嘴細への嫌がらせは、無視とが暴言とかそんな些細なものから、残酷なものまであった。

「庭の草を全部刈ったよ。新たに駐輪場にしようと思ってね」

「よくよく考えてみると、病院の敷地に虫がいるのはマズいよなあ…。農薬でも撒いて、駆除しておこう」

 嘴細が放し飼いしていたスズムシは全て、殺された。そして病院の庭は薬が撒かれ、とても生き物が生きていける状態ではなかったという。

 一方妹の方にも、嫌がらせは行われた。ある日突然、バケツ一杯の石鹸水を体にぶっかけられた。

「あらごめんなさい。虫を触った手は汚いと思って洗ってあげようとしたんだけど、手元が狂っちゃった」

 こんなことされたら誰でも辞めたくなるだろうけど、嘴細兄妹は病院に残った。残っているのが気に食わなくて、医師たちはもっと追い込むことを考える。嘴細の担当する患者のカルテを捨てたり、論文を破り捨てたりと容赦がなかった。

 中でも一番強烈だったのは、スズムシを捕まえてきて嘴細の目の前でわざと殺して、死骸だけ彼らの机の上に置いたり、弁当の中に入れたりしたこと。スズムシ好きの嘴細にとって、これほど衝撃的な嫌がらせは他になかったと、先祖の日記には書いてあった。

「君の先祖はそこまで記録してるのに、どうして止めなかったんだい?」

 氷威は若奈に質問した。

「日記には、こんなことは許されるべきではないとか、自分にも時間さえあれば止めさせたいと書かれていたわ。で、ある日ご先祖様はついに同僚に、警告を行おうと決心するのだけど…」

 警告しようとはした。でも、その日は来なかった…。


 当時、結核は不治の病で、しかも遺伝病と考えられていた。

ある日の午後、嘴細は咳をした時、同時に血を少し吐いてしまう。これにご先祖様が遭遇し、すぐに検査となった。だが、検査の途中、ご先祖様はそこから外されてしまう。少しでも手柄を立てようと考えた医師が、患者を横取りしたのだ。

 しかし何を思ったのか、人払いのいい機会と言わんばかりに嘴細を結核と勝手に診断し、もう治らないからと理由を付けて病院から追放する。この時に妹も、結核の血筋だからと言って追い出された。

 親を失い、職も居場所も失った嘴細兄妹。彼らに待っていたのは、世間からの軽蔑の眼差しと、死を待つだけの生活だった。

 ご先祖様はやっと暇を作って嘴細の家に向かうのだけれど、既に嘴細兄妹は心中して果てていた…。

 その時に床に、血で書かれたことがあった。

「許サナイ」

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