第7話 王と不死身男

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「したっけ、この『岩島鴎いわじま かもめ』っていう清掃員が、見ず知らずのOLを守って死んだと?」

「そう考えるしかないんとちゃいますかねぇ?」

「したら、現場で目撃された黒いコートの男が『不死身男』だと?」

「せやないですかねぇ?」

「お前、ちょっとは真剣に考えれや」

「考えてますよぉ。雨竜さんの意見に、全面的に同意しとるだけですやん」

 北海道警察本部、刑事部捜査一課の部屋。雨竜雄哉うりゅう ゆうや警部補と伊神考司いがみ こうじ警部補は、先日起きた札幌駅での毒殺事件について話し合っていた。

「大体、僕らもう同じ班とちゃいますやん? 異例のスピードで目下大昇進中の僕は、もう部下とちごうて同期に近い存在ちゃいます? 班長同士ですし?」

「わやおだってんなぁー。流石、北帝大卒の準キャリア組は違うわ。和歌山に帰っても充分やってけるな」

「なんで露骨に追い出そうとしてはるんですか。僕、北海道が大好きやから、北海道帝都大に入って道警を希望したのに。まぁキャリア組に転勤はつきもんですけど」

 「わや」は「凄く」を、「おだってる」は「調子に乗っている」を意味する北海道弁だが、確かに最近の伊神の態度は目に見えて変わっていた。それは、ある二つ事件の解決に関わり功績を挙げたからだ。

「道内の『暴力団事務所連続爆破事件』の犯人逮捕に関わり、おまけに『脱獄王』に非番の日に偶然遭遇し逮捕。こりゃ出来過ぎでねーの? たぶん明日あたり死ぬぜ? お前」

「縁起でもないこといわんといて下さい。まだ警視正にもなれてへんのに」

「警視正の階級まで上がってくつもりかよ。なんまらおだってんな」

「だって今から麻見刑事部長に『不死身男事件』の報告に行きますやん? やっぱ意識しません? 警視正って階級」

「あの人は、俺らとはデキが違うんだよ。天才ってやつだ。じゃなきゃ史上最年少で警視正になんてなれやしないし、刑事部長の役職にも就けないさ」

「うーん。『俺ら』って部分以外は、全面的に同意ですね」

「てんめぇー……」

「ほら、無駄話してないで行ってこいよ。二人とも」

 別の班長に急かされた二人は、刑事部長の待つ部屋へと足を向けた。


「入ってくれ」

 返答を聞いた二人は、扉を開ける。

 雨竜は正直、この人選が気に入らなかった。本来、事件の報告は捜査会議で全員が行うか、もしくは一課のトップである課長が一人でやるものだ。だが、麻見英司あさみ えいじ刑事部長はそんな慣例は歯牙にもかけず、何故か課長ではない自分と伊神を呼び出した。

「それぞれ、捜査の経過を教えてくれ」

 彼は無駄な前置きは言わない。冷徹とも思える程の合理主義者だ。しかし時には非常に大胆かつ柔軟な決定も下すので、ただの堅物ということもない。

「はい。先日札幌駅で発生した通り魔的な毒殺事件は、恐らく『不死身男』の犯行だと考えられます」

「理由は?」

 雨竜を見据えた麻見英司刑事部長の、黒縁メガネの奥が光る。高級そうな光を放つ木製デスクの向こう側で、本革製の椅子に座っている彼の顔は、同性でも惚れ惚れするぐらいに美しかった。作り物にすら思える美形だ。

「理由は二点あります。目撃証言に照らし合わせると、札幌駅で立ち去った男の背格好は本州の事件で報告されているものとほぼ同じである点。また現場に近くには血液を使って「俺は不死身や」と書かれた紙が落ちていました。この血は鑑定の結果、被害者ではなく動物のものが用いられていたことが判明しています。更に服装も、公表されている十年以上前の『不死身男事件』の犯人が、最後の犯行時に着ていたものと同一であり、恐らく模倣したのだと考えられます」

「三点だな」

「は?」

「君が犯人を『不死身男』と推定している理由だよ。背格好・メッセージ・服装の三点だ。……いや、揚げ足取りのつもりはない。たまにくだらないことが気になるのさ。続けてくれ。もっとあるんだろう? 犯人を不死身男と断定できる理由が」

 前置きはない癖に、時々冗談かどうかも判断し難い会話を挟むのも、この男の特徴だった。そしていつの間にか、自分が当初意図していたより多くの情報を引き出されてしまう。油断できない男だ。

「……通り魔的な無差別殺人にも関わらず、毒物を用いている点もです。検死結果から、毒の成分はアコニチンやメサコニチン……つまりトリカブトの毒だと判明しました」

「更に、毒物を注入した凶器も特殊ですね。これは冷戦時代に旧ソ連のKGBが暗殺に使用してた傘とよく似とります。先端に小さい針がついとって、そこから更に極小の金属球を体内に撃ち込む武器です。その球から毒物が排出されて、標的を死に至らしめるやつですね。被害者の体内からは、二つの金属球が見つかってます」

「詳細な補足説明をありがとう。伊神くん」

 雨竜は、刑事部長が伊神を連れて来た理由が分かった気がした。こいつは聞かれていないことすらよく喋る。現場の状態を把握するにはもってこいのスピーカーだ。

「でも変なんですよね。KGBは遅効性の毒を使って、その場から自然に立ち去る時間を稼ぐ為に傘の形した暗殺兵器作ったんですよ。服の上からチクッと傘に刺された程度のことが致命傷になったなんて考える人は少ないですし、時間が経てば経つほど人の記憶って曖昧になりますしね。せやけど不死身男は即効性の毒を使ってます。これじゃ自分を見つけてくれ言うてるみたいなものです」

「派手な劇場型殺人の犯人なんだから、その場で注目浴びたかっただけだべや……」

 雨竜が、麻見には聞こえない程度の声量で伊神に反論した。

「なるほど、貴重な意見をありがとう。とにかく、最近北海道内を騒がせ、今や日本の四大犯罪と呼ばれる『脱獄王事件』、『暴力団事務所連続爆破事件』、『不死身男事件』、『暴力団幹部狙撃事件』の内、二つの犯人逮捕に繋がった功績は大きい。君にはこれからも期待しているよ」

「はいっ、精進いたします!」

「あの、『狙撃事件』に関しては……」

「その件は他の部署に任せることにするよ、雨竜くん。暗殺者は外国人の、特にロシア人の可能性が高い。つまりロシアン・マフィアについての捜査も必要になってくる。組織犯罪専門の捜査四課に加えて、そちらに適性のある人材を配置する予定だ。旭川方面本部に、ロシア語が堪能な署員がそろっているしね」

「ロシア人とはやはり、『スカード・イヴァン』の噂ですか……?」

 雨竜が口にした『傷顔スカードのイヴァン』とは、日本の暴力団関係者の中で流れている都市伝説だ。彼はロシア出身の凄腕のスナイパーで、ロシアン・マフィアの北海道進出の為に、日本の有力な暴力団幹部を狙撃しているという話である。しかし現場に残っている銃の弾がロシア製というだけで誰も彼の顔を見たことがなく、顔に傷があるという特徴すら本当か怪しい。非常にあやふやで当てにならない噂だ。

 だが先日の札幌駅での事件で、『不死身男』が旧ソ連のKGB製暗殺兵器を用いたことで、雨竜は微かな疑念を抱いたのだ。

 ――もしや『不死身男』と『スカード・イヴァン』の間には、何か関係があるのでは?

「あくまでロシア人の「可能性がある」だけだ。君達はもう『不死身男』と『連続爆弾魔』の両方を扱っている。『脱獄王』と『暗殺者』はこちらに任せてくれ」

「分かりました」

 雨竜は渋々了承する。確かに人手不足な現状を鑑みると、大事件を四つも抱えるのは厳しいのが現状だ。他の部署の力も借りなければならない。 

「あぁ、それから……。彼女の容体はもう大丈夫だったかい? 先日の不死身男事件で、殺害現場に居合わせた彼女だよ。名前は確か……」

「折茂さんですか? 折茂環奈。現場で気絶してもうてたんで、病院で意識が戻るのを待って事情聴取をしました。ハキハキと返答してくれはりましたし、看護婦さんも二、三日で退院できる言うてはりましたよ。……まさか刑事部長、彼女を疑って……」

「いやいや、それこそ『まさか』だよ。彼女が被害者側であることに疑いの余地はないさ。『清掃員が彼女を庇ったように見えた』という目撃者が複数いたので、そこには多少疑問は残るがね。単純に被害者の容体が気になっただけだよ。話は以上だ。捜査に戻ってくれ」

「分かりました。それでは失礼致します」

 二人とも一礼をして、部屋の外へと去っていった。

 彼は前置きもないが、話を終えるのも唐突だな。と、雨竜は思った。

 というよりも、今日は少し不自然な切り上げ方だ。何故か折茂環奈について詮索されたくないような、そんな雰囲気さえ感じたのだ。

 第一、どうして『不死身男』は彼女を狙ったのだろうか? 本当にただの偶然か?

 それに、何よりも最大の疑問がある。何故あの清掃員の「岩島鴎」は、不死身男が持っている傘が「危険な武器」だと分かったのだろうか?

 あれは傍から見ればただの傘にしか見えないし、その存在を知っていたとしても、一瞬で冷戦時代の暗殺兵器だと判別できる人間など皆無に等しい。なのに目撃者によれば、彼は自分の掃除用具を放り出してまで二人の間に割って入り、折茂環奈の身代わりとなった。

 ――まるで不死身男の正体を、始めから知っていたかのように。

 それに危険な暗殺兵器と知っていたなら、何故彼は命を懸けてまで折茂環奈を守ったんだ? 彼女が事情聴取で話していたように、岩島と彼女は本当に赤の他人なのか? 見ず知らずの人間を、何故命懸けで助けたんだ?

 廊下を歩きながら、雨竜は確信した。

 ――折茂環奈。あの女には、何かある。刑事部長はそれを隠している。

「なんやゴルゴ13みたいですね。スナイパーの『スカード・イヴァン』の噂って」

 間抜けな感想を漏らしている伊神の横で、雨竜は険しく宙を睨んだ。


 ――岩島鴎いわじま かもめには、悪いことをしたな……。

 再び一人に戻った部屋で、麻見あさみ刑事部長はそう思った。

 ただ彼の「無痛症」については、警察側にはまだ把握されていないようだ。隠す程の秘密でもないが、情報は漏れないに越したことはない。

 情報こそ、現代最強の兵器だ。

 今や当たり前の考え方だが、麻見は再確認する。

 彼は詐欺やサイバー犯罪などの知能犯と戦ってきた、捜査二課出身だった。

 かつて道警は非常に腐敗していた。

 二○○三年の『北海道警察裏金事件』などを筆頭に、階級の高い幹部達が捜査費用を着服したり、ノルマ達成の為に銃器密輸等の犯罪を捏造するなど、組織的な違法行為や違法捜査が横行していた。麻見はその道警の腐った体質を逆に「利用」し、若くして今の地位に上り詰めたのだ。

 正確に言えば、マルウェアやウイルスを同僚や上司の携帯とパソコンに仕込み、彼らの不正を把握することから始めた。そして秘密を握ると、上司には脅しをかけ、部下や同僚の不祥事は公表して道警が自浄作用を持つ組織であることをアピールする。更に人事権を握る警務部や、警察庁の人事課まで情報操作で手玉に取り、数年で刑事部長の座を手にした。

 麻見は机の上に両肘を置き、顔の前で両手の指の腹同士を合わせた。考え事をする際の、彼の癖だ。

 勿論、情報は漏らさないだけでなく、上手く小出しにしたり嘘を混ぜたりして、周囲の人間をコントロールするのも有効な手段だ。幸い、雨竜はその手に乗ってくれた。

 彼が環奈を疑い始めることで、闇に隠れた「真実」が明るみに出るならそれも素晴らしい。その為に、わざと競争心を煽るように馬鹿の伊神警部補まで呼び、不自然に環奈の話題まで出したのだ。

 頭の切れる彼なら、環奈のことを調べてくれる。警察のマークがつくなら、彼女の身の安全も保障されやすくなる。あからさまに護衛を命じる必要もない。

 それにしても、『不死身男』は厄介だ。

 通常彼は、被害者の血液を使って血文字を書く。ところが今回は、紙と動物の血を事前に用意して「俺は不死身や」とメッセージを残している。つまり環奈を狙ったこの一件だけは計画的な犯行だと推理できる。無差別殺人犯の彼にとっては異様なパターンだ。

 毒殺にトリカブトを使った理由も推察可能だ。

 その花言葉は「復讐」。

 彼に、不死身男にとって、これは復讐なのだ。

 無痛症の患者は虫垂炎などの内臓の痛みも感じにくく、重症化するという。ならば鴎の最後も、彼の体の内側から来る毒の痛みも、一般人よりは優しいものだったのだろうか?

 安らかに眠れ。岩島鴎いわじま かもめ

 幸い、四大犯罪者の中で『脱獄王』と『爆弾魔ボマー』は上手く動いている。『不死身男』と『暗殺者イヴァン』には、不確定要素が多すぎるが。

 環奈と神威は、必ず守る。それが『家族ファミリー』の役目。

 私は情報の王。そして『家族ファミリー』のおさ

 ――私の名は……『アーサー』。

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