第2話 自転車通学
ようやく始まった学校の新生活。
僕は学校まで電車で一時間かかる距離を、自分の
僕がマウンテンバイクを選んだ理由も、河川敷の段差を平気で乗り越えられる走破性能に惹かれたからだ。また、都心を走っていても、車道と歩道を乗り換えなければならない道交法を守るのにも最適だった。
学校の入り口のアーチをくぐるとそこは中庭になっていて、僕はアーチの出口にある二階への昇降階段の下に愛車を置く事にした。
さすがに都心にあるこの学校に自転車で通うのは僕だけだろうと思っていたら、僕より先にそこに真新しいマウンテンバイクが置いてあった。
「誰のだろう?」と一瞬思ったが、僕は自分のMTBに施錠し、一限目の授業のある教室へと向かった。
この学校の面白い所は、例えどの学科に属していても、自由に専門の教科の授業を受けられる所だ。映像科の僕だって、例えば声優科の演劇や声楽、古典芸能のクラスも履修出来る。僕は役者に演技指導する為には自分で演技の事も知っておかないといけないと思っていたので、演劇のクラスも履修項目に入れておいた。
一限目がその演劇1の榎田先生のクラスだった。講堂で行われるこの授業は、ホールの客席の縦半分が折りたたみ椅子で並べられ、残り半分をステージに見立てて演技を行う方式。また、演技と言っても台本がある訳ではなく、題目だけを決められてあとは即興で演技を行うエチュードと呼ばれるセリフ無しの形式だった。
そのクラスには、当然声優科に属するあの光岡沙羅もいた。僕は彼女の姿を見ただけで、自然と胸の動悸が高鳴るのを感じた。
演技者の組合せは生徒の挙手で決まる。沙羅は真っ先に手を挙げて、率先してエチュードに臨む気らしい。僕も思い切って挙手をしたが、他の生徒に先を越されてしまった。
エチュードの題目は「再会」。長い間離れ離れになっていた恋人同士が空港で再会するのだが、容姿が変わっているのでお互いの事が分からないと言うシチュエーションだ。
沙羅の演技は光っていた。二人の目が合い、先に沙羅が恋人に気が付くのだが、彼氏は沙羅の事に気付かない、一生懸命手を振る沙羅、そしてかつての恋人が自分のことに気付いてくれないと言う落胆。やがて二人は言葉を交わす事も無くすれ違って去って行く。その喜怒哀楽が見事に表現されていた。
「光岡さん、良かったよ。次もやってみる?」
榎田先生は沙羅の素質を見抜いたのか、そのまま沙羅に続ける様に勧める。沙羅が「はい!」と元気良く返事をする。
「じゃあ、次の相手役の人は居ますか?」
榎田先生のその問いに、生徒全員がひるんでいる中、僕は今度こそと手を挙げた。
「えーっと、君は確か映像科の……」
「
「じゃあ、今度は最初に志村君が気が付く番ね。準備は良い?」
「はい!」
僕は仮ステージに立ち、沙羅と正面から対峙する。開始の合図である榎田先生の「パンっ!」と手を叩く音がする。
場所はおそらく人が込み合った空港の待合室、搭乗出口から出て来る沙羅を僕は真っ先に見つけ、「ここだ、僕はここにいるよ!」と言わんばかりに手を大きく降る。
しかし沙羅はほんの一瞬僕と目を合わせると、視線を他に移して僕を探し続ける。エチュードの決まりで声を出してはいけないのがもどかしい。
沙羅は視線をさまよわせながら、落胆した表情で僕の肩をかすめ、通り過ぎて行った。
僕は唖然とした表情で沙羅の後ろ姿を見送る。
「パンっ!」
エチュードの終わりを告げる榎田先生の手を叩く音がする。
僕はなんだか、本当に沙羅に自分の気持ちが伝わっていない様で悲しくなった。
「なかなか良かったよ、志村君。じゃあ次」
席に戻った僕は、ふと沙羅の方を見る。すると沙羅もそれに気が付いたのか、振り向いて僕にウィンクをしてくれた。
「なんて小憎らしくて可愛い子なんだ!」
僕の心は踊り、ますますこの光岡沙羅と言う存在が自分の中で大きくなって行くのを感じた。
***
僕の映像科の授業と言えば、これまで独学で学んで来た事のおさらいみたいで正直退屈だったが、同じ科で何人かの友人が出来たのが収穫だった。一人は高卒と同時に入学した脚本家志望の
「お前があのIちゃんの映像監督か。今度紹介してくれよ」
なんてせがまれたが、僕自身Iちゃんとは卒業以来連絡も取り合っていないし、何よりまたIちゃんをダシに使われるのが嫌だったので、
「何を言ってるんだ。この学校にはもっと可愛い子が沢山いるじゃないか」
等と言ってお茶を濁している始末。実際、僕にとってはIちゃんよりもはるかに魅力的な子に出会ってしまったのだから仕方が無い。外見だけは可愛いIちゃんと違って、沙羅はもっと内なる何かを秘めている。そんな第六感の様な物が僕には働いていたのだ。
「お。ホントか? お前の眼鏡に叶う子なら間違いないな。誰なんだよ?」
と雄二が畳み掛ける。
「教えねーよ。あの子は俺の宝だからな」
「入学早々一目惚れかよ。ま、そのうちバレるのも時間の問題そうだな」
そこに賢人が、
「そうですよ。次の作品、コンセプト決まったら是非僕に脚本書かせて下さい!」
賢人は律儀に僕に敬語を使う。
「まあ、考えとくよ」
***
六限目の授業も終わり、僕が帰ろうと愛車のMTBの施錠を解いていると、
「あなたも自転車通学なの?」
と、背中から急に声を掛けられた。振り向くと、なんとあの沙羅がバイクヘルメットを持って立っている。僕は思わず自転車のキーを落っことしそうになりながら、
「ああ、そうだよ。も、って事は、このMTBはもしかしたら君の?」
僕は隣に置いてあった最新型のMTBを指差してそう言った。
「そうよ。私は身体を鍛える為に一時間半かけて通っているわ」
「いい自転車だね。今年出たばっかりのモデルじゃないか?」
「ええ、前はロードバイクに乗っていたんだけど、都内を走るのには段差に強いMTBの方が良いって店の人に勧められたのよ。それでパパに買ってもらっちゃった」
おそらく五十万円は下らないだろうMTBをポンと買ってくれるなんて、沙羅は良い所のお嬢様なのだろうか?
「へえ、それは良かったね、前後サスに良いの付いてるから、さぞかし乗り心地もいいんだろうな」
「サイコーよ。あなたのはリジッド(後サスペンション無し)だから乗りにくいんじゃない?」
「慣れだよ。身体を使ってサスの代わりをするんだ。それにバイトでコツコツ貯めて買った奴だから愛着もあるし」
沙羅は「ふーん」と言いながら僕の自転車をジロジロ見ていたが、
「まあ、お互いに自転車通学仲間だから、車には気を付けて通いましょうね」
「そうだな。急に客乗せするタクシーが幅寄せしたりするから、あれには要注意だ」
「分かるー。さて、私はこの後ダンス教室に行かなきゃならないから、お先に失礼!」
そう言うと、沙羅は愛車の施錠を解いて、颯爽と街の中に消えて行った。
僕は、沙羅が「自転車通学仲間」と言ってくれた事が嬉しくて、しばらくドキドキしながら愛車のサドルを撫でていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます