年齢とともに感受性が増す?
例えば、恋人と映画を見に行ったとする。
観る映画は、感動大作と銘打たれたものなら何でも良いのだけれど……そうだな『ゴースト』とか『タイタニック』とか、もっとあざとい作品だったら『A.I.』とか。え? 古すぎる!? まぁ、そこは突っ込まないでおきましょうよ。
とにかく感動大作を観た恋人は、当然のように号泣してるのだけれど、ワタシはやけに冷めた目で観てしまい泣くことはない。そして映画を見終わって恋人から「あの映画で泣けないなんて、なんて冷たい人なの」と罵られる羽目になる。
若かりし日のワタシは、ずっとこんな感じだった。実際はもっと、オブラートに包んだ表現で罵られておりましたがね。
どうしても製作者側の意図を読み解く視点で観てしまい、泣かせる要素は何なのか、この演出意図は何なのかと分析に忙しく、泣いている場合じゃなかったというのが本当のところ。メタ的な視点に立っているために、作品の世界に浸れないと言った感じ。創作側に立ってしまったが故の弊害……とでも言えば良いんでしょうかね。
いや、でも、メタ読みしてるから感動できないというのは実は言い訳で、本当は感受性に乏しいだけではないかとも疑っていた。
もし感受性が鈍いのであれば創作者として大きなハンディキャップを背負っているのではないかと心配したのだけれど、他人の持ち得ない冷静な視点に立てるのだから逆にアドバンテージではないだろうかとも考えた。
しかし時は流れ、世間で言われている通り年齢とともに涙腺はゆるくなり、やっとワタシも人並みの感性を手に入れたのかと安堵する次第。
今になって振り返ってみれば、若さ故のナルシズムに起因する共感性の欠如ではなかっただろうかと考察する。あー、自分で書いてて、何を言ってるか解らないな。自己陶酔癖が高じて、共感性を失っていたんじゃなかろうかと……。
今でもある種のナルシズムには浸っているし、自意識は過剰であり、また自己顕示欲も強い。そうでなければ、小説を書こうなんて思わないし、それを恥ずかしげもなく人様に公開するような事が出来るはずもない。
ではなぜ、共感性を得ることができたのか……。年齢とともに蓄積された経験がそうさせるのか、老化によって感情コントロールに不調をきたしているのか……実のところ、自分ではよく解らないし、どうでも良い事かとも思う。
それよりも今は、自分が何に感動を覚えるのか……そちらの方に興味がある。
最近のワタシにとって、感涙を禁じ得ないシチュエーションがある。小説や映画でこれをやられたら、絶対に泣いてしまうというシチュエーション。
逆境に在って、そこから立ち上がろうとする姿。そして立ち上がった先に目指すのが、誰も到達したことがない至高の境地……これを巧く描かれるともう、泣かずにはいられない。
あれ? なんか、ワンピースで泣けるんじゃないかって気がしてきたぞ!?
兎にも角にも、最近になってようやく人並みの感動を味わえるようになってきたので、なんとか自作にも感動を盛り込めるようになりたいな……といったところで締めておきましょうか。
蛇足だけど、もう少し。
『A.I.』はスタンリー・キューブリックが長年温めてきた作品だったのだけれど、彼がこの世を去ったためスティーヴン・スピルバーグが引き継いで映画を完成させた。キューブリックがメガホンを取っていたならば、どんな映画になっていただろうか……興味は尽きない。
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