第9話 最悪の父親

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 雨竜警部補は、二人一組で交代しながら、折茂環奈を尾行していた。

 彼女の経歴自体に、不審な点はない。

 大手の製薬会社の札幌支社に勤める営業職、いわゆるMRだ。医者にこき使われる激務ではあるが、彼女の場合は上手く息抜きが出来ているらしい。このサッポロファクトリーで同僚と食事をするのも、休日の習慣のようだ。

 二階の吹き抜け部分のテラスから、彼は環奈たちを見下ろす。ここ数日も特に目立った動きはない。彼女を怪しいと感じたのは、やはり自分の思い過ごしだったのだろうか?

 突然近くから、ヒュン、という鋭い風切り音が聞こえた。音のした方向を振り返ると、そこには黒いダッフルコートのフードを目深に被った男が、何かを持って立っている。

 あれは、クロスボウ?

 矢の先端の金属的な鋭い光を見て、雨竜はそう確信した。そしてこちらに気付いていない男は、文字通り二の矢、三の矢を放っていく。

 まずい。捜査対象である折茂環奈が殺害されてしまうこともまずいが、そうではない。

 あの黒のダッフルコートは、報告されている『不死身男』の服装。奴を逃がしてしまうことこそが最悪の事態だ。

 だが、生憎今は銃を携帯していない。刑事ドラマじゃあるまいし、刑事の場合は普通の警官と違い、特別な命令がない限り銃を持ち歩いたりはしないのだ。応援を呼んでいる暇もない。

 ――畜生、どうにでもなれ。

 覚悟を決めると、雨竜は丸腰でクロスボウの男に突っ込んだ。男はこちらを全く意識していなかったせいか、拍子抜けするほど簡単にタックルが決まった。二人とも地面に倒れ、激しいもみ合いになる。すると突如として、雨竜の体に激痛が走った。

 ……電撃?

 全身が痺れて立ち上がれない雨竜を、男が見下ろしていた。その手には、スタンガンが握られている。フードに隠れた顔は半分が陰になって見えないが、その目元には皮膚の上を走る稲妻のような形の傷跡があった。少しだけ見えたその綺麗な顔立ちに、雨竜は何故か見覚えがあるような気がした。

 しかし雨竜の痺れが取れる前に、焦った様子の男は足早に立ち去って行った。

 ――しくじった。だが、死なずには済んだ。そして収穫もある。

 携帯で本部に報告した後、雨竜は犯人が落としたクロスボウを拾っていた。そのトリガーの近くには見慣れない文字が彫ってある。これは主にロシア語圏で使われているキリル文字だ。それに、顔にあった傷跡。『傷顔スカードのイヴァン』……。

 まさか、ロシア人の『暗殺者イヴァン』と『不死身男』は、同一人物なのか?


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「だからぁ、ホントに知らない男だって言ってるじゃないですかぁ。何回同じこと聞いたら気が済むんですか? 警察って」    

「しかしですねぇ、彼は自分の交際してる女性を差し置いて、環奈さんを守ったんですよ? しかも三発もクロスボウの矢を受けても、彼女を離さへんかった。これで無関係というのは、だいぶ不自然やないかと思うんですがねぇ?」

「少なくとも私は、京都出身の男友達なんていないですし、先輩も同じです! ですよね? 先輩?」

「……うん」

「ホンマですか? 折茂さん」

 サッポロファクトリーで『不死身男』と思われる人間に襲撃を受けた後、二人は近くの警察署で事情聴取を受けていた。死亡した男性の名前は、堺慶一さかい けいいち。やはり環奈は一度も聞いたことのない名前だし、京都人の知り合いは一人もいない。

「もういいだろ、伊神。今はただの任意の事情聴取だ。それに麻見さんから直接、本部に戻るよう指令が来てる」

 麻見の名を聞き、伊神は嫌々と引き下がる。最近あまり雨竜のいうことを聞かなくなっていた彼だが、麻見刑事部長の影響力は絶大だ。

 道警本部に戻る道すがら、部下の運転する車の中で雨竜は考えをまとめていた。

 最早、折茂環奈が『不死身男』と関係している事は明白だ。だが引っかかる点もある。

 第一に、死亡した堺慶一は、何故クロスボウが折茂環奈を狙ったものだと分かったのだろうか?

 一発目の矢は折茂環奈と千歳の二人がいたテーブルに突き刺さった。しかしその事実だけでは、矢が環奈の方を狙ったものだとは断定できない。実際先に悲鳴を上げたのは千歳の方だ。それなのに目撃証言によれば、堺は迷うことなく折茂環奈の元へ駆け付けて彼女に覆いかぶさった。

 清掃員の岩島鴎といい、この堺慶一といい、まるで『不死身男』が折茂環奈を付け狙っていることを熟知し、彼女を護衛していたようにすら思える。彼女はそこまでの重要人物なのだろうか? 仮に重要人物だとして、何故一般人の彼らがSPの如く彼女を守っているのだろうか? それに岩島と堺の経歴を調べても、彼らの間に共通事項が見つからない。二人は知り合いですらない、赤の他人なのだ。

 何故二人は、不死身男の標的が折茂環奈だと分かっていたのか?

 雨竜はこの点については、折茂環奈について調べ直してみるしかないと考えていた。

 きっと、彼女の過去の経歴について何かを見落としているのだ。それが何かは分からないが、恐らく麻見刑事部長とも関係があるはずだ。環奈に事情聴取を続ける伊神に対して強引に撤収命令を下した点からも、彼が何かを隠したがっているのは明らかだ。

 第二に、もっと大きな疑問があった。

 『不死身男』とは一体、何者なのか?

 これまでは、ただ過去の有名な連続殺人事件を真似た模倣犯であり、典型的な劇場型殺人を好む狂人だと誰もが思っていた。だが札幌駅で使った旧ソ連のKGB製の暗殺兵器、更にキリル文字が彫られたクロスボウから、彼がロシアと何らかの繋がりがあることは容易に推測できる。加えて、あの傷跡……。

 しかし二人を同一人物だとすると、矛盾点が出てくる。ロシア人だと言われる『暗殺者』は、暴力団幹部を「計画的に」狙撃し殺害している。それと比べると、『不死身男』の今までの犯行は、非常に無計画かつ無差別な快楽殺人だ。この手口の違いは対照的過ぎる。

 また彼が警察の捜査を混乱させようとしていると仮定しても、一部の刑事や暴力団関係者しか知らない『傷顔スカードのイヴァン』の噂を利用していると考えるのは無理がある。だが少し見えた男の顔は、日本人ともロシア人とも判別し辛いハーフのような顔立ちだったので、雨竜は可能性を否定しきれなかった。

 相反する二つの連続殺人。計画性と無計画性。表と裏。

 ……二重人格?

 頭に浮かんだ答えを、雨竜はすぐにかき消した。少し突飛すぎる考えだし、何の根拠もない憶測にすぎない。とにかく『不死身男』に狙われ、麻見刑事部長が庇っているように見える折茂環奈には、何か大きな秘密があるに違いない。

 ――答えは、彼女の過去にある。

 車が緑に囲まれた北海道庁の敷地を過ぎるとすぐに、近代的な高層ビルである北海道警察本部に到着した。捜査一課に戻り、雨竜は早速デスクのPCを起動し、透明な有機ELディスプレイに映る折茂環奈の資料を読み返し始める。するとそこには、先ほど少し見えた『不死身男』の顔と酷似した男の写真があった。

 それは折茂環奈の義兄、「折茂神威」という男だった。


「ゆっくり休んで下さいね、先輩。辛かったら連絡下さい。私が付いてますからね」

「……ありがと。大好きだよ。晃代」  

「心弱り過ぎですよぉー。素直過ぎてホント心配。変なコト考えちゃダメですよ?」

「大丈夫。じゃあ、またね」

 事情聴取から解放された帰り道、千歳と駅のホームで別れた。二人がいた警察署からは札幌駅の方が近いのだが、自分が岩島鴎の事件の事を思い出さないように配慮し、千歳は北12条という別の駅まで一緒に歩いて連れて来てくれたのだ。

 本当に、自分には勿体ない程に良い後輩だ。彼女のいう「変なコト」は、たぶん自殺のことだろう。そんな最悪の可能性まで考えて心配してくれている。

 だけど、自殺なんかする気はない。謎は必ず自分の手で解明してやる。

 環奈はもう自分を責めるのを止めていた。死んだ二人の男が何者であっても、彼らは

自分を生かしてくれる為に命を懸けたのだ。だからこそ責任がある。

 ――『不死身男』の正体と、「誰でもない者」の意味を突き止める責任が。

 その為にしなければならない事を、環奈は分かっていた。答えは必ず、過去にあるのだ。

 岩島と堺が『大草原の小さな家』を知っていた点からも、それは確実だ。

 心底気は進まないが、向き合わなくてはならない。自分の過去と。あの男と。

 最悪の父親……折茂学と。



     思い出はたくさんあるが、

     思い出したい事は一つもない。

       イヴァン・ツルゲーネフ

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