第11話 どこでもない島

         1


「くそっ……」

 折茂神威は、銀行でATMの貯金残高を見て悪態をついた。

 勤めていた工場が潰れ、口座には残り十万もない。家賃が引かれれば更に少なくなる。

 いっそ、ホームレス生活でも始めるか?

 だがこれから寒くなる北海道で、それは不可能だった。ここ札幌では、冬に地上でホームレスの姿を見る事は滅多にない。皆地下街に逃げて暖を採るか、図書館などの公共施設を転々として生き延びるのだ。しかし最近では、それすら難しくなってきている。

 ――あの忌々しい、無国籍難民ノーワンどものせいで。

 最近の地下街のホームレスは、奴らのせいで居場所がない。そもそも神威が再就職できない理由も、彼らに起因していた。

 工業高校を卒業した神威は、札幌の小さな町工場で金属加工の職人として働いていた。近年目覚ましい経済発展を続ける東南アジア諸国に押されて、日本の金属加工業は規模を縮少させていたが、神威の再就職を阻んだのは別の要因だった。それが「在留特別許可」を得た難民たちである。

 『医療革命』により少子高齢化が加速した現在では、特に介護分野などでも就労許可のある難民や留学生、そして外国人実習生の受け入れが盛んになってきている。

 企業は待遇が悪いとすぐ辞めてしまう若者よりも、劣悪な環境でも働く難民や外国人を受け入れる傾向が強く、日本人に対する「逆差別」が起きているとメディアで報道されるようになった。

 その逆差別のため、神威は次の職を得ることが出来なくなっていたのだ。

「ノーワン、ノーワン、ノーワン……。反吐が出る」

 札幌の地下街にあるATMの自動ドアから外に出た神威は、また悪態をつく。

 大好きな俳優の、大泉洋が映っている地方銀行のCMが背後で流れても、神威の苛立ちは増すばかりだ。もう白髪になって久しい彼の天然パーマの髪が、地下街を支える柱に埋め込まれたいくつもの液晶の中で跳ねている。その柱の横には、無国籍難民と思われるアーリア系の顔をした外国人が、段ボールを敷いて眠っていた。

 こんな風には、絶対にならない。

 日本社会にへばりついて生きてるだけの奴らには、絶対に。

 そう決意して職業安定所ハローワークへ向かう。もう何回、紹介された職場の面接で落とされたか分からないが、それでも他に方法がなかった。

 環奈とも連絡を取れていない。兄が無職だなんて、彼女に恥をかかせることはできない。

それに自分が職を失ったと知ったら、あの優しい環奈は生活費を送金してくるに決まってる。彼女の、可愛い妹のお荷物だけには、死んでもなりたくなかった。

 養父が最悪の児童買春斡旋業者であっても、自分は生き抜いてきた。妹を守る為に。

 そして誰の世話にもならずに、これからも生きていく。

 ――俺は、無国籍難民あんなやつらとは違う。自分の力で取り戻すんだ。自分の人生を。

 神威はスマホの画面を覗く。登録しておいた転職サイトをチェックする為だ。今のところ全く役立ってないが、これがないと仕事を見つけるのにも苦労する時代だ。解約する訳にはいかない。

 気付くと画面には、見慣れない通知ランプが光っていた。

「スカウトメールが届いています……?」

 それは、自分の資格や経歴を登録しておくと企業側から連絡が来るという、転職サイト独自のシステムだった。神威は自分の工業関係の資格を登録しておいたが、工場が潰れて職を失ってから、メールが届いたのは初めてだった。

「サハリン・ハイドレード社? 日本の会社か? ……え? 寮付きで年収四百万!?」

 かなり怪しい求人ではあったが、残高一〇万円を切りそうな神威に選択の余地はない。早速、そこに書かれた担当者の番号に電話をかけた。

 

         2


「ようこそおいで下さいました! 私は張三チャンサンと申します。ささっ、そちらにお座り下さい。あっ、日本語読みで張三ちょうさんと呼んで頂いても構いませんよ? どちらにしろ「さん付け」すると「張さんさん」になってしまいますけどね! いやぁ、日本語は難しい!」

 マシンガンの如くまくし立ててきた男は中国人だった。その割には、中国訛りはないに等しいほど発音は上手い。

 サハリン・ハイドレード社の日本支社は、大通駅近くのビルの五階にあった。ビル自体は怪しくもなく、受付には先進的なデザインの企業ロゴも付いている。思ったよりもちゃんとした会社なのかも知れない。この中国人の態度はすこぶる怪しいが。

「弊社では貴方のような若い人材を探していたのですよ! メールに反応して頂き嬉しいです。それでは早速雇用条件の方を説明させて頂くと……」

「あっ、あの……『サハリン』というと、御社はロシアの会社なのでしょうか……?」

「そうですね! その通りです! 出資比率から言いますとロシア系企業が七割を占めておりまして、二割が中国系企業ですね。勤務先もロシアのサハリン州となる予定です」

「その……僕は海外にも行ったことがなくて、パスポートも持っていないんですが……」

「その点に関してはご心配なく! パスポートの代理申請やビジネスビザの発給など、もろもろの手続きは全てこちらで執り行いますので面倒はございません。それではこちらの書類の方にサインをして頂いて……」

「ぎょ、業務内容を詳しく教えて頂けますか?」

 初対面から採用が決定しているかのように話を進め、雇用契約を結ぶことを急かす彼は非常に信用できない。神威は何とかこの仕事の概要を把握しようと努力する。

「そーでございましたね! うっかりしておりました。ま、転職サイトのページにある通りなんですが、弊社では現在、オホーツク海におけるメタンハイドレードの試掘作業を行なっております。失礼ですが、メタンハイドレードについてはご存じで?」

「まぁ一応は……。確か新しいエネルギー資源として注目されてる物質ですよね?」

「その通り。現在は採掘に要するコストが高く実用化されていませんが、石炭や石油に比べると二酸化炭素排出量は半分程度で、新時代のエネルギーと言われています。これを商用化するべく、採掘方法を改良するのが弊社の業務ですね」

「でも僕は金属加工が専門で、化石燃料の採掘なんて経験はないんですが……」

「ハハッ、いやいや、仕事は雑務が中心ですよ。いわば採掘施設の中で清掃員の作業をやって頂くだけです。ただし、採掘施設自体は陸地ではなく、オホーツク海の海上にあるのですがね。いわゆる耐氷プラットフォームというやつです。この時期ですと流氷に囲まれていまして、氷の海に浮かぶ小さな人工島の姿は荘厳ですよー」

「海上の施設……。だから業務は単純作業でも、給与は高いのですか?」

「仰る通りで。陸地と比べると危険度は高い場所ですのでね。まぁでも大型タンカーの船員よりもよっぽど安全な仕事ですよ。なんせそこまで頻繁に採掘場所は動きませんからね」

「うーん……」

 正直、待遇だけ見れば魅力的な仕事だったが、勤務地の特殊さの他にも一つ引っかかっている点があった。この仕事は特に工業系の資格や経験を必要としていないのだ。ならば何故、自分の元にスカウトメールなど届いたのだろうか? 給与や待遇は良いのに、応募して来る人数が少ないのだろうか?

「寒さやロシアという馴染みのない場所、そして海上に浮かぶ施設ということで、中々応募してくる方が少なくて困っていたのですよ。ですから、すぐにでも勤務を開始することも可能ですよ? 勿論パスポートやビザ申請期間中も勤務の対象として、最低限の給与は保証致します。それに、海上プラットフォームでの勤務中は週一でしか休日がありませんが、一か月ほどで別の作業員と交代して陸に戻ります。そして陸地では一週間は休日があり、その間は社員寮でくつろぐも良し、ロシア観光を楽しんで頂いても構いません。ほら、最近よく聞くでしょう? 『JRで、ロシアへ!』って。州都のユジノサハリンスクや、大陸のハバロフスクにウラジオストクへも、電車で行けますよ? お得感あるでしょう?」

 なんだか通販の販売員みたいな話し方で胡散臭いが、応募人数が少ない理由には説得力はあったし、給与や休日の条件も魅力的だった。何より、すぐ働き始められるのは素晴らしい。環奈に迷惑をかけない為にも、背に腹は代えられなかった。

「それでは一週間後に、稚内駅で。お待ちしております」

 切れ長の一重瞼が印象的な中国人、張三は笑った。その微笑みに、神威は何か不気味な印象を覚えた。


         3


「――この度は、北海道新幹線・樺太線をご利用頂きありがとうございました。次は、ユジノサハリンスク。入国駅です。お降りの際は、パスポートのご準備をお忘れないよう――」

 ロシア語のアナウンスに続いて、日本語が流れる。その次は英語と中国語。多言語での案内は、国際列車ならではの雰囲気をかもし出している。

 車内には日本旅行帰りのロシア人や逆にサハリンに向かう日本人、更に北海道でスキーを楽しんだ後にロシア旅行へ行く、中国や東南アジア系の観光客が乗っており、神威は外国人の多さに圧倒されていた。

「どうですか? 初めての海外は。まぁ稚内からユジノサハリンスクまでは一時間ちょっとだし、何てことないでしょう? 宗谷トンネルだって三十分で抜けちゃいましたしね。それにしても、車内販売でウォッカやピロシキを売るのは気が早過ぎだと思いますねー。私も勤務中でなきゃ飲んでるのに。ロシアはなんとも誘惑が多い! ハハハッ」

 途切れなく喋り続ける張より、神威は車窓に映る雪に覆われた町に心を奪われていた。当たり前だが、店やビルの看板は、全て見慣れないキリル文字だ。

「そうそう、ここで乗客全員が降りなきゃいけないんですよぉー。面倒ですね。ヨーロッパみたいに車内でパスホート検査してくれればイイのに。それにしてもJRの誇る最新のフリーゲージ車両は快適ですねー。あっ、ちなみにロシアと日本は線路幅の基準が違うので、JRがどちらの幅でも使えるように開発したのがフリーゲージ……」

「――ユジノサハリンスクー。ユジノサハリンスク――」

 日本人車掌が、独特の間延びした声で到着を伝える。ホームに降り立つと、足元には大理石のような材質の白いタイルが敷き詰められていた。ロシア語と日本語で駅名が書かれた真新しい看板の前を通り過ぎ、二人は階段を降りて入国審査場へと向かう。

 審査場前の広いロビーには大きな液晶スクリーンがあり、ロシア美女がグラスを持っているウォッカのCMや、北海道に馴染みの深いロシア人タレントが両方の言語でサハリンの観光名所を紹介する動画が流れていた。

 順番が来て、無表情なロシア人の審査官へカウンター越しにパスポートを渡すと、簡単な英語で質問される。事前に張が教えてくれていた通りに答えると、すんなり通過できた。

「では無事入国できた事ですし、私はこの辺で失礼させて頂きます。ちょっと別件でユジノサハリンスクに用事があるもので」

「えっ!? ちょっと待って下さい! 勤務地までは、まだまだ列車で何時間も掛るんですよね? それに僕ロシア語喋れないので、仕事の時どうすればいいんですか?」

「その点はご心配なく。業務は単純作業だし、簡単な会話ならロシア人監督官が翻訳アプリでしてくれますよ。それに、これ渡しときます」

 そう言って、張は神威に小型のスマートリングを差し出した。

「これはロシアでも使えるGPS付きのスマートリングです。これで向こうの日本語が喋れるロシア人担当者と連絡も取れますし、目的地の町『ノグリキ』へは電車で乗り換えなしで一本です。万が一迷っても、担当者がGPSを頼りに探しに来てくれますよ」

「そ、そうですか……」

「大丈夫。仕事自体は簡単ですので、沢山稼いできて下さい。じゃあ私は失礼します」

「あ、ありがとうございました。張さん」

「えっ? 呼び捨てですか?」

「あっ、すいません。張三 さんさ…」

「ジョークです。ではまた。再見ツァイチェン!」

「つ、ツァイチェン!」

 何故か中国語で別れの挨拶をした張に、反射的に同じ言葉を返してしまった。彼は悪い人ではないのかも知れない。と、神威は感じた。張はそのままユジノサハリンスクの町へと降りる出口へ向かう。神威は再び列車に乗る為に、国内路線の方向へ歩き出した。

 

 宗谷トンネル開通前に増築されて巨大化した、ガラス張りのユジノサハリンスク駅から出た張は、コートのポケットから煙草を取り出し火をつけた。

 日本の中古車がところ狭しと並ぶ駐車場を挟んで、遠くに見える駅前の広場には、巨大なレーニン像が立っている。駅の隣りにあるユーラシアホテルの真新しいグレーの外壁は、夕焼けで照らされていた。

 煙草の白い煙が、夕暮れ時の北の空に混ざって消えていく。

再見ツァイチェンか。幸せなもんだ。何も知らないってのは」

 切れ長の目を更に細めて、彼は笑った。

「何の因果か、皮肉な運命だな。まさかあの神威が……『オリジナル』が、この仕事に応募してくるとはね。先生にも連絡しないとな」

 張がスマートフォンを操作すると、画面には番号と「折茂学」という名が表示された。

「フフッ……確率は非常に低いが、生きて帰って来れるといいな。脱出不能の氷の監獄、『サハリン0(ゼロ)』から……」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る