第二章、その一 JSきしのおしごと!(じょばんせん)

  二、作中作『もっとこうの、もっとこうふくものがたり



「……まさか本当にとうきょうドームの地下に、非公然の裏カジノがあったなんて」


 その時君は、担任であり部活の顧問でもある青年の後について、ほの暗い照明しか点いていない地下通路を、引きこもり少女にとっての一張羅であるシンプルな純白のワンピースを身にまとって歩いていきながら、いかにも思わずといったふうにつぶやいた。

「おい、あまりきょろきょろし過ぎて、はぐれるんじゃないぞ。それからここでは僕のことは、『先生』とか本名の『あかつきゆう』ではなく、ネット上のペンネームである『うえゆう』って呼べ。公立の小学校教師が、教え子を賭け将棋に連れてきたなんて知られたら、大事おおごとだからな」

「え、でも、先生──いえ、も昔は凄腕の将棋指しとして、結構鳴らしていたんでしょう? こういうところにはその頃の知り合いもいるんじゃないの?」

「ユーキって、いきなり呼び捨てかよ……。とにかくそこら辺に関しては、心配はいらん。僕はアマチュアとはいえ高校生りゅうおう位を獲得するくらい、正道をただひたすら極めていたんだから、賭け将棋なんかのアンダーグラウンドには一切寄りついたことはないんだ」

「だったらどうしてこんな裏カジノの存在を知っていて、しかも小学生の女の子に過ぎない私を、出場者としてエントリーすることができたの?」

「何言っているんだ、ここを紹介してくれたのも、君をプレイヤーとして登録したのも、りゅうすい先生なんだぞ? ……ほんと、いったい何者なんだ? 君のお母さんて」

 ほとほと感服したかのようにため息すら漏らす担任の姿を見て、君は思い出す。プロの小説家である自分の母親が、とにかく各方面に顔が広く、いろいろとヤバい知り合いが多かったことを。


「……それにしても、本当に大丈夫なの? 凄腕の勝負師やプロ棋士はもちろん、話によれば、それこそ現役の竜王や名人めいじん等のトップクラスのタイトルホルダーすらも、お忍びで参加することもあるという、我が国最大の賭け将棋のメッカである通称『オフかい』に、私のような初心者でまだほんの子供なんかが、プレイヤーとして参加したりして」


 君はとうとう我慢の限界に達し、今まさに胸に抱えている当然の不安を口にする。

 しかしそれに対して担任のほうは、これまでのどこか物憂げな態度を一変させて、きっぱりと言い放つ。


「大丈夫だ、今の君なら、誰にでも勝てる──いや、誰にもはずだ」


「いや、『今の私』とか言われても。確かに学校の将棋クラブで、あなたからいろいろと指導してもらったけど、あくまでもそれは基礎的なことだけだったじゃないの?」

 そう。実は担任の青年は、引きこもっていた君を無理やり授業に参加させようとはせず、校内に将棋クラブをわざわざ君のためだけに新設し自ら顧問となって、とりあえず君にいわゆる保健室登校ならぬ『部室登校』をさせて、そこで将棋に関する基本的ルールと、『じょうせき』と呼ばれる基本的な勝負のパターンを、実戦形式で指導していったのであった。

「基本さえマスターしていれば十分だ。後は『不幸の予言』の使いよう次第で、すべての勝負は君のものさ。──お、着いたぞ。ここが賭け将棋専用の会場、通称『オフ会』だ」

 そう言って担任が壁面に設けられているインターフォンに何かしら一言二言告げるや、おもむろに両開きの扉が重々しく開かれていく。

 ちょっとした体育館といった感じの広々とした空間の中で、整然と並べられた多数の将棋盤を挟んで対峙している、皆一様に鋭い眼光を放っている、老若男女の勝負師プレイヤーたち。

 一見『観戦者ギャラリー』の姿が一人も見えないようだが、それもそのはず、ここでの勝負の行方は、それぞれの盤面ごとに設置されているカメラにより、ネットを通じて『会員』のみに送信されていて、彼らはどの勝負師プレイヤーに対しても好きなだけ賭け金をベットでき、賭けに勝てばそれぞれのレートに基づいた金額リターンを得て、勝負に勝った勝負師プレイヤー自身も賞金を獲得し、当然それは賭け金の多い勝負師プレイヤーほど、より多い金額リターンを得ることができるシステムとなっていた。


 このようにリアルの賭け将棋とネット将棋とを掛け合わせたような形をとっていることから、この賭け将棋の場は『オフ会』という隠語で呼ばれるようになり、それがいつしか定着してしまったという次第であった。


「……ええと、どこか空いている盤はないかなっと。──おっ、あったぞ。いっちょ揉んでやってこい!」

 気軽に言ってのける担任であったが、その瞬間周囲がざわついた。

 その時一人手持ち無沙汰に最奥の将棋盤の前で腕組みをして座していたのは、いかにも威風堂々とした壮年の男性であったが、別に彼は人数の関係上あぶれていたわけではなく、この賭け将棋のメッカにおいても、『常勝』と恐れられているほどのベテランの勝負師プレイヤーなのであって、うかつに挑んでいく者がいなかったのだ。

 それを初出場エントリーの小学生の女の子が勝負を申し出たのだから、会場の勝負師プレイヤーもネットの観戦者ギャラリーも大いに面食らってしまうのも当然であろう。

 しかしここは文字通り真剣勝負をモットーとした賭け将棋の場であり、年齢や性別はもちろん、プロかアマかベテランか初出場エントリーかなぞ関係なく、『実力』こそがすべてなのであって、基本的に挑戦された勝負はすべて受けて立たなければならず、壮年の男性自身も少しも動じることなく君の勝負の申し出を受け入れて、ルールに基づき初出場エントリーの君に対して先手を指す。

 君のほうも思いの外落ち着いた態度で、彼に続いて最初の一手を指した。


 そうしてしばらくの間は定跡通りの展開を見せていたのだが、中盤戦へと突入した辺りから、壮年男性の目の色が変わっていく。


「む?」

 一見自らのほうが優勢と思われる盤面であるが、いつしか彼は何かしら違和感を覚え始める。

「……ふむ」

 そんなえも言われぬ不安感を振り払うかのように、いよいよここでいつも通りの必勝パターンへと繋ぐ手を指す。

「なっ⁉」

 それに対していかにも何気なく指された君の一手を見て、彼は瞠目する。

 別に君は王手をかけたわけでも、彼の大駒を獲ったわけでもなかった。


 しかしその手は確実に、むしろ彼のほうが密かに指していた、王手へと繋がる道筋──いわゆる『』を断ち切ってしまったのだ。


 これが一度や二度の話なら、単なる偶然で済んだであろう。

 けれどもその後も、彼がベテランならではの豊富な経験と勝負勘に裏打ちされた、勝ちに繋がる一手を指すたびに、たちまち君がまさに狙いすましたかのような巧妙な一手を指すことで、すべてを御破算にしてしまうのであった。


 そんな繰り返しのうちに、ようやく彼は気がついた。まさしく君がやっているのが、『受け将棋』であることに。


 受け将棋とは、相手側ばかりに攻めさせる一方で、自分のほうはあくまでも防御に徹して、相手の攻めを完全に切らせることで勝利を得るという戦法のことであった。

 とはいえそれを実行するためには、攻め手以上に将棋における定跡──いわゆる無限に存在し得る勝ちパターンを熟知していなければならず、そして何よりも将棋の勝負という長丁場において何時間にもわたって、ひたすら相手の猛攻にノーミスで耐え忍び続けるという、鋼の精神が無いと務まらないのであり、本来なら初心者の小学生の女の子が、最初の実戦でなし得るはずはなかったのだ。

 実際君の戦いぶりときたら、対戦相手であるベテランの勝負師プレイヤーから見ても素人丸出しであり、とても過去の定跡をすべてマスターしているようにも、彼の猛攻を自覚的に防衛しているようにも見えず、ほとんど考え無しに適当な手を指しているようにしか思えなかった。


 それなのに君はあくまでもノーミスであり続け、むしろどんどんと彼のほうを追いつめていき、ついにはその攻めの手を完全に切らせてしまったのだ。


「──参った。もうこちらには、指す手が何もない!」

 とうとう自ら投了ギブアップを宣言する、相手側の壮年男性。

 君は安堵のあまり大きくため息をつくものの、それほど疲れている様子でもなかった。

「いったい何なんだ、君は? まったくのノーミスのままで、完全に私の攻めを切らせてしまうなんて。よもやその歳で、主要な定跡をほとんどすべて暗記しているわけなのか?」

 勝負を終えての定例の感想戦に入るや、意気込んで問いただしてくる壮年男性。

「いいえ、私はただ、だけなの」

「視えているって、何が?」


「私が未来ビジョンよ」


「は?」

 君の思わぬ言葉に、目を丸くする目の前の男性。

「頭の中で次に指す手を考えるごとに、王手をかけられたり自滅したりして、最終的に敗北する映像ビジョンが浮かんでくるの。それで別の手を考えるんだけど、更にまた敗北する映像ビジョンが浮かんだりしてね。結局ほんの数瞬の間にこういったことを何度か繰り返した末に、次に指す手を考えてもまったく負ける映像ビジョンが浮かばなくなるんだけど、つまりそれこそが絶対に敗北に繋がることのない完全に安全な手ということで、ようやく安心して指すことができるというわけなのよ」

「自分が王手をかけられる映像ビジョンが浮かぶだって? ちなみにその時に、私のほうが王手をかけられる映像ビジョンが浮かんだりはしないのか? そっちのほうが確実に勝利を得ることができるだろうに」

「それでは意味がないのよ。何せ私は自分や他人の不幸になる予測計算シミュレーションする力を持っているのであり、あなたが負ける可能性がある手を指してみたところで、可能性はあくまでも可能性に過ぎず、必ず私の勝利に繋がるとは限らないのであって、むしろ私のほうが負けに繋がる可能性だってあり得るの。それに対して、とにかく頭に浮かんだ自分の負ける可能性のある手を一切指さなかったら、当然のごとく、少なくとも自分が負けることだけは絶対に無いわけで、後はあなたがミスをしたりして自滅するのを待つだけでいいのよ」

「なっ、まさか。実際上は完璧な『受け将棋』を行いながら、主要な定跡をマスターしているどころか、目の前の対戦相手である私の駒運びや読みすらも、見極めていなかったというわけなのか⁉」


「ええ、ただ単に自分のほうはミスをしないでいて、相手がミスをするのを待ち続けるだけで、自然に勝ちが転がってくる将棋の勝負の場にあっては、実のところは『大局観』なんて必要ないってことなのよ。何せその場その場の危機をすべて回避していけば、完全にノーミスを堅持できて結果的に勝利を得ることができるのですからね」


 君の言葉を聞くや、茫然自失となる対戦相手。

 無理もなかった。


 何せ彼はこれまで長年にわたって培ってきた将棋の勝負の場における価値観を、完全に覆されてしまったのだから。


   ☀     ◑     ☀     ◑     ☀     ◑


 それ以降も君は、誰と対戦しようが一度もミスを犯すことなく、文字通り完璧な『受け将棋』をし続け、相手側の勝ち目を無くし投了に追い込み、連戦連勝を記録していった。


 これまで君が負かした相手の中には、高名な勝負師プレイヤーを始めとして、密かに参加していたプロのタイトルホルダーすらも含まれており、ポッと出の小学生の女の子による大番狂わせにより、最初のうちは賭けの行方は大荒れとなってしまったものの、次第に観戦者ギャラリーたちは君の勝ちっぷり自体に熱狂していき、君の人気はうなぎ登りになっていく。

 当然ファイトマネーのほうも天井知らずに上昇していったものの、担任はそれらの使途については、「のための軍資金にするつもりだ」などと述べていて、君は将棋以外にも何かやらされることになるわけなのかと、戦々恐々となるばかりであった。

 それはともかくとして、とにかく君ときたらすべての勝負において『受け』に徹することで、完璧な勝利を収め続けていき、その鉄壁の防護壁を打ち破らんと次々と腕に覚えのある挑戦者たちが現れるものの、そのことごとくを難なく退けていき、いつしか『はい女王じょおう』とすら呼ばれるようになる。

 とは言っても、別に君自身は自覚的に勝利のために策を弄しているわけでもなく、相変わらず定跡に頼っているわけでもなく、ただ単にその場その場において『不幸の予言』を駆使することによって、自らが負けに繋がる可能性のある手をけして指さないことを堅持し続けることで、むしろ相手のほうがミスするのを辛抱強く待ち続けているだけであった。

 それにこのようにして、不幸の予言の力を使って勝負に勝つことによって、君は何よりも不幸の予言に──ひいては自分自身に、立派に価値があることを生まれて初めて認識し、しっかりと噛みしめることができたのであり、実はこれこそが、担任の青年が君に将棋を教えて、こんな裏カジノの賭け将棋に参加させたことの、最大の目的であったのだ。


 そう。これまでのところ、一見すべては順調であった。


 しかし『好事魔多し』とは、まさにこのことか。


 このようにこのまま連勝記録──いや、完全記録を重ねていくばかりと思われた矢先に、ついに『彼女』が君の前に現れたのであった。

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