なにができるの?

 このマンションは三階建てで、ひとつの階に三つの部屋がある。つまり全部で九つだ。僕はこのマンションの向かいのマンションに住んでいる。そちらはもっと高くて十二階建てだ。

 ぼくは向かいのマンションの入口に立っていた。こっちはぼくの住んでいるマンションと違ってオートロックとかもない。扉の前まで自由に行ける。

 このマンションのニイマルニ号室に魔法使いが住んでいるとの噂だった。

 上下でも左右でも真ん中の部屋。

 ぼくが自分の部屋からカーテンに隠れてみたところ、ここにはおじさんが住んでいる。痩せていて、ぼくのお父さんよりはたぶん若い。でも、大学生とかではないと思う。もっと上。

 どこから噂になったのかはわからない。たぶんマンションの雰囲気とかからそんな話になったんだと思う。これがまったく知らないような場所だったら、ぼくだって気にはしなかった。でも、住んでいる場所の向かいだから気にしないわけにはいかなかった。みんながぼくを囃し立てるのだ。魔法使いのすぐそばに住んでるって。

 ぼくは階段をあがっていく。

 こわいかこわくないかでいえばすこしこわい。

 魔法なんてものをそんなに信じているわけではない。魔法なんかなくたって、知らないおじさんがいたらこわいもんだ。

 ぼくはニイマルニ号室に向かう。

 なにか目的があるわけではない。

 ただなんてことないただの扉とかだって確認したかっただけだ。

 きっと住んでいる人も普通なんだろうって。

 そのとき、扉が開いた。

 昼間だからいないと思っていた。

 仕事とかに行っていると。

「なんだおまえ?」

 顎に髭を生やしたおじさんが言った。

「おじさんは魔法使い?」

 おじさんがぼくを観察するように眺めたあとで答える。

「魔法を定義しろ」

「ていぎ?」

「魔法とはなにかを決めてくれ、でないと答えられない」

 ぼくは考える。ドラクエのメラを思い浮かべた。

「火を付けたり」

「こうだな」

 おじさんがポケットからライターを取り出して、火を付けた。

「違うよ、それは道具を使ってる」

「道具を使っちゃいけないのか」

 どうだろう。杖とか箒ならいいような気がする。

「ほかには?」

「遠いところにワープしたり」

「こうだな」

 パチン。

 おじさんが指を鳴らすと景色が変わった。

「えっ?」

 ぼくはきょろきょろと辺りを見回す。森の中にいた。ジャングルみたいだ。

「おじさんは魔法使いなの?」

「これが魔法ならな」

「魔法だよ!」

 ぼくは興奮して言った。

「それで俺が魔法使いだとどうなるんだ?」

「友達に自慢するよ!」

「どうやって友達のところに行くんだ? ここから帰る方法があるのか? 俺はひとりで帰るけどさ」

 パチン。

 おじさんが指を鳴らした。景色は変わらなかった。おじさんだけが消えてしまった。

 ぼくはまわりを見回す。おじさんがどこかに隠れてないか。木の陰とか。指の音に驚いているあいだにぼくを驚かそうと隠れたに違いないと。でもどこにもいなかった。

 森が揺れる。風の音が聞える。おばけでもいるみたいで、薄暗い。

 ぼくは泣いていた。涙がこぼれて、声がうまく出せなくなっていた。

 たすけて。

 おうちに帰して。

 おじさん帰ってきて。

 お母さん。

 お父さん。

 ぼくは茂った葉っぱの間から伸びる光を見た。光は、綺麗で、ぼくの涙を止めた。光の下にライターが落ちていた。僕はライターをおしりのポケットにしまう。光には文字が刻まれているように感じた。どうすればいいか、教えてくれている。

 ぱちん。

 ぼくは指を鳴らした。

 そうすると見慣れたマンションがあった。十二階建ての高そうなマンションはいつも向かいに建っていて、この小さなマンションに影を落としている。

 開きかけた扉の前に、男の子が立っていた。

「なんだおまえ?」

 ポケットにしまってあるライターの感触を確かめる。

 男の子が言った。

「おじさんは魔法使い?」





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