その試行錯誤シミュレーションの苦労や一つの作品を成り立たせるための知識や執筆テクニックの習得のために費やされた努力のほどは、けして凄腕の将棋指しの皆さんにも勝るとも劣らないことでしょう。このようにミステリィ小説を創るということは、限定されているとはいえ世界そのものを創るようなものであり、あなたが御自分の見た夢を小説化することで、それが現実のものと──すなわちとなるのも、別に不思議はないのです」


 は?

「……そりゃあ一応は同じ小説家として、ミステリィ小説作成が世界そのものの創造のようなものであるというのは何となく理解できますけど、だからといってそれがゆえに僕の作品が現実化してしまうことになるなんて、話が飛躍しているのでは?」


「だからそのためのあなたの『作者』としての、事件関係者全員の自作への──すなわちミステリィ小説関係の知識や情報に特化された集合的無意識への、強制的なアクセス能力なのですよ。これによってこそ、小説の現実化といった超常極まりないことが、現実性リアリティを微塵も損なうことなく実現できるのですからね」


「なっ。小説を現実のものとしながら、現実性リアリティを維持することができるですって⁉」


「ええ。先ほども申しましたが、小説内で描かれた世界も将来にわたって実現し得る『無限に存在し得る未来の可能性』の一つなのであり、可能性の集合体たる集合的無意識の中にちゃんと含まれているからして、『作者』の力によって強制的にアクセスさせられている事件関係者たちは、あなたの自作そのままの夢を見ることになるのですが、その中に描かれている『登場人物』としての自分──いわゆる『小説の中の自分』として完全になり切り行動していくことによって、その記憶が脳内に鮮明に刻み込まれることになって、あなたがある『登場人物』に殺害行為を行わせるように小説を記述した場合は、当該事件関係者も本当に殺意を抱くようになり、目覚めた後の現実世界においても殺害行為を実行し、小説の内容を現実のものとしてしまうといった次第なのです。とはいえ、もちろんこれはいわゆる暗示効果や催眠効果の域を出ず、ぶっちゃけ『睡眠学習』のようなものでしかなく、絶対に夢の──すなわちあなたの小説の通りに行動することになるとは限りませんが、それならそれで構わないのです。何よりも大切なのは、夢を通して殺意を芽生えさせる等暗示をかけることによって、あくまでも、事件関係者の全員があなたの自作の小説通りに行動していくを高めることなのであり、このことによってこそ本当に現実的かつ論理的に、小説の現実化などという超常なる現象を実現させることができるのですから」


「……何よりも大切なのは、可能性を高めることって」

「そもそも『小説に書いたことが現実のものになる』なんてことは、あり得るわけがないのですよ。それに対して元々将棋の対局の場同様に舞台セカイそのものが限定されていて、しかも何が起こっても不思議ではない状況下なら──例えば、誰が誰を殺そうがおかしくはないミステリィ小説そのままの怪事件の場においては、夢の中で与えられた『偽りの記憶』に過ぎなかろうと、事件の推移によっては現実に反映される可能性は非常に高いものと思われます。何せ事件関係者の全員が同じ小説に立脚した『偽りの夢の記憶』を刷り込まれているのだから、そのうちの一人の暴走が他の人たちに影響を与えて、連鎖的に皆が皆小説の記述そのままに行動していくことになるのも十分あり得ることでしょう」

 ──‼

「……いやでも、何で僕がそんな大それた力を持っているわけなのです? ──ていうか、そもそも事件関係者全員に同じ夢を見せるなんて、どう考えても不可能なのでは?」


「それについては最初にもちらっと申しましたが、おそらくあなたも私たちの一族同様に『夢の中の自分』を中心として、『目覚めた後の現実世界の自分』と特殊な形でシンクロできる力をお持ちだからですよ。ただし我が一族の予言の巫女たちが『夢の中の自分』を中心にして量子論における『重ね合わせ』現象に則る形で、無限に存在し得る『目覚めた自分』──すなわち『可能性の自分』のすべてと総体的にシンクロして、無限に存在し得る『未来の自分の未来の記憶』をデータにして、量子コンピュータそのままの量子ビット演算処理能力によって予測計算シミュレーションを行い未来予知を実現しているのに対して、あなたは『夢の中で見た自分』と『目覚めた後の現実世界の自分』とがまったく同じくあるように──つまりは、夢そのものが現実となるようにするという、強力無比なる『正夢化』の力を有しておられるようで、言わば巫女たちとは違って『夢の中の自分』と『現実世界の自分』とが一対一の関係となる特殊なシンクロ状態となられるわけですが、かといって先生お一人だけが『夢の記憶』に影響された言動をとっても、当然のごとく夢を現実のものとすることは不可能です。そこで事件関係者という限定された対象ではありますが、何とあなたは他人に対しても御自身同様に、『夢の中の自分』を中心にして『現実世界の自分』との一対一でのシンクロ関係を構築させることができる力を有していて、自作の小説そのままの夢を見せてその記憶を脳に鮮明に刻み込ませることで、まさに作内の『登場人物』そのままに行動させることをなし得るのです。そして何よりも、こうした『夢の中の自分』を中心にして『目覚めた後の現実世界の自分』とシンクロし合えるということも、小説も『未来の可能性の世界』の一つであり集合的無意識を介して夢として見ることも十分あり得るということも、これまで何度も何度も言及してきた通り、あくまでも可能性の上とはいえ量子論に則れば十分あり得ることなのであり、あなたが『夢の中の自分』と一対一での強力なるシンクロ関係にあることにより強力なる『正夢体質』を有しているからこそ、特定の他者に対して自作の小説そのままの夢を見せて、その記憶を各自の脳に鮮明に刻み込むことで、現実に小説そのままの行動をとらせることになるのも、十分あり得ることとなるのです。──何せ集合的無意識そのものの効果を持つ小説をネットに公開した時点で、世界中の人々がアクセスし得るのですからね。たとえ直接小説を目にすることがなくても、その内容そのものの夢を見る可能性は誰にでも生じることになり、事件関係者が我知らずに小説の──つまりは己にとっての未来の可能性の集合体である集合的無意識の影響を受けて、小説の『登場人物』そのままに行動し始めるのも何ら不自然なことではないのです。まさにこれぞ現実性リアリティを維持したままでの『小説の現実化』のからくりのすべてであり、あなたは今や一部の事件関係者にとってのみとはいえ、現実世界そのものの『作者』となられているようなものなのですよ」


 は? 僕が今や、この世界の『作者』になっているだって⁉


「ただし『世界の作者』であられると言っても、ただ単にあなたが小説の記述を書き換えたり書き加えたりするだけでこの現実世界を現在過去未来にわたって思いのままにできるようになるなんていう、まさしく『おとぎ話の中だけに存在し得る何でもアリのエセ神様』となられているわけではないのです。何せうちの一族の未来予測能力の仕組みの説明の際にも述べましたけど、そもそも『どんな夢でも正夢となる可能性があり得る』のですから。それというのも夢の中で創出シミュレートされているのは実際に起こり得る未来の無限の可能性の一つなのであり、それが現実のものとなろうが何もおかしくはなく、もちろんあなたが夢を基にしてしたためた小説が現実化したのも、別にあれこれ屁理屈をつけて論証する必要はなかったりするのですよ。『夢で見たものを現実化させる』ということは、言うなれば『予知夢を完全に的中させる』ことになり、これまで何度も申しましたようにこの世界には無限の可能性というものがあるので、絶対に実現不能と断言できるのです。これらのことについては、あなたがこれまで作成してきた夢を基にした小説が、そっくりそのままの内容で現実化したわけではないことこそが、如実に証明していると申せましょう」

「……た、確かに。一応は似たような内容になっていますが、何から何まで一緒というわけではないです」


「つまり小説の現実化といっても、十分現実的出来事の範疇に収まっているということなんですよ。言わばあなた自身もこの世界の『作者』とかという以前に、ただ単に『夢の中の自分』とシンクロしているからこそ、世間一般に普通にあり得る『夢が正夢となる』効果を少々増大ブーストさせることにより、あたかも夢を基にした小説が現実化したかのようになっただけなのであって、厳密に言うと『小説に書いたことが現実化した』というよりもむしろ『夢で見たものが現実化した』といった、いわゆる『予知夢』を見たようなものだとも言い得るわけであり、そういった意味からももしかしたらあなたも、私たち夢見鳥の一族と何らかの関わり合いがあるのかも知れませんね」


 ──っ。やはり、そうなのか? 僕には不幸な予言の巫女であるなんかと同様に、何か未来予知に類する力が秘められていたりするからこそ、強力無比なる『正夢体質』にして、自分や他人を自作の『小説の中の登場人物としての自分』と強制的にシンクロさせてしまうなんていう、超常の力を有しているわけなのか?

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