第10話 麦茶の季節

 蒸気で濁り切った晩春の空。このなんとも汚らしい空に金色の風が一筋、明陽市内の廃工場から漂って来る。

「六道斎殿、この国にはカレー以外の食べ物もあるのですぞ」

 不知火七忍衆の一人、小太りの葦塚忠兵衛がカレーを食べながそう言うのも無理はない。不知火の民の首領・六道斎はこの世界に来てからカレーしか作っていない。手を変え素材を変え容赦なくカレーを作ってくる六道斎に対して、一同はまいっていたところだ。

「六道斎様よ、どうしてまたこんなにカレーばっかり作るんですかい」

 背中に二本の大斧を背負った大男、田崎刑部も不満気にカレーを三杯くらい食べている。それに対する六道斎の答えは

「カレーこそ万能食。いずれ江戸幕府が再興した時、お前達の力が必要となるだろう。その時のために今は英気を養う事が肝心。故にカレーなのだ、わかったかっ」

 六道斎の大層な演説なのだが、そんな事はまるで気にもしていないかの様にカップ麺に湯を注いでいる男がいた。大矢野松衛門である。

「六道斎様、山善左衛門殿と栖本左京進の姿が見えぬ様ですが」

「善左衛門はその未熟さ故に敗れおったわ。だから次は左京進を送りこんだのだ」

「六道斎様は奴らの場所がお判りで」

「このわしに見通せぬ事があろうか」

 先日の天気予報、乱入した般若面はおそらくジャッジメント・ヘルの片割れ。その髪を束ねている桜の枝の様な物体がそれを裏付けている。



 その日、私立メガザウルス学園を発したバスは東へと向かっていた。車内では既に異変が起きていたのだが、それに気付いていた者はまだ少ない。

「あの、斜め前に乗ってる男の人ってうちのクラスに居ましたっけ」

 島津瑞穂がいきなりそんな事を言いだした。確かに前の方の座席には見たことない中年男性が座っていた。だが、大友さくらは

「えっ先生の彼氏とかじゃない」

 と特に気にしていなかった。

「流石に職場に連れてこないと思いますけど」

 と瑞穂は納得いかなかったのだが

「瑞穂さんはお菓子持ってきた?私は秘蔵のたこもみじ饅頭を持ってきたよ」

 たこもみじ饅頭、それはクリームチーズとたこの入った伝説のもみじ饅頭である。その不思議な味わいを体験したいあなたは広島県三原市へ行く事をお勧めする。

「わぁ、こんなの初めて見ました。私はチョコレートを天ぷらにして持って来ましたよ」

「なんで天ぷらにしちゃったの!?」


 そんな平和な時間は唐突に終わりを迎えようとしていた。

「お前ら騒ぐな、今すぐ俺の言う通りにしろ」

 例の謎の中年男性が突然立ち上がったのだ。その手にはナイフ、そして反対の手には特選醤油の瓶が握られている。

「お前達が今から行く所は六甲山じゃねぇ。たった今、醤油工場に変更になったのだ」

 なんという事だろう。さくらと瑞穂の乗った遠足バスは謎の中年男性にジャックされてしまった。だがこの異変に担任の先生はまだ気付いていない。車内で上映されていたクレヨンしんちゃんの映画に夢中になっていたから。

「やっぱ雲黒斎だよなぁ」


「大友さん、やっぱりあの人先生の彼氏じゃないんじゃないですかね」

「そうなのかなぁ。あっチョコレートの天ぷら美味しい」

「えっ本当ですか。実は今日は暑いと思って麦茶も冷やして持ってきたんですよ」

 瑞穂は大きな鞄からドリンクサーバーを取り出した。

「業者じゃん、もうこれ。うわっ凄い冷えてる」

「天ぷらとお茶は得意なんです」

 瑞穂はいつになく得意げな顔をしている。さくらと出会ってから一番ではないだろうか。


 その頃、バスの先頭ではまだ緊迫したやり取りが繰り広げられていた。

「おい運転手、こいつが殺されたくなかったら醤油工場へ迎え」

「うわぁ怖いなぁ」

 ナイフを突きつけられた生徒は怯えきっているし

「ドライブイン寄りますか」

「いらんっ」

 と運転手も何とか時間を稼ごうとしている。

 だが、そんな緊迫した空気に水を注す人間がいた。

「ちょっとそこを退きなさい、いつだって中心に立つのはこの共菱鍵穂(ともびしかぎほ)ですわ」

 クラス一のお嬢様にして目立ちたがりな女、それが共菱鍵穂である。

「えっ俺か」

 鍵穂は困惑するバスジャック犯を素通りして人質の女子生徒を押しのけると

「きゃぁぁぁ誰か助けてぇぇぇ」

 と喚きだした。

「えぇっ、まあいいか」

 人質が変な目立ちたがりに変わってしまったが、取り合えず人質でいてくれそうなので気にしない犯人だった。


 さて、さくらと瑞穂はといえば

「大友さんどうしましょう、麦茶サーバーの調子が良くない様です」

 どうも麦茶の出が悪く、さくらに麦茶を提供できないという重大に危機に直面していた。

「大丈夫、こんな時の為に十得ナイフを持ってるから任せて」

 とさくらは麦茶サーバーを分解し始めた。

「大丈夫、フィルターが詰まってるだけみたい」

「さすが大友さん」


 車内はこんな状況なのだから一番不満なのはそう、誰よりも目立ちたい鍵穂だった。

「ちょっと犯人さん、もっと派手に脅してくださらない。あの、島津瑞穂よりも私が目立つようによ」

「そう言われてもねぇ」

 バスジャック犯も鍵穂の無茶な注文に首をかしげていた。

「ほら、もっとダイナマイトを全身に巻くとか」

「いや、持ってないよそんなモノ」

「全く使えない人ですわ」

 鍵穂はため息をついて扇子をなびかせて涼んでいる。ちょうど車が停車した時に助け船をバスなのに出したのは運転手だった。

「あの、良かったらこれ使ってください」

「まぁ、あるじゃないのダイナマイト」

「あっどうも悪いなぁ。ってお前なに車止めてるんだ」

 バスは渋滞に巻き込まれていた。

「すいません、ちょっと道が混んでまして」

「次の交差点を左折した脇道が空いているではないか」

「いやぁそんな狭い道通れないですよ」

「お前それでもバスの運転手か」

「いやぁ原付免許しか持ってないんですよね僕」

 明陽交通は深刻なドライバー不足に悩まされていた。特に遠足シーズンになるとドライバーは総動員。そのため、苦肉の策として足りないドライバーを無免許の事務員で賄っていたのだった。

「やっぱり、ダイナマイト一本じゃ絵的に地味すぎるわ。マグロ解体ショーとか始めなさい」


 そんな感じでバスの前が騒がしくなってくると、流石に瑞穂も異変に気が付いた。

「そういえば先生って結婚してたんじゃないですか」

「確かに、この前奥さんの写真見せてもらったし」

 ついに二人の疑惑は確信へと迫った。

「じゃあやっぱりあのおじさんは……」

「先生のストーカーなんじゃ……」

 だが、ここで大きな障害にぶち当たる。みんなが乗っているバスの中では変身が出来ない。もし変身してしまったら、プリティ・ヘルの正体が自分達だとばれてしまうだろう。

「あぁ、どうしましょう。これじゃあ先生も守れないし、引率の先生がいなくなったら遠足も中止に」

「そんなの駄目だよ」

 そんな事はさくらは認めない。神聖な遠足を邪魔する奴は絶対に排除しなければ。そんな時、さくらはある事を思い出して鞄をあさった。

「そうだ、あったよ般若面」

 先日、テレビ出演した時に付けていた般若面だ。そして、この手のバスには必ずアレがあるはずだ。

「ブランケット」

「大友さん、それでどうする気ですか」

「瑞穂さん、私の言う通りにしてね」

 と言ってさくらは髪を束ねている桜の枝のような物体を引き抜き、美しい髪が肩へと流れた。


 犯人と鍵穂、元人質、運転手は渋滞で暇なのでトランプをしていた。

「私はやっぱりゲームでも大富豪なのですわ」

「流石だねぇ」

 そんな平和なひと時をぶち壊したのはプリティ・ヘルだった。

「そこまでだ。これ以上遠足を好き勝手にはさせないんだから」

 白いドレスに長い髪をなびかせてる。プリティ・ヘルのさくらだ。

「お前はプリティ・ヘル」

「あっ……きゃぁぁぁ助けてぇぇぇ」

 鍵穂は空気を読んで助けを呼んだ。

 さて、唐突にプリティ・ヘルが出て来た事でクラスの注目はさくらと瑞穂の席へ。

「ねぇあれってさくらなの」

「大友なんでしょ」

 というクラスの人々の当然の疑問。

「いいえ、大友さんならここでブランケットに包まって般若面を付けてますよ。ほら、頭に桜の枝も刺さってますよ」

 さくらは般若面とブランケットと髪留めで自分のダミーを作っていた。ちなみにブランケトの中には麦茶サーバーが入っている。

「あっ本当だ大友さんだ」

「枝がブランケット貫通してる」

 取りあえずクラスの目を欺く事は出来た様だ。


 さて、未だバスの前方は緊迫した状況だった。

「おじさんの要求は何、どうして遠足の邪魔をするの」

「俺はただ、若い人達に醤油の素晴らしさを知って欲しかったんだ。だから行き先を醤油工場に変更した」

 犯人は醤油マニアだった。

「そんなの許せない」

「だったらなんだ、ちょっとでも動いてみろ。このナイフが女の首に刺さるぜ」

 と醤油マニアは鍵穂にナイフを突きつける。

「いいですわ、これですわ」

 だが、さくらも無策ではない。

「瑞穂さん」

 その合図と共に瑞穂は偽さくらの頭から桜の枝の様な物体を引き抜き、手から放った。

「ぐわぁ」

 一瞬の事だった。瑞穂の手から離れたそれは醤油マニアの手に突き刺さり、ナイフを取り落としてしまう。

「今だ」

 さくらが一気に距離を詰めて醤油マニアを袈裟切りに。醤油マニアは崩れ堕ち

「醤油は偉大なのよぉ」

 と言って泣き始めた。


 さて、これで一見落着な訳だがこれからどうやって変身を解除すればいいのだろうか。バスはただ、何事もなかったかの様に六甲山へ向かう。

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