嘘と覚悟と試練と選択


 曇りない純白で満たされた空間で、私は自分が立っているのか浮いているのかさえわからなかった。

 上方を仰いでみれば、流星群のように小さな歯車の部品が遅々とした速度で通り過ぎていっている。足下の方に目を向けてみても、全く同じ鈍色の星屑が流れていく光景だけが見て取れた。


 なんだろうここ。白い宇宙、みたいなところだ。

 

 目の前には微笑を浮かべる黒猫がいるだけで、他には何も見当たらない。

 風が頬を撫でることもなく、熱に肌が刺激を受けることもない。

 歯車の天の川に挟まれた私は、どこか夢心地だった。


「さあ、それで君は誰を選ぶ?」


 そんな漂白の世界で、黒猫が私に声をかける。

 私は選択肢を強いられていた。どうやっても決めることのできない、不条理な選択を突きつけられていたのだ。


「チームの中に隠れていた紛い者って言いましたよね。どういう意味ですか?」

「実は私は一つだけ嘘をついていたんだ。その事は謝っておこう」

「どんな嘘を?」

「君たちのことを半死半生の若者四人と言ったね。あれは嘘だ。正確には半死半生の若者三人と、私の“使者”が一人、になる」


 マガイモノ。私は段々と黒猫の言っていることの意味を理解し始めていた。

 ずっと仲間だと信じていた三人。

 全く同じ境遇にいると疑うこともしなかった三人。

 シンジ、シオリ、リョウタロウ。

 この三人の中に、一人だけ私とは違う世界に生きる者がいるということだ。


「その使者とやらが誰なのか選ばせて、どうするつもりですか?」

「これは君だけではなく、使者以外の他の二人にも同じ選択をしてもらってるんだけど、それぞれの投票結果を総合的に見て、紛い者を決めて貰おうと思う」


 黒猫は穏やかな表情を保ったまま、揺れる声で私に語りかける。

 提示されるルールに、私は従うこと以外できない。


「要するに、四人の中から切り捨てる人を選べってことですか?」

「そうだね。その認識で大よそ間違いはない」

「もし私たちが紛い者を間違えてしまったらどうなるんですか?」

「簡単なことだよ。君たちの選んだ人物が“紛い者”になるだけだ」

「……っ!」


 私には黒猫が何を考えているのか、まるで理解できなかった。

 チームは四人で一人。ここまでどんな苦難も四人それぞれが力を合わせることで乗り越えてきた。切り捨てるべき者なんてただの一人も思いつかない。私たち四人の中に紛い者なんて一人もいなかった。

 私は明確な怒りを自覚して、不敵な笑みを隠さない黒猫を睨みつける。


「……選べません。私たちは四人で一人なんです。全員が必要不可欠な存在です。私たちはこの四人だからここまで来れたんです」

「だめだ。さっきも言ったろう? 誰も選ばないことは許さないって。たしかに君たちは素晴らしい関係性を築いたといえる。トップでここまで辿り着いたんだ。本当の意味で紛い者なんて一人もいないはずさ。だけどね、君は選ばなければならない。これは覚悟の試練だ」


 四人の中から切り捨てる者を一人選ぶ。当然私はそんな選択はすることができない。このゲームを終えるのは絶対に四人全員でなくてはいけないと思っていた。

 たとえその四人の中に一人、私たちを騙し続けていた者がいたとしても。


「私自身に投票するのは? 他の誰かをここで切り捨てるくらいなら、私がここで立ち止まる方がましです」

「それもだめだね。言ったはずだ。必ず自分自身以外の誰かを選んでもらうと。自己犠牲。それは同時に選択、責任の放棄でもある。認めないよ」


 他者を犠牲にするくらいならばと、自身のみに投票をしたいと訴えかけるが、それはすげなく撥ね付けれる。

 息苦しさに私は顔を歪めるが、黒猫はそんな自分に対して何も反応は示さない。

 どうすれば四人全員でここを抜けることができるのだろう。可能性としては、全員同率で一票ずつ入れば、もしかすると全員通してくれるかもしれない。

 ゆっくりと深呼吸をすれば、乱れつつあった心がいくらか落ち着く。

 誰か一人を犠牲になどしない。

 この四人の中に紛い者なんて一人もいない。

 それこそが私の選択で、その選択を実現させるために全力を尽くす。


「……もし、票が四人の中で均等に別れたら、どうするつもりですか?」

「うん? そうだね。これは覚悟の試練だ。その選択に覚悟が窺えれば、それに順じた結末を用意しよう」


 黒猫は覚悟の試練という言葉を繰り返し用いる。

 それは仲間を犠牲にしてでも前に進むという意味の覚悟だろうか。もしそういう意味の覚悟であるなら、私はそんなものは必要としていなかった。

 とりあえず、皆の票を偏らせないようにしないといけない。

 でもどうすればいい。何か皆と意志を疎通する術があれば。

 私は自分の唇にそっと指を当てて、必死に考えを巡らせる。チームのブレインだったシンジの癖を真似すれば、少しは良い案が浮かんでくるような気がしたのだ。


「……あ」


 するとその甲斐あってか、一つ実行可能そうなアイデアが思いつく。

 慌てて白シャツの胸ポケットをあさる。間もなく指先に感じたのは鉄の冷えた感触で、私はそれに頬を綻ばせる。


「他の皆はどうですか? もう誰を選ぶか決めた人はいますか?」

「いや、まだいないね。同時進行で君たちには選択を迫っているけど、今のところは覚悟を決めた者は一人もいないようだ」


 黒猫は一度、色違いの瞳を閉じると、しばらくしてからそう答えた。

 それは私にとってこれ以上ない満足のいく回答で、小さくガッツポーズをする。

 私が胸ポケットから取り出したのは、滝崖から飛び降りた後に、リョウタロウから譲り受けた金属破片だった。

 この世界では傷跡を四人で共有できる。その仕組みを利用すれば、メッセージを他の三人に届けられると考えたわけだ。

 いける。これでいける。

 ちょっと長文になってしまうかもしれないけど、なんとか誰が誰に投票するかをこれで私が指示すれば、投票数を均等になるように調整できるはずだ。

 若干の焦りを抱きながらも、意気揚々と早速私は手の甲に文字を刻みつけようとする。


「……あれ? どうして? 文字が書けない?」


 しかし明確な意図を持って文字を描こうとしても、なぜか文章を組み立てることは愚か、文字の一つすら書くことができなかった。


「ああ、申し訳ない。こちらの世界に“文字”は用意していないんだ。基本的に用意したのは“数字”だけだよ」

「え?」


 何度も文字を書き殴ろうとする私に、ふいに黒猫が声をかける。

 この世界ゲームに、文字は存在しない。

 たしかに記憶を辿ってみても、ナビゲーターが表示するのは簡潔な数字ばかりで、複雑な文字列は一度も見せていない。

 さらにレースを続けている中にあっても、文字なるものはどこにもなく、そういった文化が設定されていないと言われると腑に落ちるところがあった。


「準備させてもらったのは、1、2、3、4、/、の五つの数字記号のみ。他の意図を持って傷をつけようとしても、世界が認識できないようになっている。もし、文字という文化を使ったコミュニケーションを取ろうとしているならば、それは無意味だよ」


 私は絶望に閉口する。

 文字を介した意思伝達は不可能。手元にある金属破片は何の役にも立たない。

 力なく項垂れる。やはり選択するしかないのか。

 誰かを犠牲にし、仲間の一人を紛い者だと決めつけて生きていくのが、自分にできる唯一のことなのか。

 私は諦観に明け暮れる。

 やはりシンジみたいにはいかないのか。

 私じゃこの状況をどうすることもできない。私が一番の役立たず、紛い物だ。

 結局変われなんてしない。

 どうして私自身に投票しちゃいけないのか――、



「……あれ、もしかして……」



 ――しかし自責の海に沈み、嘆き溺れていると、私は何か違和感を覚える。

 なぜ自分自身に投票してはいけないのか。その自問が妙に引っかかったのだ。


 突如強いられた選択。

 選択権の放棄は許されない。

 必ず自分以外の誰かを選ばなくてはならない。

 投票数を均等に分ける方法。

 傷跡の共有。

 文字は使用不可能。

 用意されたのは数字のみ。

 チームは四人で一人。

 紛い者はいない。

 誰か一人だけを犠牲にすることはできない。

 それでも選択しなくてはならない。

 覚悟の試練。 


 ふと、全ての歯車が綺麗に合致したような感覚を抱く。


 靄が晴れ渡り、透き通り明瞭になっていく思考。

 私は俯かせていた顔を上げる。

 そこにはどこまでも、無限に広がっていく、真っ白なキャンバスの世界が見えた。


「……私、決めました」


 落ちているのか、飛んでいるのか、この色彩に乏しい世界では判断がつかない。

 だから私は翼を生やす。

 自らの意志を持って羽ばたけるようにと願いを込めて、ある一つの数字を手の甲にしっかりと刻み込む。たしかに感じることのできた淡い痛みが、少しだけ嬉しかった。

 それは私にとって、最も大事で、忘れることのできない数字。

 自らの想いを、覚悟を皆に伝えるにはたったそれだけで十分だと思った。



「へぇ? マキツカサ、君はどんな選択するのかな?」



 そして空漠の世界で、覚悟を問う黒猫が私に声をかける。

 その選択が正しいという確証はない。だけど私にはすでに覚悟ができていた。

 もし間違った選択をしてしまったとしても、その責任を背負う覚悟があったのだ。


 紛い者は一人。でも私たちは一人じゃない。


 今なら多少の重荷があろうとも、どこまでも飛んでいけるような気がしていた。




「私が選ぶのは――――」








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