第三章、その三
そんな己の母親の正気を疑いかねないあまりにも予想外な台詞に、今度こそ完全に言葉を失いただ呆然となる
「……あの、
いきなり思ってもみなかったことを言われて猛然と食ってかかっていく僕であったが、当の竜睡先生のほうは微塵も動じることなぞなく、しれっと言ってのける。
「ええ、そうですよ? まあもっとも、すべては半ば無意識に行われていることなので、元凶などとは少々言い過ぎかと思いますけどね」
「……小説の現実化が、半ば無意識に行われているですって?」
「ええと、
「え、ええ、そうですけど……」
「ふうん。やはりいわゆる事件誘引体質に絡んでの、『小説化による正夢の実現率の向上化』を基本としているのですね。ということは原則的には、私たちの一族の未来予測能力の原理と同じ理論が適用できることになるわけですか」
「未来予測能力の原理って………………ああ、確か先日先生御自身がおっしゃっていた、『夢の中の自分』を中心としての総体的シンクロ化とかいうやつのことですか?」
「はい、そうなのですが、この前はちょっと調子に乗って複雑な話ばかりしてしまいましたけれど、もっとシンプルに考えればいいのです。『どんなに不思議な現象だろうと、必ず論理的にその発現を促す原因を解明できる』と。例えば未来予測のあり方の一つに『予知夢』というものがありますが、このような超常現象のメカニズムを論理的に解明することなんてどだい不可能かと思われるところではありますが、実はけしてそんなことはないわけで、要はとにかく先入観なぞ全部捨て去ってとことんシンプルに考えてみればいいのですよ。言わばこれは現在私たちが問題としている『小説の現実化』と同様に、予知能力者が見た『夢が現実化してしまった』とも捉え直すことができるのであり、その結果現実世界と『夢の中の世界』が同一のものとなってしまうのだから、当然それぞれの世界の中にいる現実の予知能力者と『夢の中の予知能力者』が同一の存在になってしまうということ──つまりは、シンクロ状態となっているというわけなのであって、しかもそういったことが実際に起こり得ることに関しては、それこそ先日現代物理学が誇る量子論に基づいて『実は
何と。つまりたとえ実際に夢で見たことが現実となろうとも、別にそれは『予知夢』などというSF小説もどきの超常現象によるものではなく、ちゃんと量子論に基づいた現実的に十分あり得る、『夢の中の自分とのシンクロ現象』が起こっているだけというわけなのか⁉
「もちろんそれは現在問題となっている、『小説の現実化』についても同様なのです。別にこれは神や悪魔等の超常的存在の仕業によって実現されているわけではなく、単に現実のあなたと『小説の中のあなた』とのシンクロ現象が起こっているだけなのですよ」
「いやいやいやいや。何ですか、『小説の中の自分』とのシンクロ現象って。そんな馬鹿げたことなんて、起こりっこないではありませんか⁉」
「いえいえ。無論これについても、ちゃんと量子論に基づいて論理的に実現可能性を説明することができるのです。というか、これってまさしく『夢の中の自分』とのシンクロと、論理上まったく同じものとも言えるのですよ。何せこの世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものが『形ある粒子でもあり形なき波でもある』という二重性を有していて、形なき波の状態の量子はほんの一瞬後の自分の姿である無限に存在し得る形ある粒子の状態の量子──つまりは形ある無限の『別の可能性の自分』と常にシンクロし合っているようなものであるという、量子論においては『重ね合わせ』現象とも呼ばれている、形なきミクロレベルにおける量子ならではの特異なる性質に準拠しているからこそ、極論すれば原理上、まさにその量子によって構成されている私たち人類も、形なき『夢の中の自分』と実際に目覚めるまでは無限に存在し得る形ある『夢から覚めた後の現実世界の自分』のすべてとがシンクロし合っている
「なっ、まさか⁉」
正直言って、夢と現実とがシンクロし合えることすら眉唾なのに、そんな胡乱な理論に上乗せする形で、今度は言うに事欠いて、現実世界と小説の世界とがシンクロし合うことができるだってえ⁉
「──ああ、ここで一応お断りしておきますけど、小説に書いたことが現実化すると言っても、あなたが小説に書きつづったものが何から何まで本当に──つまりは
「へ? 僕が強力な『正夢体質』? それに小説の物理的な現実化とか精神的な現実化とかって……」
「ミステリィ小説そのままの怪事件の夢を見た後で実際にもそれとよく似た事件に巻き込まれるといった、いかにもフィクションじみたことも、
「はあ? 事件関係者の全員が『正夢体質』で、しかも同じ夢を見ているなんて。むしろそっちのほうが、よっぽどあり得ないでしょうが⁉」
そんな僕の至極もっともなる反論に対しても、目の前の眼鏡美人の自信満々の笑みは微塵もゆらぐことはなく、むしろ我が意を得たりといった口ぶりで高らかに言い放つ。
「あら、お忘れですか? この世にはそれこそ夢の世界において誰もがアクセスすることのできる、集合的無意識という名の人類
…………あ。
「そもそもたとえ小説の中で描かれた世界であろうが、『どのような世界であろうとも将来本物の世界となる可能性がある』とする多世界解釈量子論に則れば、文字通り『未来の可能性』の集合体である集合的無意識のれっきとした構成要素に含まれているのであり、あなたがしたためたミステリィ小説そのままの夢を事件関係者の皆さんが集合的無意識を介して見て、そのフィクションならではの鮮烈なる記憶が脳みそに刻み込まれることによって、現実の事件の場においても『夢の記憶』そのままに──つまりはあなたの自作のミステリィ小説そのままに行動していくことも、十分あり得る話なのですよ」
「いやでも、それこそ
「できるも何も、それを現に行なっているのが、あなた自身の強力無比なる『正夢体質』であり、それを基にしてのこの
「へ? この世界の『作者』としての力って……」
「これまで必ずと言っていいほど『探偵役』を担ってこられたあなたは、ミステリィ小説そのままの怪事件の場においてはある意味『主人公』のようなものであるのですが、当然のごとく『主人公』だけではミステリィ小説は成り立ちません。『被害者』や『犯人』や『すべての黒幕』や『その他の脇役』等々の事件関係者の皆さん全員に、あなたの夢を基にしたミステリィ小説の『登場人物』そのままに振る舞ってもらう必要があります。そこであなたは『正夢体質』に基づく『作者』の力として、事件関係者たちに夢の中で集合的無意識に
なっ。実は僕は自分でも無意識に『作者』とやらの力を振るっていて、本来なら無限に存在するはずの『未来の可能性』が自作のミステリィ小説そのままに限定されている集合的無意識に、事件関係者の全員を強制的にアクセスさせてミステリィ小説そのままの夢を見せて、おのおのに『登場人物』としての記憶を刷り込んでいるだってえ⁉
「ちょ、ちょっと待ってください。それじゃまるで僕が自分の見た夢をしたためた小説が、今や集合的無意識そのものになっているようなものじゃないですか⁉」
「おお、言い得て妙ですね。実はその通りなのですよ。まさしく『作者』であられる先生こそが、本来無限の可能性を秘めているはずの集合的無意識を御自作のミステリィ小説として形を与え限定させて、夢を通して事件関係者全員を強制的にアクセスさせているわけで、もはやそれは『夢の中の自分』とのシンクロではなく『小説の登場人物としての自分』とのシンクロとも言うべきものであって、これぞ『作者』ならではの自他を問わない、自作の小説との強制的なシンクロ能力なのです」
「そんなまさか。いくら強力な『正夢体質』によって他人を自分が見た夢そのままに誘導できるからって、集合的無意識などという人智を超えた超自我的領域を、自作の小説そのままにカスタマイズしたりできるわけがないではありませんか⁉」
「いえいえ。現にある分野の達人たちは、集合的無意識を自分たちに都合がいいようにカスタマイズして、自由自在に使いこなしておられるのですよ?」
「ある分野って……」
「あなたもよく御存知の、将棋の真剣勝負の場のことですよ。元『高校生
へ? 将棋の勝負の場で、集合的無意識が使われているだと?
「実はプロアマを問わず凄腕の将棋指したちは、皆己の頭の中に自分だけの集合的無意識を持っておられるのです。──そう。『脳内将棋盤』と言う名のね」
「──脳内将棋盤って、まさか⁉」
「脳内将棋盤とは文字通り、プロ棋士や凄腕のアマチュア棋士の皆さんなんかが自身の脳内において見ることができるという、いわゆる現在の盤面の未来予想図のことですが、このように言うと何だか予知能力の一種みたいにも聞こえますけど、別に特別なものではなく、ある程度の将棋の腕前があればプロアマを問わず誰でも持ち得る、現在の盤面を踏まえてこれから先の対局の推移をあれこれと検討するための、言わば脳内に設けた仮想的な『思考実験用の将棋盤』のようなものに過ぎません。それに何よりもこれは本人の知識や経験や努力によって培われたものなのであって、別に超能力の類いなんかではないのです」
「脳内将棋盤──つまりは集合的無意識を自分の頭の中に有するようになることが、本人の知識や経験や努力の賜物ですって?」
「脳内将棋盤を有することで将棋の対局中に集合的無意識にいつでもアクセスできるということは、まさに超ハイスペックのコンピュータを使いながら将棋を指すようなもので、すべての定跡や過去の棋譜をいつでも参照できるのはもちろんのこと、これから先の展開の
「それってつまりは凄腕の棋士の皆さんはたゆまぬ努力の末に、自分自身の脳みそを将棋関係に特化した知識や情報が集まっている集合的無意識そのものとしてしまっているってことですか⁉」
すげー、将棋指しの皆さんってば、すげー。
そこら辺の三流SF小説の超能力者なんて、お呼びではないじゃないか。
あまりの想定外の話に完全に度肝を抜かれてしまった僕であったが、それに対してなぜか苦笑を漏らすSF的ミステリィ小説家。
「何をおっしゃっているのですか? 我々小説家だって、けして凄腕の棋士の方々にも引けを取らないではありませんか?」
「え?」
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