第3話 何も知らない天才児

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「っしゃー! 腹ペコのガキども! アーユーレディー!?」

「いぇーっ!」

「セイ『いぇー』!」

「いぇーっ!」

「このくだり、毎回必要か?」

「シャラップ園長! セイいただきま……」

「いただきまぁす!」

 子供たちの声が食堂に響く。大林と赤平が勤める児童養護施設「北の星学園」では、食事の時は毎度無駄に騒がしい。

「あーもう。いつも園長が口挟むから、最後まで言えないじゃないっすか」

「いや、言う必要あるか?」

「ただでさえ、クソ真面目な園長のせいでこの学園は陰気なんだから、食事の時くらい盛り上げようとしてるんすよ。うるさいくらいの方が、明るくて楽しいじゃないすっか」

 エプロンを着てお玉を持った彼に文句を言われるのも、この学園では日常の光景だった。

「あかぴら! いぇー!」

「おー、北斗ほくとも気にいったか。いぇー!」

「あんまり変な日本語教えるなよ」

 全裸で保護された少年は「星野北斗ほしのほくと」と名付けられ、現在この学園で生活している。

 稚内市内の病院で検査をした結果、幸いにも彼の低体温症は軽度であった。それはすなわち短い間しか屋外にいなかったということになり、その点にも疑問は残ったが、その後の身元調査は警察の仕事だった。

 しかし稚内市内はおろか、周辺市町村や道内全域の児童福祉施設からも失踪者の届け出はなく、全国の行方不明者届出リストと照合しても少年の特徴は合致しなかった。つまり、完全な身元不明者だ。

「でも『北斗』なんて強そうな名前にしなくても良かったんじゃないですか? こんな癒し系の顔なのに」

「別に、俺がゴリ押しで決めたわけじゃないだろ? 市の職員も言ってたように、投票で民主的に決まったのさ」

 戸籍法では、身元不明児童が発見された自治体の市町村長が命名を行なう決まりになっている。だが実際は、市の福祉課職員や養護施設の人間が案を出して名前を決めることも多い。

 そして今回は発見された経緯が非常に特殊なうえ、全裸の少年の年齢からして後から保護者が見つかる可能性も高いので、誰もが名前をつけることを嫌がった。結局は役所から責任を押し付けられた形で、「北の星学園」の人間が案を出し合って決めたのだ。

「うーん、もっとカワイイ名前もあった気がするんですけどねぇー」

 おっとりとした口調で、女性職員の熊切藍くまぎり あいが会話に混ざった。

「えー? 藍ちゃんも反対派っすか? じゃあ何で『北斗』の案に投票したのさ?」

「うーん、その時は良いのが思いつかなくて……」

「赤平の『不安都夢ふぁんとむ』案よりは数千倍マシだろ」

「いーじゃないっすかファントム! まさに怪人って感じで」

「ふぁんとむぅぅ~」

「覚えなくていいからな北斗。お前は北斗でいい」

「あっ! 『陽児』くんとか……どうです?」

「二十テンポぐらい遅いよ藍ちゃん! もう戸籍申請しちゃったからね?」

「ビーフシチューおいしい? 北斗」

「なまら自然にシカトすんね、藍ちゃん」

「おい……おいしぃー!」

「そーか! 美味いか北斗! どんどん食え!」

 大林たちが北斗を発見したあと、彼はこの学園ではなく一時的に児童相談所に保護された。日本語を喋れない北斗が、知的障害をもっているか否かを判断するための措置だ。前者の場合は障害児入所施設で、後者は児童養護施設に入ることになる。

 彼は最初は簡単な日本語の挨拶にすら反応せず、ひたすら「俺たちはノーワン」とだけ口にしていた。また鏡やテレビに驚き逃げ回るなど、おおよそ人間らしい生活を送ってこなかった節が見られた。この行動や知能テストの結果から、当初は相談所の職員たちも彼の知能指数は低いと推察し、障害児入所施設へ入れた。しかし北斗はそこで、彼らの予想を覆すことになる。

 彼は職員たちの話す単語を次々と学習し、数日でひらがな・カタカナの読み書きをマスターしてしまったのだ。

 実は知能テストの説明も日本語で行う為、「彼はただ言語を知らなかったので、説明を理解できなかっただけでは?」と気付いた職員が、数字やある程度の単語を教えたうえで、再度テストを行なった。するとその結果は同年齢の平均的な児童よりむしろ優れており、特に記憶能力を表す「ワーキングメモリ指標」はずば抜けていた。

 また十歳程度で発見された野生児でも、人間社会に順応するまで何年もかかるうえ、完全に適応できないケースが多い。それを考えると、彼の学習と順応のスピードは異常ともいえた。

 この北斗の学習能力の高さを理解した児童相談所の責任者は、「彼は日本語と文化的な生活を知らないだけで、知的障害児ではない」と判断した。そして他人の動作や会話から学ぶ「模倣学習」を期待され、再度健常者の児童が集まる養護施設に送られたのだった。

 もっとも、今でも各単語の発音は完璧とは言い難いが、大林はその原因が「言葉を喋るという動作に慣れていない」ことにあるのではないかと推察していた。鏡やテレビすら知らないのであれば、その可能性は非常に高いといえる。

「マッシソヨ~」

「まっし……? 今なんつった? 北斗」

「『マッシソヨ』は、韓国語で『美味しかったです』って意味だよー。確か」

 韓流ドラマ好きの熊切藍が、赤平の疑問に答える。

 まだ会話に関しては3歳児程度の日本語力しかない北斗だったが、何故か「美味しい」や「腹が減った」などの単語だけは、日本語・韓国語・北京語・広東語・ロシア語の他にアフガニスタンやパキスタンで使われるパシュトー語などでも言うことができた。

 そこで試しに翻訳アプリで「あなたの名前は?」などの簡単な文章を作り、あらゆる言語で彼に聞かせてみたが、スマホの画面や音声に驚くだけで成果は得られなかった。どうやら、数か国語の「食事に関する単語」を知っているだけらしい。

「ホントに、どっから来た何者なんすかね。この子は」

「……何者だろうと、関係ない。子供は子供だよ。俺たちの役目は、この子の帰れる場所になることさ」

「あんま気負いすぎない方がいいっすよ、園長は。ただでさえいつも陰気でモジャモジャしてんだから」

「俺の髪質は関係ないだろうが」

 そう言って、大林は自身の天然パーマの髪を触る。その髪型は、今や老齢の俳優となった北海道出身の大スター、大泉洋に似ていた。

「一人の子供に感情移入しすぎない方がいいって話っすよ。オレが言いたいのは。どの子だって、いずれは巣立っていくんだから」

「かんじょお……いにゅ?」

「北斗にはまだ難しい単語だ。覚えなくていい」

 食事を終えると、大林は子供達と共に食器を片づけ始めた。

 「北の星学園」では主に四~十歳程度の児童たちが生活している。中学生や高校生が少ない理由は、この学園が最近創設されたからだ。

 稚内市には元々、児童養護施設が無かった。

 この地域で保護された児童は、以前は主に札幌などの施設に送られていた。

 市はかつて北洋漁業の中心地として栄えていたが、排他的経済水域の設定後はその勢いを失い、人口も減少を続けていた。だがサハリン島と繋がる『宗谷トンネル』の開通以降は、シベリア鉄道との合流地点として観光地へと変貌し、人口も以前の倍以上に回復する。

 おかげで町の経済は活性化したものの、市民の貧富の差は現在進行形で大きくなっていた。それはすなわち貧困が原因の虐待や育児放棄の増加にもつながり、児童養護施設の需要は高まっていた。

 加えて近年では難民と日本人の間に生まれた子供などの遺棄も増えており、経済発展に反比例して荒れていく故郷の惨状を見かねた大林は、東京の児童相談所を辞めてこの学園に転職したのだった。

「藍ちゃん! アンパンマンのお歌ひいてー!」

「はーいはい。今行くから待っててね」

 食器の片づけが終わると、子供たちは遊び部屋のピアノの前に集まっていた。

「おかあさん! オレはアイスレンジャーの歌がイイ! ……あ、間違えた……」

「……私はお母さんじゃないけど、本当のお母さんと同じぐらい、あなたを大切に思ってるよ? ユーリ」

「おーおー。気にすんなユーリ。代わりに俺のことはお兄ちゃんって呼んでイイぜ?」

「あっ、赤平なんか弟だ! バーカ!」

「なんでよ! こんな凛々りりしい弟なんかいねーべや!」

 一同が笑う中、ユーリと呼ばれた子供は顔を赤くしてうずくまっていた。彼も遺棄児だが、赤ちゃんポストで発見された際には名前が書かれた紙が一緒にあっただけで、ロシア系なのか中央アジア系なのかすら定かではない。そんな子供が学園には多く、表面上は国際色が豊かだった。

「俺からもリクエストいいかい? パッヘルベルのカノンとか」

 大林が空気を変えるために口を挟む。

「またまたぁ、園長はクソ真面目なクラシックがお好きっすね。もうちょい児童向けの曲選びません?」

「いいですよー。パッヘルベルのカノン。綺麗な曲だから、私も好きです」

 藍が鍵盤に指を滑らせ始める。二十代後半の彼女は、指が長く美しい。大林はそこまでクラシックに詳しい訳ではないが、彼女が落ち着いた曲を弾いている姿が好きだった。

 パッヘルベルは大衆に知られている作曲家ではないが、彼のカノンは非常に有名である。「大逆循環」と呼ばれる、人間の耳に心地よく響くコード進行が使われており、現代の人気J-Popソングもこれを模したメロディーが多い。

「てんてて、てんてててん~」

 子供たちの中に立っていた北斗が、カノンのリズムを口ずさんでいる。一般的に年齢が幼いほど大人の行動を模倣しやすいというが、学園の中では年長の部類に入る彼の方がむしろ、他の子どもよりも模倣学習に熱心だった。

 ――まるで、心は純粋な幼児のまま、体だけ成長したみたいに。

「はい、おーしまい。次は何がいい? リクエストある人、手ぇー上げて?」

「ハイハイっ! ハーイっ!」

 児童たちの加減を知らない声量で、大林は思考の海から引き戻される。気付けば曲は終わっていた。「何者かなんて関係ない」といったくせに、暇があるといつも彼の正体について推理してしまう。その原因には恐らく、かのカスパー・ハウザーが「暗殺される」という末路を辿ったことも関係しているのだろう。

 

 ――もしも、彼を育てた「何者か」が、彼を取り戻しに来たら……?


「ぴぃーあのっ?」

 北斗はピアノを指さしていた。鏡やテレビすら見たことがなかったので、綺麗な音の出る箱にも興味深々のようだ。

「そう、ピアノだよ。北斗も弾いてみる?」

「邪魔すんなよ北斗ぉー! 次はアイスレンジャーだぞ!」

「はーいはい。順番ねユーリ。ちゃんと全部弾いたげるから」

「ぴあのぉ~」

 椅子に座った北斗が楽しげにピアノを触り出す。最初は典型的な素人のように指一本でドレミの音を出していたが、藍の姿を真似たのか、次第に姿勢よく両手でメロディーじみた何かを奏で始めた。

 その場にいた誰もが、初めは北斗が適当に鍵盤を叩いているだけだと思っていた。だがその音の重なりは段々と、心地よく耳を刺激する音程に変わっていく。

 そう、「大逆循環」のコード進行。

 パッヘルベルのカノンだ。

「おぉー! すげー北斗っ!」 

 子供たちは無邪気に彼を褒め称えていたが、大人の職員三人は口を開けたまま唖然としていた。勿論、そのリズムは藍に比べればまだ完璧には程遠いし、鍵盤を叩く強弱なども全く楽譜通りではない。しかし音の順番に関しては間違いなく、彼はパッヘルベルのカノンを完全にコピーしていた。

「ジーザス……。これって、いわゆる「耳コピ」ってヤツですか? バッハとか、音楽の天才が持ってたいう才能」

 大林も藍も、赤平の問いには答えず、ただピアノに向かう北斗に目を奪われていた。


 ――本当に、この子は一体、何者なんだ?

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