生きていくと死んでいくのあいだ

 布団にはいって目をとじる。

 静かな部屋。冷蔵庫だろうか、わずかなノイズがじっと耳に届いている。頭の中で音楽をかけた。ある映画の印象的なシーンに流れる1分ほどの短いピアノ曲だ。

 静かで物悲しい曲は、映画のように、すぐ終わらせないように、元の曲にはないような間をつくり、ループさせる。

 頭の中の暗闇に、わずかな輝きが波を打つ。

 ピアノは弾けない。

 習ったことがなかった。

 子供の頃に音楽室のピアノにさわって、音がでることを確かめたことはある。でも演奏なんてできない。譜面もまともに読むことができない。

 どれぐらい練習すればこの曲を弾けるのだろうか。

 頭の中で流すだけなら簡単なのに。でも、きっとそれも不完全なのだ。眠くなってきた。曲が途切れがちになる。

 気付けば。

 これは夢だろうか。

 ピアノの前に座って、立派なタキシードを着て、でもりっぱなホールに観客はひとりしかいなくて、わたしは鍵盤の上に指をおとした。

 譜面はなかった。

 頭で奏でるように、勝手に手が動いた。

 ピアノが音色を響かせる。

 綺麗で物悲しい曲だった。

 1分と少しの演奏は、繰り返すこと最後の音を鳴らして、終わった。

 わたしは鍵盤の上に蓋をおろしてから立ち上がった。ひとりしかいない観客席に向かって、頭をさげる。

 観客席にいたわたしは、ささやかな拍手を送った。

 広いホールではさみしいぐらいの心細い音だった。

 それでもホールは静かだったから、演奏していたわたしまできっと届いただろう。礼が終わってあげられた顔を見ればわかる。

 いい演奏だったと伝わったでしょう?

 いい演奏だったと思ってくれたのですね。

 それだけでわたしは誇らしく、口角をわずかにつりあげたのが自分でもわかった。目を開く。夢を見ていた。おぼろげであまり思い出せないけれど、夢を見ていたことは覚えている。頭のなかで今もピアノ曲が流れている。

 ベッドから足を下ろして立ち上がった。まだ朝ではない、暗い部屋を歩いて行く。冷蔵庫をあけて、サイダーのペットボトルを取り出した。

 どうも暑くて、少し汗をかいたようだ。

 肌がじんわりとしている。

 喉を通る液体の刺激が、わずかに痛くて心地良い。

 さて、もう少し寝るとしよう。朝まではまだいくらかの時間がある。布団にはいった。ピアノ曲が止まっていた。思い出そうとするけれど、頭の中で演奏することができなかった。

 こんな曲だったはずだとか、こんなはじまりだったはずだとかはわかるのに、音が浮かんでこない。楽譜を覚えて読むことができれば、いつでも思い出せるのだろうけれど。

 なにかのノイズが部屋にじんわりと漂っている。

 わたしは少し、くやしかった。

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