第一章、その二

「へ? 集合的無意識って……」


 それって確か、心理学用語か何かだったと思うけど、なぜかSF小説やライトノベル辺りでよく取り上げられる割には、いまいち要領を得ないんだよな。


「ちなみに集合的無意識と言っても、最近とみに見かけるSF小説やラノベにとって都合のいいように、いわゆる『アカシックレコード』や『マヤ暦』もどきのいんちきな代物ではなく、ちゃんと量子論を始めとする現代物理学に基づいた、あくまでも現実的な真の集合的無意識のことですよ?」


「量子論に基づいているって、いや確か集合的無意識ってかの有名なユングが提唱した心理学における理論の一つで、すべての人間の精神世界のうち最も深層にある無意識の領域が繋がり合っているという──つまりは、この世のありとあらゆる情報が文字通りという、いわゆる超自我的領域のことじゃなかったですっけ?」

「ええ。基本的にはその見解で結構ですが、先生には是非とも我が一族の力について真に御理解してもらうためにも、ここはより学術的にかなり込み入った話をさせていただきたいかと存じます」

 そのようにあらかじめ断りを入れるやこれまでになく真剣な表情となり滔々と語り始める、SF方面だけでなく何やら心理学方面にも明るいらしい作家殿。


「そもそも集合的無意識とは、スイスの誇る高名なる心理学者カール=グスタフ=ユングが提唱した心理学用語で、人の精神というものには表層的で自覚的な『意識』や、無自覚的だが比較的浅い層に存在する個人的な『無意識』以外にも、心の最も奥底において全人類的に共通したいわゆる超自我的領域が存在しており、我々人類の精神は普段は意識できないこの最深層においてすべて繋がり合っているとしているのですが、このように言うと、いかにも非科学的かつ超自然オカルト的な眉唾物のようにも聞こえるかも知れませんけれど、実は心理学の分野においてはむしろ基本的な理念の一つなのであり、就寝中の夢において本人の記憶や知識には無い突拍子もない内容のものを見たり、精神病患者の妄言が実在の古代宗教の教義に奇妙なまでに一致するなどといった例が、少なからず見られるように、睡眠中や妄想中等の特殊な精神状態においては、本来なら本人の与り知らぬはずの情報すら存在している、全人類に共通した超自我的な精神領域にアクセスし得る可能性は、心理学上においてはけして否定できないのです。つまりユングは集合的無意識という全人類共通のデータベースが存在していて、そこには過去の歴史上の全情報が集積しており、我々は毎夜の睡眠中の夢や白昼夢等を見ることによってアクセスすることができ、突然まったくの別人であるかのようになったり、未来の光景を垣間見たりすることになるという、少々心理学的には度を超したオカルトじみた説を唱えていたわけですが、実はこれは現代物理学──特にその代表的理論である量子論に裏付けられた、れっきとした現実的な言説なのであり、しかもこれに基づけば私の一族ならではの未来予知能力を始め、すべての超常現象が実現可能となるのです。ただし、ユングの説くところの集合的無意識なるものを一口でまとめて言うと、『有史以来の──つまりは、の全人類の記憶や知識の集合体であり、唯一夢を介してのみアクセスできるもの』ということになりますが、確かにこれは物理学に照らし合わせても非常に納得のいくものでありつつも、特に量子論等に則り厳密に言えば、別に『過去』や『夢』に限定する必要はなかったりするのです。それというのも、実は量子論で言うところの『この世界には無限の可能性があり得る』という最も基本的な原理に則れば、夢から目覚めてみたらそこが我々の知っている『現実世界』であるとは限らないのですよ。なぜなら、この可能性だって、けして否定できないのですから」


 ……………………………は?

「この現実世界が実は、誰かが見ている夢であるかも知れないですって⁉ そんなまさか!」

「おやおや、あかつき先生におかれては、かのそうの『この世界は実は一匹の蝶が見ている夢かも知れない』とする、『ちょうゆめ』の故事は御存じではないのですか? それに中国においては『ホワンロン』という、それこそこの現実世界そのものを夢として見ながら眠り続けている神様が存在しているとする神話があるくらいなのですよ?」

「……馬鹿馬鹿しい。そもそもが『この現実世界を夢見ているという蝶』自体が、荘子の見た夢の産物に過ぎず、『この現実世界を夢見ているという龍』自体も、神話上の──つまりは、我々人間の想像上の産物に過ぎないのではないですか?」

 そんな僕の至極もっともな反論に対して、しかし目の前の見目麗しき女性はむしろいかにも我が意を得たりといった感じで、表情を綻ばせた。


「そう、そうなのです! ホワンロンなんているとは決まっていないことこそ──すなわち、確かにこの世界が夢かも知れない可能性は否定できないものの、当然その一方で間違いなく現実のものでもあり得るはずだという、存在可能性上の『二重性』こそが、ひいては、集合的無意識へのアクセスを可能とするのですよ!」


「は、はあ?」

 自分で話題に上げたホワンロンの絶対性をいきなり否定したかと思ったら、むしろそのいるかいないか確かではないあやふやさこそが、集合的無意識へのアクセスを可能にするだと?

「ふふふ。公立小学校教師明石月ゆうにして、実は密かにネット上において数々のミステリィ作品を発表なさっている『うえゆう』先生におかれては、こう言ったほうがわかりやすいでしょうか? 『実はこの世界やその中に含まれている我々人間を始めとする万物は、現実の存在であるとともに、夢の存在でもあり得る可能性を、常に同時に有している』──これって、何かを連想しません?」

 ──っ。まさか、それって⁉


「そう。御存じ現代物理学の根幹をなす量子論における基本的理論である、『我々人間を始めとするこの世のすべての物質の物理量の最小単位である量子というものは、粒子と波という二つの性質を同時に有していて、形なき波の状態においては、次の瞬間に形ある粒子となってどのような形態や位置をとるかには無限の可能性があり、そのため量子のほんの一瞬後の形態や位置を予測することすら不可能なのである』そのまんまでしょう? つまり私たち人間には観測できないミクロレベルにおいて形なき波の状態にある量子は、次の瞬間に形ある粒子としてとるべき無数の形態や位置の可能性が同時に重複している状態──いわゆるこれぞ、量子論で言うところの『重ね合わせ』状態にあるという、独特の性質を有しているとされているのですけど、あくまでも現実世界マクロレベルの存在である私たち人間には、このような微小世界ミクロレベルにおける量子ならではの特異な性質は適用されないというのが、これまでの量子論における主流的見解だったけど、人間も量子同様に夢等の形なき世界の存在でもあるという二重性を常に持ち得るとしたら、まさにその量子ならではの特異なる性質──すなわち、『形なき「夢の世界の自分」においては、夢から目覚めた後に無限に存在し得る、形ある「現実世界の自分」になり変わる可能性があり得る』という性質を有することになるのです。確かに常識的に考えればあなたのおっしゃるように、現実世界に生きる我々が、出来事をあらかじめ予知することなぞできないでしょう。しかしもしもこの現実世界そのものが夢であったとしたら、ほんの一瞬後に目が覚めることによって、たる別の世界の別の自分となる可能性があり、そしてその『世界』や『自分』は、実際に目が覚めるまではどのようなものになるかはけしてわからない──つまり文字通り無限の可能性があるわけなのであって、まさにこれこそが『自分や世界そのものにとっての未来には無限の可能性がある』ということなのであり、言わば現時点の自分を夢の存在として見なせば、ミクロレベルの量子同様に、どんな『目覚めた後の未来の自分』になるかの無限の可能性が、『重ね合わせ』状態に──すなわち、『夢の中の自分』は全人類が該当し得る『目覚めた後の現実世界の自分』と、『重ね合わせ』状態にあることになり、全人類の記憶や知識とアクセスすることすらも可能だという、文字通り『超自我』的状況にあって、まさしくこれこそが量子論に則った形での、集合的無意識の正体とも見なせるのですよ。しかもこの現実世界を夢として見ているかも知れない、『何者か』なるもの──名付けて『夢の主体』が、過去の人物や異世界の存在や下手すると人類以外の森羅万象や、場合によっては我々が小説や漫画やゲーム等の創作物フィクション登場人物キャラクターと見なしている存在だったりする可能性もあるわけで、何と集合的無意識には時制や世界そのものの範疇すら問わず、理論上ありとあらゆる存在の記憶や知識が集まってきていることになるのです。ユングの言うところの集合的無意識とは、これらの『夢の主体』の記憶や知識の集合体ということになって、我々はそれらと睡眠中の夢や白昼夢においてのみアクセスできるということは、つまりそれは具体的には、夢の中で戦国武将や異世界の勇者になりきり、そのことに他ならないのです。確かにすべての人間の記憶や知識が精神の最深層で繋がり合っているなんて言うと、いかにもオカルトめいていますが、集合的無意識とは実は量子論で言うところの、我々人類を始めとする森羅万象にとっての無限に存在し得る『未来の可能性』の集合体なのであり、これは将来真に理想的な量子コンピュータが実現したら実際に予測計算シミュレーションし得て、けして非現実的なものではなく、しかもユングが言うように夢の中でなら我々普通の人間でもアクセスし得る可能性があって、更にはこの現実世界そのものが何者かが見ている夢であるかも知れないという可能性をけして否定できない限りは、我々は常に現実の存在であると同時に夢の存在でもあり得るという、量子同様の『二重性』を有することになり、量子特有の『重ね合わせ』現象に則する形で、覚醒中においても現在の全人類はおろか時制や世界そのものの範疇すら問わずありとあらゆる存在が該当する、無限に存在し得る『目覚めた後の自分』の記憶や知識と、いつでもアクセスできる可能性すらも秘めていることにもなるのですよ」


 な、何と、この現実世界そのものが夢でもあり得ることはけして否定できないゆえに、現時点の自分を夢の存在と見なすことによって、量子論における『重ね合わせ現象』に則る形で、集合的無意識にアクセスすることは必ずしも不可能ではなくなるだと⁉


「それで以上の諸々を受けてここら辺で本題の未来予測能力についての話に戻ろうと思いますが、何を隠そう、私たち幸福な予言の巫女の一族においては、まさに真に理想的な量子コンピュータそのままに、原則的に無限のビット数を誇る量子ビット演算処理を実現し、未来の無限の可能性を予測計算シミュレーションすることによってこそ、未来予測をなし得ているのですよ」

 ……………は?

「真に理想的な量子コンピュータそのままって……」

「実は私たち幸福な予言の巫女の一族の者は、夢の中でも自覚的に振る舞うことができるのです」

「へ?」


「というか、『夢の中の自分こそ、本来デフォルトの自分である』と言ったほうがいいかしらね。そう。言うなれば私たち幸福な予言の巫女の一族の者は、形ある『現実世界の自分』と形なき『夢の中の自分』という、相反する二つの性質を同時に有しているわけなのですよ。──あたかもね」


 ──‼


「しかもここでむしろ『夢の中の自分』のほうこそを起点に考えれば、『現実世界の自分』には無限の可能性があることになるのです。何せ実際に目覚めるまでは、『どんな自分』になるのか定かではないのですからね。まったくの別人になる夢を見ることなぞ、普通にあることですし。まさにこのことを『夢の中の自分』を起点にして言い換えると、目が覚めた後でそれこそ地球の裏側のまったく見ず知らずの赤の他人になることだってあり得るわけであり、それどころかまさしく『ちょうゆめ』を例に取り上げるまでもなく、動植物や路傍の石ころすらも問わず、森羅万象のすべてになり変わる可能性だってけして否定できず、場合によっては、遥か数百年前の戦国武将や数百年後の未来人や宇宙人や異世界人が見ている夢である可能性すらもあり得るのであり、つまり『夢の中の自分』を起点にすれば人は誰でも目が覚めたとたん、まったくの別人を始めとする森羅万象のすべてとなり変わったり、過去や未来や宇宙や異世界へと転移する可能性があり得るわけで、まさしくミクロレベルの形なき波の状態の量子同様に形なき『夢の中の自分』は、次の瞬間の己自身である無限の形ある『現実世界の自分』である、時代や世界の範疇すらも問わない森羅万象のすべてと、『重ね合わせ』状態にあり、ある意味常にお互いにアクセスし合っているようなものでもあって、ほんの一瞬のみデータをやり取りするだけで、森羅万象ひいては過去や未来の世界や異世界をも含む世界そのものの、無限の未来の可能性を予測計算シミュレーションできることになるのです。まあ言ってみれば、我々幸福な予言の巫女の一族の者は、『夢の中の自分』を起点として無限に存在し得る『別の可能性の自分』のすべてと、シンクロし合うことで、量子コンピュータそのものと化しているようなものなのですよ」


「『夢の中の自分』を起点にして、過去や未来や異世界すらも問わず、森羅万象のすべてとシンクロすることによって、量子コンピュータそのままに未来予測を実現できるようになるなんて、そんな馬鹿な⁉ それこそSF小説辺りの与太話でもあるまいし。そもそも夢の中で自覚的に行動できるなんてこと自体が、原則的に不可能でしょうが⁉」


「そんなことはありませんわよ? 私はただ単に、『人はまったくの別人や過去や未来の人物や異世界人になる夢を見る可能性があり得る』という、当然なことを言っていて、そしてそれを『夢の中の自分』を起点にして言い換えているだけですので」

「いやいや、その『夢の中の自分』を起点にしているところこそが曲者なのであって、あくまでも我々現実世界の人間はこの現実世界こそを起点に考えるべきなのであり、つまり夢ではあり得ないこの世界においては、ほんの一瞬後にまったくの別人になったり戦国武将になったり未来人になったり異世界人になったりするなんてことは、けしてあり得ないのですよ!」


「確かに『夢の中の自分』を半ば恣意的に、無限に存在し得る『別の可能性の自分』のすべてとの、総体的シンクロ化における起点にすることができるのは、我々幸福な予言の巫女の一族の者くらいのものですが、たまたま偶然に『夢の中の自分』を起点にすることによって、『別の可能性の自分』となり変わることなぞ、誰にだってあり得ることなのですよ? 何せ先ほども申し上げたようにすべての大前提として、この現実世界そのものが何者かが見ている夢である可能性は、けして誰にも否定できないのであり、極論すればこの世界が夢か現実かは、常に半々の確率フィフティフィフティなのであって、我々幸福な予言の巫女の一族の者のみならず、人は誰でも形ある『現実の存在』でもあり形なき『夢の中の存在』でもあり得るという、二重性を有することになり、まさしく量子ひいてはその性質を受け継いでいる量子コンピュータそのままに、無限に存在し得る『別の可能性の自分』のすべてと総体的シンクロ化することによって、量子ビット演算処理を実現し、森羅万象ひいては世界そのものの未来の無限の可能性を、予測計算シミュレーションすることすらもなし得ることになるのです。──まあ、そうは言ってもあくまでもこれは、可能性としての話でしかなく、もし仮にこの現実世界が夢であるとしても、それを自覚している人なんてほとんど存在するはずがなく、夢の中においても自覚的に行動できる我々幸福な予言の巫女の一族の者だけが、量子コンピュータそのままに総体的シンクロ状態を構築し、恣意的に未来予測を実現できているという次第なのですよ」


 だからといってこの現実世界が夢かも知れないなどという、いかにも使い古された詭弁なんて弄すること自体が、反則というものだろうが?……って、ちょっと待てよ⁉

「ま、まさか、その理論に則れば……」

「ええ。現代物理学における最大の懸案事項であった、『シュレディンガーのねこ』問題が解決することになるのです」

「‼」

 ま、マジで、こんなところで? 本当にいいのかよ、おい⁉


「量子が実際に観測されるまでは無限の形態や位置を同時にとり得るという、いわゆる『重ね合わせ』状態であり得るのは、あくまでも文字通りに我々が観測することのできないミクロレベルの話に限られるのであって、『シュレディンガーの猫』の思考実験のように、たとえ箱の中に閉じこめられて我々から観測できない状態にあろうと、この我々の現実世界──言うなればマクロレベルにおいては、箱の中に仕込んだ毒ガス発生装置によって、『死んでしまった猫』と『奇跡的に生き続けている猫』とが同時に重ね合わせ状態となって存在し続けることなぞあり得ないのであり、言わば現代物理学はこの見解に基づいているからこそ、もし仮に量子の性質を有する量子コンピュータを実現したところで、量子にとっての理想的物理空間であるミクロレベルと、様々な物理現象が干渉し合っている現実的物理空間であるマクロレベルとの差異が存在することによって、量子コンピュータの基本的作動原理である『量子的干渉コヒーレンス性』が極短時間で失われてしまう、いわゆる『デコヒーレンス』現象が生じてしまうゆえに、量子ビット演算処理なぞとても実現できないというのが定説でしたが、もし仮にこの形あるマクロレベルである現実世界自体が、ひょっとしたら形なきミクロレベルの一種とも言える夢の世界であるかも知れないという、まさしく量子そのものの二重性を常に持ち得るとしたら、この世の森羅万象のすべてにおいて、ミクロレベルにおける量子ならではの特殊性が該当することになり、真に理想的な量子コンピュータを実現することもけして不可能ではなくなって、この世の森羅万象ひいては世界そのものの、無限の未来の可能性を予測計算シミュレーションすることすらもなし得ることになり、そしてまさに人の身でありながらすでにそれを実現しているのが、幸福な予言の巫女ということになるのですよ」


 つまり幸福な予言の巫女の未来予測能力って、量子論を始めとした現代物理学に則っているどころか、現実性リアリティをしっかりと維持しながら、すでに現代物理学をも超越しているってわけなのかよ⁉


「実は我が一族の女たちは、別名『ホワンロンの巫女』とも呼ばれていて、まさしく『夢の主体』の代名詞的存在たるホワンロンの存在可能性をわきまえていて、それゆえに自分自身についても現実の存在でも夢の存在でもあり得るという、『二重性』を常に自覚しているからこそ、現時点の自分を夢の存在でもあり得る『夢遊病』状態──まさしく巫女ならではのトランス状態にすることによって、一瞬にして集合的無意識にアクセスし、無限の未来の情報を閲覧して、未来予知を実現しているといった次第なのです。もっともホワンロンなぞといったものが、本当に存在しているなんて信じているわけではなく、先ほども申しましたように誰もがこの現実世界という夢の主体になり得る可能性があるのであり、まさにその夢の主体となり得る万物が『重ね合わせ』状態──すなわち総体的シンクロ状態となっての、あくまでもいわゆる『集合体』的存在こそが、ホワンロンの正体なのであり、けして中国のどこぞの山奥の中に黄色い龍や、どこかのビール会社のトレードマークのごとき龍と馬のあいの子のようなものが、れっきとした個体として存在しているわけではないのです」

 ……つまりホワンロンって、いわゆる首の長いのの、『りん』のことだったのか。

 そんな豆知識を最後に披露するとともに、長々と続いた蘊蓄解説をようやく終えてくれるさんであったが、それに対して僕のほうはと言えば、あまりにも奇妙きてれつな話の連続にすっかり面食らいつつも、どうにも納得し切れていない点もまだ多々残っていた。

「……ええと。あなたの一族の方々が未来予測ができるということについては、いまだ半信半疑ながらも一応のところ理解できなくもないのですが、もしもあなたのおっしゃるように、幸福な予言の巫女である方々がホワンロン等の『夢の主体』の存在可能性をわきまえ、自分自身を始めとするこの世の万物の『二重性』を自覚しているからこそ、集合的無意識にアクセスすることによって未来予測を実現できているというのなら、同じ一族の一員として基本的に同じ力を──つまりは集合的無意識へのアクセス能力を持っているはずのさんが、『不幸な予言の巫女』なんて呼ばれていて、予言する対象が『不幸な未来』に限定されているのはどうしてなんですか?」


「それはですね、先ほども申しました通り、ほんの一瞬後とはいえ未来の出来事をズバリとただ一つだけ的中させることなんて、現在最高性能のスーパーコンピュータはおろか理論上真に理想的な量子コンピュータであろうと不可能だからですよ。何せこの世の万物の物理量の最小単位である量子のほんの一瞬後の形態や位置を予測することすらも不可能なのであり、つまりは『この世界の未来には無限の可能性があり得る』という今や小学生でも知っている常識中の常識に則れば、たとえ予知能力を有する予言の巫女であろうが、必ず自分の予言を的中させることなぞ不可能ということになるのです。そこである意味予知能力者の本能として少しでも的中率を高めるために、不幸な予言の巫女である愛明においてはあくまでも自分自身では無自覚に、予測する対象を『不幸な未来となり得る』のみに限定しているわけなのであり、確かにそのうちの『不幸な出来事』については、結果的にすべて事前に予測し得たことになるのです。とはいえ結局のところ可能性はあくまでも可能性に過ぎず、『不幸な未来となり得る可能性』のすべてが現実のものになるとは限らないゆえに、ある意味愛明は『結果的に外れてしまった可能性』に対する予言については、『嘘の予言』をしたことになり、それがまたクラスメイトたちに疎外される原因ともなってしまったのです」


 それってつまりは、不幸の予言が当たれば『不吉な魔女』扱いするくせに、外れたら外れたで今度は『嘘つき』呼ばわりするってわけかよ?


「……どうして娘さんはそんな仕打ちを受けてまで、クラスメイトに不幸の予言なんかをし続けていたのでしょう」

 己の教え子のあまりに悲惨な境遇に思わずつぶやく担任教師であったが、彼女の母親のほうはむしろどこか愛おしげな口調で言ってのける。

「あの子って何だかんだ言っても、お人好しなまでに優しいですからね」

「へ? 優しいって……」


「うふふ、そのうち先生もわかりますよ。だってあなたは、これまでずっと、愛明のように自分に対して『不幸の予言』をしてくれる存在を、探し求めてこられたのでしょう?」


「──っ」

 それって、僕がどうしようもないまでに、『不幸体質』であることを言っているのか?

 ──それとも、ここ最近ずっと僕を悩ませている、『あのこと』のほうか?

 ……自分が『無能』であることを自認しているとはいえ、さすがは幸福な予言の巫女の一族の一員だけあって、やはりこういうことには何かと目敏いというわけか。

「まあ、そういったことも含めて、あの子が学校等の俗世間においてはもちろん、同じ予言者の一族の中にあっても、特異な存在としてみそっかすにされる最大の理由は、何よりも不幸の予言というものが『受動的』であることに尽きるのですけどね」

「不幸の予言が、受動的ですって?」


「ええ。自らの意思で万物の未来の無限の可能性を予測計算シミュレートしてから後に、予言の依頼人である我が国の権力者に対して幸福になる道筋プロセスを自らの裁量で告げている、一般的な幸福な予言の巫女とは違って、不幸な予言の巫女である愛明は、不幸な未来の可能性しか予言せず、しかも自ら能動的に予測計算シミュレートしているのではなく、自分自身や身の回りの人物において不幸な未来となる可能性が高まった場合にのみ、まるで天啓を受けるかのように、不幸な未来の有り様の映像ビジョンが脳裏にひらめくといった形がとられているらしくて、自分では不幸な未来の有り様の映像ビジョンを視るのを避けることはできないとのことなのですよ」


 不幸な映像ビジョンが脳裏にひらめくって…………ああ、なるほど。だから先刻において愛明は、僕の存在──というよりも、この身に取り憑いている『不幸体質』に気づくことによって、突然僕のほうへと振り向いたってわけなのか。

「あれ? 確か先ほどのお話ではあなたの一族の皆さんは、『夢の中の自分』を起点にして無限に存在し得る『別の可能性の自分』と総体的にシンクロすることで、量子コンピュータそのままに量子ビット演算処理を行うことによって未来予測を実現しているわけだから、あくまでも睡眠中において例えば『予知夢』みたいな形でないと未来を視ることはできず、覚醒中に突然脳裏に映像ビジョンがひらめくなんてことはあり得ないんじゃないですか?」


「あら、お忘れになってもらっては困りますわ。先ほども申しましたように我が一族の者たちは、この世の森羅万象ひいては世界そのものの過去や未来や異世界すらも含む、すべての可能性すがたを視ることができるのであり、過去や未来が視れるということは、別に時代を限定する必要なぞなく歴史の開闢から終焉に至るまで、しかも異世界や並行世界等の無限の分岐パターンの歴史をも含めて、森羅万象のすべてをそれこそ一瞬で認識し必要な情報を取得することができるのですから、たとえ日中の覚醒時においても、それこそ巫女ならではにほんの一瞬だけトランス状態になって、無限の『別の可能性の自分』と総体的にシンクロ化すれば事足りるのであり、これはそれを自覚的に行うことのできる幸福な予言の巫女だけでなく、無自覚に行っている不幸な予言の巫女である愛明にも該当するのですよ。言わばこのように量子コンピュータそのままに、無限の可能性の集合体である集合的無意識にアクセスできると言うことは、いつでも総体的シンクロ化することで、無限に存在し得る『別の可能性の自分』のとアクセスできるということであり、一般の幸福の予言の巫女たちが『の可能性の自分』のすべてとアクセスして、その無数の『記憶』を参照して未来予知を行っているのに対して、愛明においてはそのうちの不幸な未来の『記憶』のみを無自覚に参照して、覚醒時に瞬発的に『不幸限定の未来予知』を行っているといった次第なんですよ──って、あら?」


 そこで僕のほうを見て何かに気づいたようにして、延々と続いていた言葉が唐突に途切れる。

「まあ、先生ったら、さっきから全然お手をつけられないから、お茶のほうがすっかり冷めてしまっているではないですか。おほほほほ、ごめんなさいねえ、これも私が長々と話し込んだりしたせいですわね。一応私や娘の一族の話については、ほとんどすべてお伝えいたしましたので、ここいらで一息おつきになってください。今お茶のお代わりと何かお茶菓子をお持ちしますので」

「えっ。いや、別にお構いなく──」

 慌てて呼び止めようとするものの、さっさとリビングを出て行ってしまうお母様。

 仕方がないので、今目の前に置かれているすでに冷え切っているお茶でも飲んでいようと、もったいない精神にのっとってティーカップを手に取った、

 まさにその時であった。


「──そのお茶、飲まないほうがいいわよ」


 突然背後から聞こえてきた涼やかな声に咄嗟に振り向けば、リビングの入口にはついさっきまみえたばかりの幼い少女が、相変わらずのジャージ姿でたたずんでいた。

 いかにも不機嫌そうでありながら、どこかばつが悪そうにも見える、人形じみた端整なる小顔。

 へ? 何でこの子が現れるんだ?

 聞くところによると、この半年間ずっと自分の部屋の中に引きこもっていて、小説家であるゆえに基本的に一日中家にいる母親とも、ほとんど顔を合わせたことすら無かったというのに。

「何だよいきなり、お茶を飲むなって。せっかくりゅうすい先生──君のお母さんが、手ずから淹れてくださったというのに、無駄にしちゃ悪いじゃないか」

 そう言いつつ、ティーカップを口元で傾けたところ「──ぶほっ」

 ……盛大にむせてしまった。

「辛っ! 何、これ⁉」

「……あー。お母さんたら、また砂糖と塩を間違えたわね。いい歳して、相変わらずドジっ子なんだから」

 予想外の味わいの深さに目を白黒させている僕へと向かって、心底あきれ返っているかのようにして、ため息まじりに宣うジャージ少女。

「しかしそれにしてもあなたってほんと、絵に描いたような不幸体質なのね」

 ほっとけ! …………………………って、あれ?

「……ええと、もしかして不幸体質である僕のことを心配して、わざわざ様子を見に来てくれたってわけなのか?」

「──っ。だって仕方ないじゃない、これほどまでに不幸を背負い込んでいる人を見るのなんて初めてなんだから、とてもほっとけないでしょうが⁉」

 そう言うや真っ赤に染め上げた小顔をプイッと逸らす、いわれ無きいじめの被害者の引きこもり少女。


 ……そうか、そういうことか。


 竜睡先生がこの子のことを『優しい』と言っていたのは、こういうことだったのか。

 この子ってば、人の不幸な未来が視えるばかりにどうしても黙っていることができず、つい誰彼構わず教えて注意を促さずにはおられなかったんだ。


 ──たとえその結果、『不吉な魔女』として、忌み嫌われることになろうとも。


「……まあ、あなたもお母さんからいろいろと話を聞いたようだし、私が『不幸な予言の巫女』であることは、十分わかったでしょう? これ以上痛い目に遭わないうちにとっとと帰って、もう私のことなんてほっといてちょうだい。──今までの先生たちみたいにね」

 そのようにさもそっけなく言い捨てるや、力なくうつむく少女。

 その黒水晶の瞳には間違いなく、諦念と哀しみの色が浮かんでいた。

 だから僕は彼女の小さな両の手を力の限り握りしめて、言い放つ。


「いいや、もう二度と放すもんか! 君こそこれまで散々探し求めてきた、僕にとっての救世主なんだ!」


「ちょ、ちょっと、あなた⁉ 私が救世主って、いったい何を言って──」

 僕のまったくの予想外の行動に、先ほどよりも更に顔を紅潮させて焦りまくる、目の前の幼い少女。


「──おやおや。小学校教師が自分の教え子に向かって、いきなりプロポーズですか? それはそれは。……通報しますよ?」


 ………………へ?

 そのむしろ穏やかなる女性の声に首をぎくしゃくと振り向かせれば、そこには少女のお母様が笑顔で立っていた。

 ──右手にこれ見よがしに、ワインレッドのスマートフォンを握りしめて。

「りゅ、竜睡先生? いや、違うんです! 誤解なんです! こ、これは、その──」

「うふふふふ。冗談ですよ、冗談」

 そう言ってスマホをスラックスのポケットにしまい込むや、こちらへとゆっくりと歩み寄ってくる、SF的ミステリィ小説家。


「何せ私は、わかっていましたからね。あなたこそが他の誰よりも、娘を──つまりは『不幸な予言の巫女』を、必要となされていることを」


「──っ」

 思わせぶりなしたり顔で意味深な台詞を突きつけてきた目の前の女性に、僕は驚愕のあまり完全に言葉を失ってしまう。

 この人いったいどこまで、僕のことを見透かしているんだ⁉

「……何よ、お母さん。その人が私のことを必要にしているって。確かにその人が、並々ならぬ不幸体質であることはわかるけど」


「あらあら、何を言っているのやら。あなただって先生とことを感じたからこそ、こうして半年ぶりに部屋から出てきたんでしょうが?」


「──! そ、それは、そうなんだけど……」

 またしても顔を赤くして、しどろもどろにつぶやく娘さん。

 何だ? 僕と愛明が、惹かれ合っているだって?

 次から次へと不可解なる台詞を浴びせかけられたために、すっかり面食らってしまっている僕へと向かって、その時唐突に姿勢を正す、引きこもり少女の母上様。

「そういった諸々の事情を踏まえまして、先生には折り入ってお願いしたいことがあるのです」

「え? 僕にお願いしたいことって……」


「是非とも先生には、娘の──そう、『不幸な予言の巫女の物語』を、書いていただきたいのですよ」


「はあ?」

 まったくの予想外の申し出をされて、今度こそ完全に我を忘れて呆然となってしまう僕に対して、その女性は満面に笑みをたたえながら言い放つ。


「何せそれこそが、私の娘を救うことができる唯一の手段であるのと同時に、まさにあなたが現在抱え込んでいる、『最大の懸案事項』を解決することにも繋がるのですからね」

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