記憶は何処へ



 真っ白い空間。扉もない、窓もない、それ以前に、壁も天井も見当たらない。あるのは背景に溶け込んだ真っ白の床だけだった。


 下を向くと、そこには床に反射した自分の姿があった。

 スカイの少し波打った髪とは質の違う、ストレートな鎖骨まである髪の毛と、スカイの垂れ目とは違ってキツさのある釣り目。スカイにはある泣きぼくろの無いまっさらな顔。

 それが、きょとん、とした様子で映っていた。


 コツ、コツ、コツ


 反響してどこから聞こえているか分からないが、足音が聞こえた。


 顔を上げると、そこには見慣れてはいないが親しみのある顔があった。


「スキア、久し振りだな。ふん、不健康そうな顔は変わらんな」

「お、お祖母様おばあさま……!」


 俺と同じ釣り目、「お祖母様」と言うにはあまりに若い容姿の、藍色の髪を臀部まで太く1本に三つ編みにした青い目の女性。


 花園はなぞの真宵まよい


 厳しい口調はいつもの事だ。この一言多いのもこの人なりの愛情表現だな。

 俺が立つと、案外お祖母様は背が低い。


「お祖母様、俺より低くなりましたね」

「たわけ、お前が伸びたんだろうが。それより、お前今自分がどういう状況か分かっているか?」

「いえ全く」

「潔くて腹が立つな……」


 お祖母様は渋い顔をした後、今の状況を説明してくれた。


「お前は今、私が作り上げた異空間に避難している状態だ。お前、発作で倒れただろう。その時、お前の体内に『刺客』が入ろうとしていた。感覚は無かったか?」

「……そう言えば、なんか、脚に何か這った感覚がしました」

「ソレだ」

「でも、刺客って……?」


 刺客とかそういう類のものに狙われる心当たりは全くない。


「そうか、お前は……そうだったな。……お前、ガン・ロード家は知っているか?」

「え、はい。悪魔界の、ウェポンズシティの領主の家系ですよね? 天使側にも友好的で、何かと協力していた……。でも最近では不穏な空気だとか……天使側は何も見ていないと」

「あぁそうだ。その家の使い魔だ、お前の中に入ろうとしていたのは。直前で私の使い魔が仕留めたが」

「……なんで、俺に……?」

「それは……教えられんな」


 俺は、渋る祖母を見て、1つだけ可能性を見出した。


「……父さん達の封印と、何か関係があるんですか?お祖母様、俺、父さんや母さんが封印された日のこと、その日のことと両親の顔が思い出せないんです。スカイは教えてくれないし、鞠は当然知らないわけで……」


 祖母は少し考えた後、まっすぐこちらを見つめた。


「……答えはYesだ。大いに関係がある。……が、私の口から、あの日何があったのか等は言えんな。……そもそも、お前のその抜け落ちた記憶は、お前が最も信頼する奴が持っている。管理しているのだ。……なぜだか、分かるか?」

「……何故、ですか?何故俺の味方がそんな事を?」

「そもそもだ。お前は精神も弱いではないか。刺客に入り込まれるということは、お前はそれだけ入り込みやすいということだ。それ故に、あの日の記憶はお前が持っていては精神を必要以上に壊すのみ。だから管理されているのだ。分かったな?」


 一気に説明されたが、なるほど分かる。……でもそれじゃあ、俺だけ何も対策ができない……!


「でもそれじゃあ、俺達が封印を解くための作戦で、俺だけ何も……!」

「……ならば救いを授けよう。天使界の最果て、モノクローズハウスに向かえ。地図はお前の家に送っておこう。あの家に行けば、何か分かるかもしれんぞ」

「モノクローズハウス……分かりました。皆と相談してみます」


 お祖母様はそれだけ言うと、後ろを向いて去っていった。

 その瞬間、俺の意識は現実へと戻った。


 目を開けると、そこには見慣れた天井と、覗き込むゼルクの顔があった。心配そうに歪んだつぶらな水色の瞳は、目を覚ますと嬉しそうなまんまるい瞳になった。


「兄貴!兄貴起きた!わーい!」

「ん……ゼルク、……ずっと居てくれたのか?」

「だ、だって兄貴、急に倒れるから……!スカイにーちゃん呼んでくる!」

「ぁ、あぁ……」


 ドタドタと足音を立てて1階へと駆け下りていくゼルク。

 暫くすると、落ち着いた様子でスカイが入ってきた。


「起きた?良かった目が覚めて。気分はどう?」

「大丈夫。ゴメンな心配かけて」

「ううん、いいよ大丈夫。スキアが無事ならそれでいいよ」

「そか……」


 スカイは優しく微笑むと、俺の頭を撫でた。どっちが兄だかたまに分からなくなる。


「なぁスカイ」

「んー?」


 俺は、あの真っ白い空間で起こった事をスカイに話した。

 その上で、お祖母様の言っていた「モノクローズハウス」に行くか行かないか、どうするかを聞く。


「モノクローズハウス……? そこに行けば何かわかるの?」

「らしい……地図は送るって」

「そか……じゃあ、それが届いたら、話が出来るメンバーから説明していこうか」

「うん」

「よし、倒れてたあいだに日も傾いちゃったし、今日は寝よ?シャワーとかは明日に回してさ」

「わかった。……スカイ、一緒に……」

「……いいよ、なに?心細い?」

「……うん」


 スカイは、「寝る準備してくるから待っててね」と言って部屋を出ていった。


 静けさの中にいると、とても心細い。


 俺がいくら強い天使でも、いくら天使の中でも偉い熾天使セラフィムと並ぶ地位でも、心が弱くて、とても、たくさんの人に迷惑をかけている。


 静かな部屋に1人になった途端、声が聞こえてくる。


『お前、人間じゃないんだろ?人間のガッコーに来るんじゃねーよ!』『片目隠しとか厨二気取り?だっさ』『左右で目の色が違うなんて、化け物みたい』『おばけ!』『こっち来んな!』


 頭の中で谺響こだまする声が、俺を責め立てる。


 今の中学校は、小中高更に下は幼稚園まで一貫の、人外のための学校だ。だからもうこんな事は言われなくなった。


 でも、いつだれに言われるか分かったもんじゃない。


 怖い……苦しい


『髪の毛染めてんじゃねーよ!せんせー!コイツ黒にしないんだけどー!』『ダメだろう花園!黒に戻しなさい!そんな奇抜な色許せるわけないだろう!』

『厨二病とかきもーい』


 違うよせんせ……これは生まれつきだよ……

 厨二病なんかじゃない……


 苦しい……苦しいよ……辛いことばっかり……


 どうして、どうして、どうして、どうして、……なんで、なんで俺には辛いことばっかり……


 俺は、何もしてないのに……


 どうして、……悲しいよ……


 静寂の中で1人布団にうずくまる。スカイ、スカイ早く来て、1人は怖いよぉ……


 ガチャ


 扉が開いて、俺の大好きな優しい弟が入ってくる。

 微笑んでくれる、頭を撫でてくれる……あの聞こえていた声も消えてなくなる、いじめられっ子だった俺と、一緒にいじめられていたのに、俺のことを助けてくれる……


「すかい……すかい……」

「うん、はいはい。ほら、もう大丈夫だよ」

「うん……すかいぃ……」


 抱きしめて、優しく撫でて、ぽんぽんしてくれる。

 俺は、スカイがいないとダメ……。


「スキア、寝よ?ね?」

「ん……」

「うん、おやすみスキア」

「おやすみ、スカイ……」


 俺はまた、眠りに落ちた。

 暖かいスカイの腕の中で、スカイに抱きついて、安心して。


 その日は夢を見なかった。



 翌日、起きるとどうやら俺しか起きていないようだった。叔母さんも叔父さんも、まだ起きていない。時刻は朝6時。


 シャワーを浴びて、風呂から出る。シャツを着て短パンを履いて、髪の毛を拭きながら玄関の前を横切る。

 すると、タイミングがいいのか悪いのか、インターホンが鳴った。


「はーい……?」

「あ、あの!赤坂あかさか美妃みきです!す、スキアくんいらっしゃいますか!」

「今開ける……」


 その聞きなれた声の主は扉を開けると、扉の前で緊張した様子で立っていた。

 ストレートロングの、暗めのオレンジの髪をしたコイツは、幼馴染の女子だ。


 小学校で唯一、俺をいじめなかった女子だ。


「どしたの、こんな朝早く」

「い、いや、その……迷惑かなとも思ったんだけど、お父さんが、スキアの家にこれ届けてって言うから…」

「なにこれ……あ、地図」

「そ、それじゃ……迷惑だろうし……!」

「いーよ、上がってけよ。外暑いし、そのままだと倒れちゃうぞ」

「ぁ、え、うん……じゃあ、お邪魔します」


 そう言って上がると、居間に通した。やはり誰も起きていない。


「テキトーに腰掛けてていいよ」

「う、うん」


 俺は、お茶を用意してテーブルに置く。


「……スキアもしかして、お風呂上がり……?」

「ん? あーうん。今さっき上がったとこ」

「う、うあぁごめん! そんな時に!」

「いーよ。……そか、お前ん家配達屋だったなそう言えば」

「うん。……スキアの家、初めて来た…広いんだね、綺麗だし…」

「まー、そうだなー」


 そんな他愛もない話をする。

 美妃は正直言うと、……俺の好きな人、だ。だからってやたらめったらドキドキするわけじゃない。

 だってコイツ、慣れてくると男勝りだしドキドキする要素はあんまり無い。


「あ、スキアもしかして、髪の毛乾かさない人?」

「おう、いつも自然乾燥だけど」

「だめだよ!ちゃんと乾かせー!」

「え、ちょ、なに!?」


 美妃はドライヤーを掴むと、コンセントを挿して電源を入れる。


 この音で家族が起きたのは言うまでもない。

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