第二章、その七 JSきしのおしごと!(しゅうばんせん)
我が国最大の賭け将棋のメッカとして、
そこへ君が一歩足を踏み入れたとたん、さざ波のようなざわめきがわき起こった。
それも当然であろう。
今や君がまとっているのは、かつての着たきり雀のいかにも質素な白のワンピースなぞではなく、フリルやレースに飾り立てられた禍々しくも可憐なる漆黒のワンピースドレス──いわゆるゴスロリドレスと呼ばれるものであり、更には端整な日本人形そのままの幼い小顔には、数々の修羅場を乗り越えることで勝ち得た、見違えるほどに自信に満ちあふれた威厳と、殺人鬼すらも裸足で逃げ出しかねない凄みが備わっていたのだから。
目指す一番奥の将棋盤の前には、すでに本日の対戦相手が、静かに
そう。すでに『彼女』はいつも身に着けている今やトレードマークともなっている目隠しを外して、臨戦態勢となっているのだ。
それを見て君は、決意を新たにする。
──今日こそ負けるものか、と。
「……しかし何というか、
その時不意に声をかけてきたのは、ずっと君のすぐ隣を歩いていた、今日この時のために数々の修業をお膳立てしてくれた、小学校における担任教師
「お母さんが知り合いの催眠術師を連れてきた時には、何をやらされるものかと面食らったけどね」
「催眠術師ではなく、
「同じようなものじゃない。催眠術を使って診察をするんだから」
「そ、そりゃあ、そうだけどよ……」
どことなく納得いかないままに押し黙る、担任教師。
ちなみに
実は君も母親の知り合いの
「しかし実際に体験しておいてなんだけど、あれって本当に私の前世だったのかしらねえ。彼女たちってとどのつまりはかつて実際に存在していた、私同様に我が
そんな君の至極もっともな疑問の声にも、真横を歩く青年の足取りには微塵も動じるところなかった。
「確かに君が夢の中で『
「へ? 別の可能性の私って……」
「ほら、以前君のお母さんである
「はあ? 女子高生はともかく、戦国時代や第二次世界大戦中の巫女が、
「おや、忘れたのかい? これまた竜睡先生がおっしゃっていたじゃないか。『この現実世界が何者かが見ている夢であるかも知れないことは、けして誰にも否定することはできない』って。つまりもし仮にこの世界が戦国時代や第二次世界大戦中の巫女さんが見ている夢であったとしたら、彼女たちが夢から覚めたとたん──それが一瞬後か三日後か三十年後かは知らないけれど、間違いなく
「──‼」
「まあそうは言っても、その一方で彼女たちが単なる催眠術による架空の存在や君の脳みそが生み出した文字通り夢の産物でしかない可能性も、もちろん否定できないんだけどね。それでも君が夢の中で体験したことはすべて、本当に実在する人物の本物の人生の追体験だと思っていて構わないんだ。何せそのお陰でこうして君が一回りも二回りも大きく成長できたことには、間違いないんだからね」
そのように担任が結論付けたところで、君は折よく対戦相手が待ち構えている将棋盤の前へとたどり着く。
「──おや、これはこれは。すっかり見違えましたね」
そのようににこやかな笑みを浮かべながら開口一番いかにも親しげに声をかけてくる、盤前の巫女装束の少女。
すでに目隠しが取り払われ露になっている端整なる小顔の中の黒水晶の瞳は確かに君と瓜二つであったが、たった一歳しか違わないというのに、妙に大人びた妖艶さすらも醸し出していた。
それもそのはずである。
彼女こそは幼い身空でありながらまさしく幸福な予言の巫女の一族における最高実力者として認められた、当代の『巫女姫』なのであり、先日同様全身を黒装束に包み込み
なぜだか君は先の対局では彼のほうこそが気になって勝負に集中できず惨敗を喫してしまったのだが、今この時においては彼のほうへちらりとも脇目を振ることなく、ただ真っ直ぐに己の『姉』のほうだけを見据えていた。
「ふふ。どうやら修業の甲斐はあったようですね」
「ええ。今日こそ必ず、あなたに勝ってみせるわ」
「上等。あなたの底力というものを、見せてご覧なさい」
そして前回の勝者である『目隠し巫女』こと君の姉
無理もない。何せ今盤上で相対している両方共がいまだ幼き女子小学生でありながらも、この『オフ会』においてトップクラスの実力を誇っているのは言うまでもなく、『不敗の女王』であるはずの君が前回土をつけられた『目隠し巫女』に対して、雪辱を晴らそうとしているのだから。
ネットを通して観戦しているギャラリーたちの関心もこの一戦に集中しており、対局の開始以前ですでに、億単位の賭け金がベットされているとのことであった。
しかし文字通り生死を賭けた様々な修業をこなしてきた君は、そのような外野の動向に左右されることなぞ微塵もなく、ただひたすら得意の『受け将棋』に徹し、目隠し巫女の老獪で巧妙なる猛攻に耐え続けていく。
それは序盤はもちろん、前回は徐々に集中力が崩れ始めた中盤においても同様で、ついに勝負の行方は終盤戦へともつれ込んでいった。
そして今回先に変化を見せたのは、むしろ前回の勝者たる目隠し巫女のほうであった。
「──くっ」
これまで一途に指し続けた攻めをすべて君に受け切られてしまい、まさに万策尽きたようにして、初めて焦りの色を浮かべ自らの頭を抱え込む、幼き常勝の勝負師。
「姫⁉」
思わず黒衣の従者が駆け寄ろうとしたところ、そちらを振り向くこともなく、すかさず片手で制する。
「控えなさい。たとえ従者といえども勝負中に手を出せば、その時点で反則負けになってしまいますよ」
「はっ!」
なぜか当の本人よりも従者のほうがよほど焦燥感に駆られているように見えるのは、果たして気のせいであろうか。
「別に構わないわよ?
「……それは、あなたも一緒でしょ?」
「はんっ。あいにく私には父親なんかいないから、対局中にどうなろうが誰にも心配をかけることはないわ。──前回の対局の時のようにね」
「──っ」
その時誰よりも動揺を見せたのは、巫女姫の背後に控えている仮面の男であった。
「それよりも、もうすっかり攻めを切らしている御様子だし、いい加減潔く投了したら?」
「いいえ、まだ勝負はついておりませんわ」
そう言うやカッと目を見開く、すでに満身創痍の幼き少女。
「「「なっ⁉」」」
一斉にどよめく、周囲の外野たち。
何とその時目隠し巫女の両の瞳の光彩が、あたかも鮮血のごとく深紅へと染め上げられたのである。
──そう。まるで吸血鬼等の、人ならざる者であるかのように。
実はこれぞ幸福な予言の巫女が、その本性たる『人間量子コンピュータ』としての本領を発揮し始めた証しであった。
まさにこの時、一見もはや勝機がまったく無さそうな現状において、その少女は己の脳みそを限界までフル回転させて、無限に存在し得る未来の可能性をすべて
そこからはまさしく、定跡もへったくれもない、大乱戦となった。
目隠し巫女が予想だにしなかった妙手を連続して繰り出していけば、それを君が危なげながらもぎりぎりのところで受け切るという、熾烈なる攻防を幾度も繰り返していったのだ。
それでも当然のことながら、終局の時はやって来る。
「……まだ、まだよ。まだ何か手はあるはず。まだまだまだまだまだまだ──」
もはや瞳全体を真っ赤に充血させて、盤面を睨み続けている目隠し巫女。
彼女の持ち時間はすでに、後数十秒ほどしか残っていなかった。
「まだまだまだまだまだ、まだまだ、まだ、まだ、ま…………………だっっっ!」
そしてついに力尽きたようにして、幼い肢体が盤上へと倒れ込む。
「──お姉ちゃん⁉」
君は咄嗟に我を忘れて飛びつくようにして、その自分よりも小柄で華奢な身体を抱き上げる。
「お姉ちゃん、しっかりして! お姉ちゃん!」
君の胸元でようやくにして、再び瞼を上げる目隠し巫女。
「……やっと私のこと、お姉ちゃんと呼んでくれたわね、
「駄目、もうそれ以上しゃべらないで!」
「──姫をこちらにお渡しください。直ちに病院に連れて行きますゆえに」
ふと気がつけば、君のすぐ側に件の仮面の従者が、片膝をついて畏まっていた。
「……ええ。お姉ちゃんのこと、よろしく頼むわよ」
「はっ」
その男性と口をきくのは初めてだというのに、君の声音はいかにも冷たくそっけないものであった。
男は君から目隠し巫女を恭しく受け取るや、いわゆる『お姫様抱っこ』をして、その場からただちに立ち去っていく。
ただし君の担任の青年のすぐ傍らを通りかかったまさにその刹那、気を失っていたかと思われた巫女姫の少女が、密かに小声でささやきかけてきた。
「……どうやら愛明は、
「──っ」
「でも、肝に銘じておいてくださいませね。もしもあの子を泣かせるようなことがあれば、けして許しませんよ?」
「……ああ、覚えておこう」
そんな意味深なやり取りを終えるや、今度こそ会場を後にしていく巫女姫主従。
君はその時ただ呆然と、二人の後ろ姿を見送り続けることしかできなかったのである。
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