第11話 護る剣

 斜面いっぱいに広がる緑の絨毯。まるでアルプスの牧草地を思わせるこの場所は神戸市の六甲山牧場。ずっと昔、市長のヨーロッパ視察でのひらめきが形になったものがこの牧場なのだとか。

 この平和な牧場の中でひと際高くそびえる洋館の鐘楼はどうも穏やかでない。男が鐘楼に上がり、けたたましく鐘を叩いて声を張り上げる。

「遠足が来たぞぉぉ、明陽市から遠足だぁぁぁ」

 男の叫びをかき消すかの様にバスのエンジン音やタイヤの擦れる音が近づいて来る。どうも様子が変だ。バスは駐車場に滑りこんだのだが。その車体には何か所もの穴が空き、窓の多くは割れ、車体の下から黒い煙が噴き出している。

「みんな早く逃げろぉぉ」

 誰がそう叫んだのか。バスのドアから、どこかへ無くなった窓から、生徒達が一斉に飛び出して来る。乗員が脱出したのを見計らったかの様にバスは炎上。間一髪である。



「いやぁまさか途中でマフィア同士の抗争に巻き込まれるなんてね」

 大友さくらは髪を結い直しながらそう言った。

「でもおかげで変身を解くチャンスが出来たじゃないですか」

 プリティ・ヘルの秘密が守られた事に安堵する島津瑞穂だった。

「そうだね、よし牧場を楽しむぞぉ~~」

 さくらの切り替えは迅速で適切なのだ。

 牧場にはヤギや羊をはじめ、牛、馬、ヤギ、ブタ、アヒル、ヤギ、牧羊犬、子ヤギ、ヤギと実に多彩な動物がいて楽しい。動物を前におおはしゃぎするさくらを見て瑞穂もついうれしくなる。いくつもの障害を乗り越えてここまで来たのだから。

「ねぇこれ可愛くない」

 考え込んでいた瑞穂を現実に呼び戻したのはさくらだ。さくらの両手にはブタとヤギのおもちゃの様な物が乗っかっている。果たしてこれが可愛いだろうか。

「これは何です」

「これね十得ナイフなんですよそれがね」

 よく見たらブタの方はしっぽが栓抜きになってるしヤギの方はツノがやすりになっている。

「大友さん十得ナイフもう持ってるじゃないですか」

「可愛かったからつい手に取っちゃったんだよね。まあ高いし買わないけど」

 こんなおもちゃみたいな十得ナイフでも観光地価格でそれなりのお値段だ。もっとも自宅が裕福な瑞穂なら十分手が届く値段だが、変な十得ナイフには興味がない。

 それよりもっと木刀とかの方がカッコいいんじゃないかと思う瑞穂だった。



 爽やかな高原の風に誘われて、二人は小高い丘の上まで自然な流れで歩いて来ていた。ここまで来ると人の姿は無く、たたヤギの親子と遠くにサイロと神戸の市街地が見えるばかりだ。

「草おいしそうだね」

 ヤギ達が草を一心不乱に食べるのを見てさくらが言った。やっぱりさくらの考えはまだまだ分からない所が多い。

「それはやめておいた方が。せめて北海道の草とかにしてください」

 つられて瑞穂も自分でも訳の分からない事を口走ってしまう。

 さて、訳の分からない事を言っていたら訳の分からない人もつられてやって来るもので

「めええええめええええ」

 とか言いながらヤギの着ぐるみを着て草を食べている男がいた。顔はかなりイケメンなのが救いだ。

「お兄さん何してるの」

 そして、さっそくさくらが興味を持ってしまった。

「あっ駄目ですよ大友さん。目を合わせては」

「フフフ、なかなかいい目をしてるめぇお二人さん」

 目が合ってしまうとイケメンヤギ男は二足歩行になった。

「君たちがプリティ・ヘルだったのかい」

 なんという事か、このイケメンヤギ男は二人の正体を知っていたではないか。

「あなたは一体……」

「おっと自己紹介が遅れたね。僕は不知火七忍衆一の美形でおなじみ栖本左京進」

 もう瑞穂の脳は限界だった。ヤギがイケメンで正体を知っててしかも不知火七忍衆で草を食べている。いまいち状況は飲み込めないが二人は刀のキーホルダーを手に取って変身した。

「あぁやっぱりそうだ。プリティィ・ヘェルゥなんだね」

「お兄さんなんでわかったの」

「なんでってそこら辺にいる人みんなに聞いて回ってるからね」

 失敗した。ここでとぼけていれば正体をばれずにすんだのだと瑞穂は後悔した。だが、後悔してももう遅い。正体を知り、それが悪人だというのならただで帰す訳にはいかない。

「あなたを倒す前に一つだけ聞いていいかしら。その格好は何?ふざけてるの」

「フフフ、僕は美形だからね。ヤギに扮してないと目立ってしまうだろう」

「あっはい」

 どうでもいいので適当に受け答えした瑞穂。


 それから、イケメンヤギ男が着ぐるみを脱いで一度仕切り直し。栖本左京進は改めて普通のイケメン男になった。瑞穂は顔にこそ出さなかったが、こんな変態はさっさと倒して早く遠足に戻りたかった。それは多分さくらも同じはず。

 瑞穂は義務感で抜刀して事務的に剣を振るった。だが、その認識は少し甘かった。

「忍法飛び朝顔」

 左京進の手から組紐のついた分銅が滑り出して瑞穂の顔をかすめる。瑞穂が身を屈めた隙に組紐が刀に巻き付いた。それはまるで朝顔のツタの様に。刀は左京進に引っ張られ、あっさりと奪い取られてしまったではないか。

「へぇ、これが裁きの宝刀。僕の方が美しいな」

 イケメンでもヤギでも彼は忍のはしくれ。決して手を抜いて戦える相手ではない。そんな基礎的な事を忘れていたのは瑞穂自身も意外と遠足に浮かれていたからだろうか。

「大丈夫、まだ私がいるから」

 そんな瑞穂の気を知ってか知らずか、さくらは自身ありげにそう答えた。

「こっちの手の内を知ったからって油断しすぎじゃないかい」

 左京進が分銅を手に収めるとさくらも抜刀。

「それはどうかな」

 さくらは一気に間合いを詰めた。すると左京進の右手から分銅が飛ぶ。だがそこまでは予定通り。さくらはそのガラスの様に透き通った瞳で分銅を捉え、まるで野球でもするように刀で撃ち返してしまった。

「忍法飛び朝顔破れたり」

「それはどうかな」

 左京進まであと少しという所、左京進の反対の手からも分銅が。あっという間にさくらの刀にも組紐が巻き付いてしまった。

「そんな、さくらまで……」

 だが、さくらはあっさりと刀を脇へと投げ捨ててしまった。

「しまった」

 二人の切り替えは迅速で適切、二人の右手からは銀の光がきらめく。左京進は反射的に懐にあった短刀を、さくらは十得ナイフを繰り出し、それらは二人の間でぶつかった。瑞穂はただ息を飲み、金属と金属のぶつかる音を耳にするのみだ。


 二人はいつまでも止まったままだ。さくらの十得ナイフは刃が根元から無くなっている。

 風が草をなぞる音がした後、放物線の頂点から降りて来た刃先が左京進の顔をかすめて草を鳴らした。

「やられた」

「僕のかちぃ……」

 左京進の口角が上がると、その美しい頬から一筋の血が流れた。

「血……嘘だろ、僕の顔……」

 左京進の様子がおかしい、元からだが。

「あっ僕の顔、血が出てんだ……うわぁぁぁぁぁ」

 その美形ゆえに自分の顔を怪我した事が耐えられなかったのか、左京進は叫びながら山の斜面を駆けてどこかへと走り出して行ってしまった。二本の刀も放り出したまま。

「とりあえず助かったの」

「そう、みたいですね」

 瑞穂もさくらもただ自身の強運に唖然とするばかりだった。



 結局その日は左京進が再び現れることもなく、純粋に遠足を楽しむ事が出来た。

 高山植物園、オルゴールミュージアム、イングリッシュガーデン等見どころは沢山あるがシメは神戸市から大阪、果ては和歌山、淡路島まで見渡せるという天覧台だ。

「おぉ、これは絶景だね。オーストラリアまで見えるよ」

「あの、大友さん。今日はありがとうございました」

「えっ何が」

「今日は大友さんに随分と助けられました」

「あっそうかな。瑞穂さんにもかなり助けられたけどね」

「それでこれはそのお礼の様なものですが」

 瑞穂の両手にはブタとヤギの十得ナイフ。

「あっそれ」

 さくらは目を丸くして両手に見入っている。

「新しい十得ナイフ(つるぎ)です。どうか一つさくらさんが持っていてください」

 ブタは瑞穂に、ヤギをさくらに。二人は十得ナイフを手に取り、その刃を見つめた。

「ありがとう」

「次は私が護りますよ、この剣できっと」

「うん、待ってるよ。そんな日が来るとは思えないけどね」

「だといいですね」

「でも、待ってるよ」

 十得ナイフの刃は二人の手の中で夕陽の色に変わっていく。

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