第3話 ディレイラーとサスペンション


 ガチャン

 チャリチャリ

 ゴトトトト


 マウンテンバイクの醍醐味は、なんと言ってもその走破性能だ。山の急斜面を駆け下りる『ダウン・ヒル』にも、いつかチャレンジしてみようと思う。そんなことを考えながら、僕はいつもの河川敷でブルース・ハープを吹いていた。


「よっ! 待ったかい?」

「光岡さん!?」

「もー、苗字で呼ぶなんて水臭いゾ。サラでいいよ」

「じ、じゃあ、サラちゃん?」

「さーらー」

「さら」

「よし! で、今日は何の撮影?」

「この場所で夕陽をバックに2台のマウンテンバイクのシルエットをタイムラプスで撮ろうと思うんだ」

「タイムラプス? ナニそれ?」

「背景がゆっくりと流れていく長時間撮影の事。スローモーションの逆だよ」

「あー、なんかそれ見た事あるかも」

「じゃあ、ここの柵にサラのMTBを立てかけて」

「りょーかい。キミのも?」

「ああ。でも、なんかサラのと比べると見劣りするなぁ」

「そんなコト気にしないの!」

「高かったんだろ、そのバイク」

「35万円くらいだったかな」

「すげぇな」

「まーねー。パパお金持ちだから」

「いいトコのお嬢様は違うな」

「ううん、パパと言うのは『パトロン』の事だよ?」

「ぱ?」

「シムは知らなかったっけ。私さ、本当の父親いないんだよね」

「へ?」

「だからさ、パパは私のカネヅルなんだよ」

「なんだソレ? 愛人ってヤツかよ?」

「まーねー」


 サラの自由奔放な発言に、僕は少しショックを覚えていた。てっきり彼氏などいないだろうと思い込んでいた自分の浅はかさに嫌気もさした。


「あーれー? シム、どうしたの、そんな暗い顔して。もしかして私がそんな事してるのがショックだったりー?」


 図星を突かれて、僕は一瞬たじろいでしまう。


「気にしなくて良いよ。だって私は誰のモノでもないし。さ、ちゃっちゃと撮影始めないと陽がくれちゃうよーん」

「そ、そうだな。じゃあ、始めるか」


 僕は三脚を立て、構図を決めてカメラをタイムラプスモードにすると、録画開始のボタンをタッチする。ちょうど良い具合に夕陽に染まった雲が流れていく。


「なんかイイ感じじゃない?」

「ああ、悪くないな」

「ねえ、この動画にはどんな音楽を付けるの?」

「まだ考えてないんだけど、サラは何かオススメある?」

「そうだなー、ドビュッシーとかどう?」

「アラベスクとか?」

「それも良いけどさぁ。『月の光』なんか良いと思うなー」

「ちょっと静か過ぎないか?」

「いいじゃん、ロマンチックで。なんなら私、シルエットで踊ってあげようか?」

「タイムラプスでダンスはちょっとムズいな」

「それをなんとかするのが監督の腕の見せ所でしょ?」

「そんなに言うなら、チャレンジしてみるか」

「そうこなくっちゃ! レッツ・ダンス!」


 そう言うと、サラは持ってきた白いワンピースに着替え、2台のバイクの前に躍り出た。


「出来るだけゆっくり動いて」

「パントマイムの要領だね」


 サラはまるで、ロボット人形みたいにカクカクと動きながら、カメラのフレームに入っていく。静かな時間の流れと共に、ゆっくりと夕陽が川面に沈んでいく。サラのダンスがシルエットとしてカメラのモニターに映し出される。やがて夕陽は沈み、茜色の空が青みを増して来る。


「カット。良く出来たな」

「そう? 今観れる?」

「ちょっと待って。ほら、こんな感じ」

「おー、イイね!」


 カメラとサラのアイパッドをブルートゥースで接続して画面に映し出す。


「ちょっと音楽入れてみよっか」


 サラはダウンロードしてあった『月の光』を動画に挿入する。


「ほら、どーよ、どーよ?」

「本当だ、すげーイイ感じ」

「だしょー?」

「サラはセンスが良いんだな」

「へへん。シムの構図もイイ線キテると思うな」

「ははは」

「へぷしっ。ちょっと風が出てきたね」

「そうだな。そろそろアガリにするか」

「りょーかい」


 僕は機材をバックパックに詰め込み、バイクのヘルメットをかぶってサラに別れを告げる。


「お疲れ。暗いから気を付けて帰るんだぞ」

「シムもね。じゃあ、また明日視聴覚室で」

「ああ、じゃあな」

「ちゅっ」


 サラが何気なくした投げキッスに僕は狼狽する。


「あはは、ナニ赤くなってんのよ、このドーテー」

「ば、バカ、ちげーよ!」

「ムキになっちゃってさ。じょーだんだよ。んじゃね。バーイ!」


 ***


 河川敷から舗装されたスロープを下り、僕とサラが別のルートにつこうとしたその瞬間!


 パパァーっ!


 大型トラックが僕たちの前に突っ込んで来た。そして、全ては闇の中に包まれた。



 ***



 ドビュッシーの『月の光』が静かに流れている。僕はゆっくりと目を開けると、そこは夕焼けに染まった入道雲の上だった。


「ここは? サラ? サラーっ!!」


 ふと、僕の左肩にそっと手が触れる。


「シムじゃん。こんなところで何してんの?」

「お前こそ、ってアレ?」

「んんん? シム?」

「サラ?」

「その格好、私じゃない?」

「サラこそ、俺の格好して・・・」


「もしかして、ウチら入れ替わってるーっ!?」


 僕とサラは、お互いの姿を見て目を白黒させる。


「これって、何かの間違いだよね?」

「ちょっと僕の頬をつねって見てくれないか?」


 ぎゅ


「イテテテテっ!」

「私のもつねってみて」


 ぎゅ


「アイタっ! ナニすんのよ、このバカっ!」


 ぱっちーん

 僕の姿をしたサラが平手打ちを喰らわす


「いってーな。バカとは何だよ! サラがやれって言ったんだろーが!!」

「あ、ごめんごめん。てゆーか、それ私の顔なんだけど?」

「なあ、もしかだけどさ」

「うん」

「これって死後の世界ってヤツなのかもよ」

「でも、痛かったよ?」

「どうなってるんだよ?」

「そんなの私に聞かれても分かんないよ」


 ぽかーんと顔を合わせて茫然としながらも、僕たちの足元ではオレンジ色の雲がゆっくりと流れていた。

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