第二章、その三 観用くだん少女『アンラッキードール』

「──よし、五百チップレイズして、勝負だ!」


「ふふふふふ。馬鹿なことをしたものね。──ジャックとクイーンのツーペアよ」


「悪いな、こっちはエースとキングのフルハウスだ」


「なっ⁉」


 その時会心の笑みとともに男がポーカー台の上に広げたカードを目にするや、怒気もあらわに立ち上がる、対戦相手の黒のイブニングドレスの妙齢の美女。

「ちょっと、何なの、あんた? さっきから見ていれば、自分の手が負けている時は必ず降りるくせに、自分の手が勝っている時に限って賭け金を上げて勝負に臨んでいるじゃない。こんなこと、自分のカードか山札に何か細工でもしていないとあり得ないわ!」

 最後の最後まで一方的に勝負に負けた悔しさのあまりの、いかにも言いがかりじみた物言いであるものの、確かに男のプレイスタイルはまるで自分と相手の手札がすべて見えていて、しかもこれからどんなカードがそれぞれに対して配られるか、事前に知り尽くしているかのようにしか思えなかったのだ。

 しかしその、いかにも気障な白のタキシードとパナマ帽に筋肉質の長身を包み込んだ三十代半ばの伊達男は、両手を大きく開け広げながら不敵な笑みを浮かべて嘯いた。

「おいおい、それは正式な抗議ってことでいいのか? 敗者が勝者の不正行為を指摘しておいてそれが濡れ衣だった場合、ペナルティとして敗者は勝者に全賭け金の十倍の罰金を支払わなければならなくなるんだぜ? こっちはそのほうが大儲けだから構わないんだけど、今から身体検査でもしてみるか?」

「──ぐっ」

 男の自信満々の姿に、細工なぞしていなかったのか、していたとしてもバレることなぞあり得ないのを確信しているのかを、見て取った敗者ルーザーの女性は、さも悔しそうな表情を隠そうともせずに席を立つや、挨拶も無しに立ち去っていく。


 それを潮時とするようにして、男は初めて君のほうへと視線を向ける。


 君はおずおずとポーカー台のほうへと向かうが、こんなとうきょう湾の埋め立て地の地下に密かに設けられている非合法カジノに、いかにもありふれた質素な白のワンピースを身にまとった小学生の女の子が迷い込んでいるというのに、不思議と誰一人として奇異な目で見る者はいなかった。


 ──まるで、むしろこれこそが、当然の仕儀であるかのようにして。


「お疲れさん、今回も助かったぜ」

「……別に。これも私にとっては、修業の一環だし」

「相変わらず固いねえ。本当にあのさんの娘なのかい? 裏方とはいえこうしてせっかくギャンブルに関わっているんだから、もっと楽しみなよ。よかったら今度は、お前さんが直に勝負してみないか?」

「はあ? いくらこの裏カジノにおいては、アシスト役として出入り自由になっているからって、『ドール』が表立って勝負したりできるはずはないじゃないの⁉」

 そのように慌てて言い募ってからようやく君は、目の前の男がにやにやと笑っていることに気づく。

 つまり、自分がからかわれていたことに。

 君は怒りと恥ずかしさのあまり、すぐさま男を怒鳴りつけようとしたが、それは生憎と果たせなかった。


「──ざわジョージ様で、ございますね?」


 唐突にかけられた、いかにも慇懃な声。

 男と共に振り向けば、そこにはロマンスグレーの髪の毛をオールバックに撫で付けた初老の男性が、黒い燕尾服をまとった痩身を前傾させ、こちらに向かって深々とお辞儀をしていた。

「……そうだけど、あんたは?」

「このカードフロアのチーフマネージャーにてございます。お手数とは存じますが、オーナーがあなた様とお会いしたいそうですので、どうかそちらのお連れ様と御同道お願いいたします」

「ふ~ん、オーナー様が直々に、御面会とはねえ。こりゃあ痛み入るぜ。──OK、案内してくれ」

「では、こちらに」

 物怖じすることなぞ微塵もなく、チーフマネージャーとやらに続いてバックヤードへと向かっていく男の背中を、危うく置き去りになりかけた君は、慌てて追いすがっていく。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 オーナー室に一歩足を踏み入れたとたん、君はまさしく完全に言葉を失ってしまう。


 それほどまでに目の前に広がっていたのは、異様な光景であったのだ。


 二十畳ほどはあると思われる広々とした室内を明々と照らし出している、天井のきらびやかなシャンデリアに、所狭しと飾り立てられている、豪奢な調度品や美術品の数々。

 そして床一面に敷かれた毛足の長い緋色の絨毯の上に適当に並べられている、多数の革製のソファ。

 その最奥の席で派手なピンクの三つ揃いスリーピースをまとってどっしりと座している中年男性こそが、この部屋の──否、この非合法カジノ全体のあるじである『オーナー』と思われるところであるが、ここで君たちを待ち構えていたのは、実は彼だけではなかった。


「うふふふふふ」


「あははははは」


「くすくすくす」


 その時幼いながらもどこか妖艶なる笑声をあげたのは、オーナーの男性を中心にして寄り添うようにして、隣のソファや彼の膝の上や足下の絨毯に座っている、色とりどりのドレスを身にまとった、君と同じ年ごろの見目麗しき十数名ほどの少女たちであった。

「よくぞ来てくれた、まあまずは、適当にその辺のソファに座ってくれ。──もちろん、そちらのお嬢さんもな。今、酒でも用意させよう」

 オーナーの言葉を受けて一礼するや、酒やつまみのオーダーのために部屋を出ていくチーフマネージャー。

 それを尻目に部屋の中の──主に大勢の少女たちの姿を見回しながら肩をすくめる、君の連れの男。

「──ふん、『ラッキードール』か。一度にこれだけの数を見るのは初めてだな。いや、壮観壮観。さすがは裏カジノのオーナー様、いい趣味しているぜ」

 ──ラッキードール。その言葉を聞いて、君は戦慄する。

 基本的に一族の隠れ里から門外不出の『幸福な予言の巫女』は、その存在を俗世間に知られることはないはずなのであるが、長い歴史のうちには君の母親のように何らかの理由で一族を出奔し世俗で暮らすようになった者も、極稀とはいえ存在していた。

 そういった者のほとんどは、『無能』と呼ばれる予知能力に目覚めることがなかった者たちばかりで、むしろ一族から見捨てられたようなものだったが、その子孫の中にはまさしく君のように隔世遺伝的に予知能力に目覚める者がいたのだ。

 その結果、この世の裏舞台でうごめくオカルト集団や犯罪者等の間で、いつしかこのようないわゆる『ハグレ巫女』たちが予知能力を持っていることが知れ渡っていき、密かに新興宗教の教祖に祭り上げられたり、犯罪の道具として使われていったのである。

 特にこの裏カジノを含む非合法なギャンブル界においては想像を絶する悪質さを誇り、何と借金の形として手に入れた幸福な予言の巫女の血を引く女性の遺伝子を基にして、クローニング等のバイオテクノロジーを駆使することによって、人工的な幸福な予言の巫女──人呼んで『ラッキードール』を造り出し、犯罪組織やギャンブラーや一部の変態趣味の好事家に売り渡すといった、人身売買まがいのことを秘密裏に行っていたのだ。

「──おやおや、おとぼけになっては困りますな。御自分だってそんなに可愛らしいラッキードールを、お連れになっているくせに。それもこちらの部屋に備え付けのモニターで拝見させていただいた、先ほどの勝負での見事な勝ちっぷりからするに、余程の特製品と思われる御逸品をね」

 そう言いながら君のほうへと、舐め回すようなねっとりとした視線を向けてくる、オーナーの中年男。

 そんな君をかばうように面前に立ちはだかりひょうひょうと答えを返す、ジョージと呼ばれたギャンブラー。

「こいつがラッキードールだって? 何を言っていることやら。さっきの勝負の間ずっと、こいつは俺から離れたところにいたし、お互いに目配せ一つしなかったじゃないか?」

「ふふん。どうせお互いにスマートフォン等の携帯端末を懐に忍ばせていて、そちらのお嬢さんが君に幸運が訪れようとしていることを予知するとともに、バイブ機能等を使って合図して、それに合わせて君はチップを上積みしたり勝負を降りたりしていたんだろうが?」


「おお、御名答──と言いたいところだが、残念だったな。こいつがラッキードールかどうかはともかく、幸福な予言の巫女というものはあくまでも、『幸福になれる』を予知しているだけなのであり、実はその予言には多かれ少なかれ必ずも秘められているのであり、幸福になり得る予知の合図が来たからって、手元のカードで絶対に勝てるとは限らず、一か八かを賭けてそのまま勝負に挑むくらいならともかく、俺が実際にやっていたように、あえて自ら賭け金を上積みしてリスクを増やしたりするはずはないだろうが?」


 そうなのである、自分自身何度も『予言』を行ってきた君ならば骨身に染みているだろうが、いわゆる『おとぎ話の神様』や『三流SF小説におけるエスパーや量子コンピュータ』でもあるまいし、この無限の可能性を秘めた現実世界においては、予言や未来予測といったものが100%ズバリ的中することなぞあり得ないのだ。

 実は現在のコンピュータ等の人工知能や、何と第二次世界大戦における世界初の大陸間弾道ミサイルであるかの有名なV2号ロケットに設置されていた制御装置に至るまで、未来予測的な仕組みによってあらかじめゴールを──例えばV2号ロケットで言えばロンドン到達を──設定しておいて、そのシステムを組み、必要に応じて様々な修正を施していくことで目的を達成するといった手法が採られていたのだ。

 つまりいまだ100%ズバリ的中する未来予測なぞを扱っているSF小説などといった創作物フィクションの類いは、とっくの昔に現実の科学技術の発展に追い抜かれてしまっているのである。

 けれどもジョージの至極もっともなる意見を耳にするや、むしろオーナーの男は我が意を得たりといったふうに表情を輝かせた。

「そう、まさしく君の言う通りだ。こうしてこれだけの数のラッキードールを買い入れて、ある一つの勝負の行方について同時にそれぞれ未来予測をさせても、てんでバラバラの予言を返してくるばかりで、ちっとも役に立ちはしなかった。これでは我が目的であるこのカジノにおけるなぞできっこなく、こいつらを買い取るのに大枚はたいて大損をこいただけだ。しかるに先ほどのポーカー勝負を見ていれば、君は一度も負けることなくすべての勝負に勝っておったではないか? よほどそちらのラッキードールは特別あつらえの改良品と思われる。──どうだね? 相場の十倍の金額を払おう。私にそのラッキードールを譲ってはくれないかね?」

 オーナーのあまりに厚顔無恥な申し出を聞くや、君は身を硬直させる。

 確かにジョージは君の母親の古くからの知り合いで、君も幼い頃から可愛がってもらってきたけど、ラッキードールの相場の十倍の金額といえば、文字通り目の玉が飛び出るほどの大金だ。

 しかも今自分たちがいるのは、非合法カジノのオーナー室という裏社会の最深部なのであり、小娘一人を一切の痕跡も残さずに闇から闇に葬り去ることなぞ造作もないのだ。

 君はいかにも不安げな表情で、今回の修業限定の即席相棒のほうへと見上げるが、その根っからのギャンブラーの男は、相も変わらず不敵な笑みを浮かべたままで、きっぱりと言い放った。


「残念ながらこいつはラッキードールどころか幸福な予言の巫女でもなく、世にも珍しき『不幸な予言の巫女』なんだ。それに俺にとってはこの世で一番大切な女性の娘さんでもあることだし、勝手にぱらったりしたらしこたま怒られて完全に縁を切られてしまいかねないんで、悪いけど、よそを当たってくれよ」


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


「──俺のラッキードールちゃ~ん♡」


「ちょ、ちょっと。どさくさに紛れて、小学生に抱きつくんじゃないわよ⁉ この酔っ払い! 通報するわよ? それに私は不幸な予言の巫女なのであって、『ラッキー』とか『幸せ』とかといったものには、一切関わり合いは無いんだから!」


 裏カジノでのポーカー勝負でたんまりと儲けたこともあり、行きつけのスペインレストラン兼飲み屋で盛大に二人だけの祝勝会を催し、閉店ぎりぎりまで飲み食いしてしまったことで、今君はこうしてすでに街灯の明りのみが灯っている、人気のまったく無い深夜の裏通りを、へべれけに酔いしれた男とそぞろ歩くはめとなっていた。

「……まったくもう、私の不幸の予言の力によって稼いだお金は、必要経費を除いて次回以降の修業の軍資金として積み立てておくというのが、お母さんとの約束でしょうが?」

「いやはや、とことんまで堅物だねえ、お前さんときたら。いいじゃないか、少しばかり役得があっても。何せこちとら裏カジノなんかで、文字通り命を張って勝負をしているんだからな」

「──うっ」

 そのように言われてしまえば、彼の戦いぶりを実際に目の当たりにしている君としても、それ以上何も言えなくなってしまう。

「それにさっきの台詞もそうだぞ? 何が自分は不幸な予言の巫女だから、ラッキーとか幸せとかといったものには関わり合いは無いだ、馬鹿言っているんじゃないぜ」

「え?」

 思わぬ言葉に君は咄嗟に、男のほうへと振り仰ぐ。

 そこにはこれまでになく──そう。彼にしては珍しくも、いかにも慈愛に満ちた笑顔が、君のことを見つめていた。

「そもそも何が幸福か不幸かなんて、人それぞれの捉え方次第なんだ。お前さんの『不幸の予言』なんて、まさにその典型なのであって、予言を授けられたやつの心の持ちよう次第では、むしろ幸福を呼び寄せることすらできるのさ。だってこのことはちゃんとさっきのポーカーの勝負の場で、俺自身が証明して見せただろうが?」

「……あ」


「お前さんはさっきの勝負において、俺が不幸になる可能性が──つまり負ける可能性がわずかでもある時だけ、スマホのバイブ機能で密かに知らせてきてくれて、それに応じて俺はどんなに手のうちのカードが勝利が確実と思えるほど良かろうとも、必ず勝負から降りた。もちろんそのまま勝負しても勝っていたかも知れないけどな。何せお前さんはあくまでも、『負ける可能性』を予知しているのであり、場合によってはのだから。だけどそれでも構わないんだ。とにかくお前さんの『不幸の予言』に従うことによって必ずその勝負から降りることで、俺は負ける可能性をすべて完全に潰してしまうことができるんだからな。それに対してお前さんが何も合図してこなかった場合は、その勝負においては負ける可能性がまったく無いということ──つまりは、絶対に勝てる未来しか無いということで、現時点の自分の手札がいかにも勝ち目のなさそうなものであろうが、手持ちのチップを全部つぎ込む勢いで賭け金を吊り上げて、一度の勝負だけでまんまと大金をせしめることができるって寸法なんだよ。──そう。幸福の予言も不幸の予言もどちらとも、幸福になる可能性も不幸になる可能性も同時に孕んでいるのであり、何ら違いはないのであって、要はあくまでも使い方次第なんだ。むしろ俺が実践したように、不幸の予言を使ってこそ、真に幸福をつかみ取ることができるってわけなのさ」


 まさに目から鱗が落ちたかのように、君は衝撃を受ける。

 目の前の男は何と、不幸の予言だって使い方によっては価値を生むと言い、しかもそれを実践して見せたのであり、つまりはそれは、忌まわしき不幸な予言の巫女である君自身にもちゃんと、価値があるのだと言ってくれたようなものであったのだ。


 しかも男の話は、それだけではなかった。


「本当はこんなこと、お前さん自身だって、とっくに気づいていたんだろ?」

「は? い、いえ、そんなことは……」

「だったら何でお前さんは、クラスメイトたちに対して不幸の予言を告げ続けていたんだい? ──それこそいじめまがいの目に遭ってまで。お前さんはどうしても助けてあげたかったんだろ? 近い将来不幸な目に遭う可能性があり得る級友たちのことを」

「──っ」


「ほんと、馬鹿な奴らだぜ。不幸の予言を気味悪がったり迷惑がったりせずに、『親切なアドバイス』を受けたものだと感謝こそして十分に災難に備えていれば、痛い目に遭うことを避け得るという『幸福』を手に入れることができたというのに。──まさしく、この俺みたいにね………………って。お前さん、いったい何を急に泣きだしているんだよ⁉」


 そうなのである。いつしか君はまるで赤子でもあるかのようにしゃくり上げながら、わんわんと泣き始めていたのだ。

 おろおろとなだめすかす相棒の男であったが、君がすぐに泣きやむことはなかった。


 何せ君はこの時、初めて知ったのだから。人は嬉しい時にも涙を流すということを。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 ──以下は文字通りに蛇足ではあるものの、聞くところによると例の裏カジノは、あれからすぐに閉店へと追い込まれたと言う。


 何でもオーナーを始めとする従業員が、何者かによって皆殺しにされてしまったとのことであった。


 ただし、君があいまみえた十数名ものラッキードールに関しては、死体が見つかることはなく、完全に行方知れずとなってしまったのであった。


 風の噂では、ついに我が国最強の異能者集団である、幸福な予言の巫女の一族が業を煮やして、ラッキードールを悪用していた組織や個人をことごとく殲滅して、自分たちと同じ血を引く彼女たちをすべて隠れ里へと回収し、一人前の幸福な予言の巫女として再教育を施していくことにしたとも言われていた。

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