自分を見くびらせる楽しみの術

 たしか、対談集の後書きだったと思う。山田詠美が言っていた。

「一番上等なのは、自分を見くびらせる楽しみの術を知っている男だと思う」

 若かりし俺は、「AMYほどの肉食系作家になると、こんな高慢な言葉をサラリと言ってのけるのだな」と、嘲笑まじりに読んでいたはずだ。

 しかし、いまになって考えてみれば、なかなかどうして鋭い洞察に基づいた言葉なのだと感心する他ない。


 見くびらせることを「楽しみ」とするあたり、AMYらしいなぁ……と思ってしまう。だが、「上等なのは、見くびらせる術を知っている男」という部分には、同意しかない。


     ◇


 いままで俺が出会ってきた男性で、尊敬に値すると感じた人は、すべからくして自分を見くびらせる術を知っている。(もちろん男性に限った話ではないのだが)

 自分を下げたり自虐を織り交ぜながらも、ゆるぎない自分を持っている……いや、ゆるぎない自分があるからこそ、見くびらせることができるのであろうか。


 逆に尊敬に値しない人とは、どんな人なのだろうかと考えてみると、やはり実力以上に自分を大きく見せようとする人だったり、虎の威を借る狐であったり……。尊敬云々という話以前に、見苦しいと感じる人もいた。


 とは言うものの、虚栄のままで終わらないのであれば、自身の枠を少しだけ大きく設定しておくことは、悪いことではないと思っている。

 等身大の自分と少し大きな枠……間に生じた隙間が、これからの伸びしろだ。無理のない範囲で、なりたい自分を演じていれば、そのうち中身が追いついてくる。伸びようとする意志を持ち、実現に向けた行動さえともなってさえいれば……。


     ◇


 ここまで書いて、さらに目標設定とそこに至る道筋について五百文字ほど書いたのだけど、ふと我に返ってバッサリと削除した。


 意識高い系というか、自己啓発系というか、ライフハック系というか……あまり内容がそちら方向に傾いていくのも、面白味に欠けるよね。

 いや、そちら方面が面白くないという訳ではなくて、俺が書いても面白くないという意味で……ね。

 ウエブ上にはうまく解説した記事が、あふれているし、餅は餅屋におまかせいたしましょう。


     ◇


 えっと、何の話だっけ……あー、AMYだ。

 何度読んでも「自分を見くびらせる楽しみの術」っていう表現は、「楽しみの」という部分が引っかかる。「自分を見くびらせる術」ではだめなのだろうかと普通の感覚の俺は思ってしまうのだけれど、きっとこういう部分なんだろうなと思う。


 何がって? いや、作家特有の感覚ってヤツ。(この場合はいかにもAMYらしいって感覚だったりするけど)


 作家ってさ、特に文学系の作家さんってさ、なんだか違った角度から物事をとらえてたり、同じものを観ていても出てくるモノが違ったりするよね。

 俺もあやかって、独自の視点から見たり、独自の反応を見せたいところではあるのだけれど……センス的な問題でもあるしさ……どうなんだろうね、うまくできれば良いのだけれど。


 なんだかうまく締まってないような気もするのだけれど、いつの間にやら千文字を超えてたのでこの辺にしておきますか。

 自分を見くびらせることができるくらいの余裕を身にまとえるよう頑張ります……ってあたりで。

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