第二章、その五 いきなり戦場ロマンシリーズ『ナイトメアの魔女』

 気がつけば、『今度の君』は、完全なる暗闇の中にいた。


『──当機はこれより離陸する。ナビのほう、よろしく頼むぜ。恥ずかしがり屋の新顔君?』


 突然ほんの耳元から──より正確に言えば、頭部をすっぽりと覆っているヘルメットに内蔵されたヘッドフォンから聞こえてきた、男性の声。

 けれどもなぜか君には、自分にとって未知の外国語であるはずの彼の言葉の意味が、すんなりと理解できたのだ。


 するとまさにその時いきなり、全身に強烈なGがかかり、上半身を座席へと押し付けられる。

 どうやら小型の飛行機らしきものに乗っているようで、すぐさまふわりとした浮遊感に包み込まれた。

 耳をつんざく金属音。それについてもなぜか君は、世界初のジェットエンジンの、独特の発進音であることを知っていた。


 そのうち徐々に君は思い出す、ここは日本ではないどころか現代でもなく、第二次世界大戦中のドイツであり、自分が今座っているのは、世界初の夜間戦闘専用ジェット機Me262Bー1a/U1の後部座席──いわゆるレーダー手席であることを。


 とはいえ、君自身はドイツ人どころか、国防軍空軍省ルフトヴァッフェに所属している軍人でもなかった。

 何せ、ジェット機搭乗員用の上下一体型の飛行服の中に着込んでいるのは、純白のひとに緋色の袴という、俗に言う巫女服と呼ばれるものであることだし。


 そう。何と君はナチスドイツの同盟国である大日本帝国だいにっぽんていこく生まれの、ほんの十四、五歳ほどの少女であったのだ。


 視界がまったく利かないのも、無理はなかった。

 君ときたらヘルメットの中で、自ら目隠しなぞをしていたのだから。

 そうなると当然のことながら、せっかく後部座席だけに設けられているレーダースコープを視認することができず、レーダー手としてはまったく役に立てないと思われるところであるが、自他を問わずを予知し、それを自らの脳裏に映像ビジョンとして浮かび上がらせることのできる『不幸な予言の巫女』である君であれば、何の問題もなかった。

 君は不幸な未来の映像ビジョンを視ない限りは沈黙を守り続けていればよく、映像ビジョンが浮かんで初めて前席の操縦手パイロットに方向転換の指示を出すことになるのだが、それについても全方向に転換する未来を一通り吟味してから、けして不幸な未来が待ち構えていない方角──具体的には、敵機による被弾を受ける可能性がまったくない方角への、方向転換指示を出すだけでよかった。

 そうは言っても、未来というものに無限の可能性があり得るこの現実世界においては、不幸の予言といえども常に百発百中ズバリと的中するわけではなく、君はあくまでも災難に見舞われることを予言しているだけで、別に君の指示に従って方向転換しなくても、何事も起こらずに済むケースだって当然あり得たのだ。

 しかしたとえそうだとしても、少なくとも君の指示に従っておけば、間違いはなかった。


 確かに無駄な指示が含まれているとはいえ、君はわずかでも不幸になる可能性があり得る際には方向転換指示を出しているのだからして、とにかく君の指示にすべて従っておけば、結果的にかすり傷一つ負うことなく、無事に任務をやり遂げることができるのだ。


 ただしこのようなレーダー手としてはあまりにも常識外れなやり方を行っている限りは、本来レーダー手にとっての最も重要な任務である、レーダーを使っての索敵を始めとする攻撃方面に関する指示を与えることのほうは、まったく不可能となってしまうであろう。

 だが、これについても、何ら問題はなかった。

 この黎明期におけるジェット夜戦の操縦手パイロットのほとんどは、レーダーなぞ搭載されていなかった単発単座の昼間用戦闘機乗り出身者ばかりであり、レーダーに頼ることなく、味方のサーチライトや高射砲の炸裂光によって照らし出された敵機を肉眼で確認して突撃していく、『明るい夜間戦闘ヘレ・ナハトヤクト』や『荒くれ猪ヴィルデ・ザウ』などと呼ばれた戦法を得意としていたのである。


 もし仮に君がいわゆる『幸福な予言の巫女』であったなら、攻撃面において勝利を得る確率の高い戦法を操縦手パイロットに指示することになったであろうが、これまで何度も述べてきたように現実世界における無限の未来の可能性に基づけば、たとえ幸福な未来となる確率がいかに高い状態にあろうが、不幸な未来となる可能性がまったくないと断言することはできず、常に思わぬリスクが至る所に潜んでいるのであり、幸福の予言に従ったためにむしろ不幸な結果になる可能性すらあり得るのであって、やはり餅は餅屋ということで、攻撃に関しては専門家である操縦手パイロットに任せて、予知能力者の巫女としては防御面──つまりは、不幸の予言を駆使して事前での『すべてのリスクの可能性潰し』に専念すべきと言えよう。


 事実今回の帝都ベルリン防衛出動に際しても、君が防御面を完璧に担ってくれたこともあってか、当機の操縦手パイロットにしてドイツ空軍きっての夜戦の名手クルト=ヴェルター中尉においても存分に攻撃面に専念できたことによって、一夜にして英空軍における名機中の名機であるモスキート夜戦の四機撃墜という、新記録を打ち立てることをなし得たのであった。

 そして無事に発進基地へと帰投し、初めて君の姿を目の当たりにしたヴェルターは、さすがに驚きを禁じ得なかったようではあったが、それでもすぐに気を取り直してにこやかな笑みを浮かべながら、君に対して心からの感謝の意を伝えてきた。

「君ってもしかして、同盟国の日本人ヤパーナなのかい? ──いや、それにしても君の的確極まる回避指示には驚いたよ。お陰であの視界の利かない夜のベルリン上空の大乱戦の中で、一度も敵の攻撃にさらされることなく、まったくの無傷で済むことができたのだからな。いったいどんな離れ業を使っていたんだい? 絶対に明かすことのできない重要機密とかではないのなら、同盟国のよしみで是非とも参考までに教えてくれないか?」

 そんな手放しの称賛の言葉に対して、むしろ君は自嘲の念を抱きながら言い放つ。

「別に特別なことなぞ、何もやっておりません。私にはただ、『不幸な未来ビジョン』が視えているだけなのです」

「へ? 不幸な未来ビジョンって……」

「実は私は人に振りかかる災厄のみを予見することができるという我が国独特の術者の一族の血を引いておりまして、その能力を買われて大日本帝国陸軍直属のなか学校がっこうに訓練生として形ばかりとはいえ籍を置いて、こうして現在夜間戦闘における有効性を、実地に修練しているといった次第なのです」

「人の災厄を予見できるって、マジかよ⁉ いやそれにしても、そんな力がさっき君が実際に披露して見せてくれた尋常ならざる回避指示と、どう関わってくると言うんだ?」


「実を申しますと、私は先ほどの空戦の間中ずっと、未来ビジョンばかりを視ていたのですよ」


「なっ⁉」

「もしもあなたが私の回避指示にすべて従っていなかったら、今ごろあなたはこんがりとローストされた肉塊と変わり果てていたことでしょう。──私やこの機体を道連れにしてね」

「──っ」

 あまりに予想外の台詞を聞かされたために、思わず言葉を失ってしまう中尉殿。

 しかし彼はすぐに表情を改め、君に穏やかな口調で語りかけてくる。

「そうか。君が不幸な未来を漏れなく予知してくれたお陰で、俺が不幸になる可能性が事前にすべて潰されて、結果的にかすり傷一つ負うことなく、任務を無事に終えることができたってわけなんだな。改めて礼を言うよ。本当に力だね」

「……素敵な力ですって? 私のこの呪われた、人に不幸ばかりを呼ぶ予知能力が?」

「何言っているんだい、呪われてなんかいるものか。自分が不幸になる未来があり得ることがわかっていたら、そうならないように努力することができるじゃないか? 何せ未来というものはけして不変ではなく、人の手によっていかようにでも変えることができるのであり、そしてまさしく君の不幸の予言こそが、そのための格好の指針ともなり得るんだよ」

「私の不幸の予言こそが、人に未来を変えるための指針を与えられるですって?」


「そう。実は人の不幸を予言してこそ、真に人を幸福にすることができるってわけなのさ」


「──‼」

 目の前の男性によるまったく予想だにしなかった台詞に、その時君は瞠目し、返す言葉を完全に失ってしまう。


 なぜなら実はそれこそは、未来予知というものの本質を、見事についていたのだから。

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