数と傷
「皆の力を貸して欲しい」
自らの努力の甲斐あって、シンジが本来の調子を取り戻したことに私は心の底から安堵する。
抜群の推理力に錆びつきは一切なく、すぐに彼は扉の向こう側へ行くための方法を一つ思いついたらしい。
私は数分前のシンジとの間に起きた出来事を思い出すと、赤面して羞恥に叫び出したい気持ちにならないこともないが、それは何とか我慢することができていた。
「ああん? なんだよアマツカ。今更俺たちの力を貸して欲しいだって? どういう風の吹き回しだ? 気色悪りぃ」
「あれ? なんかシンジくん元気になったみたいだね。まあ、どうせその復調した理由も教えてくれないんだろうけど」
扉の前で胡坐をかくリョウタロウとシオリはいまだにシンジに対して余所余所しい対応を捨てきれていないようで、私は彼らを説得しようと一歩前に出ようとした。
しかしそれをシンジが腕を一本出し、制止させる。
私は戸惑いに彼の顔を一瞥するが、そこには強い光を黒瞳に携えた横顔があるだけだった。
「皆にはここまで迷惑をかけた。僕のことを心配してくれたのに、差し伸ばされた手を払ってしまったことも謝らせてほしい」
「てめぇに手を差し伸ばした覚えなんてねぇけどな」
「頼む。僕がこの先に進むためには君たちが……仲間が必要なんだ」
シンジは静かに頭を下げる。そこまでされたリョウタロウとシオリはさすがに驚きを隠せないようで、互いに目を合わせて訝しげな表情を見せていた。
「おいおい、マジでどうしたんだお前?」
「ねぇねぇ、ツカサ。この人本当にシンジくんなの? 偽物じゃなくて?」
「いい加減にしてください。二人ともいつまで意地張ってるつもりですか? 私たちは四人で一人ですよね? なぜ二つ返事で力を貸してくれないんですか?」
すぐに我慢の限界が来た私は金切り声を上げる。
私はどんどんと感情表現が豊かになり過ぎつつある自分が、わりと心配になりつつあった。
「べ、べつに意地なんて張ってねぇよ。……ちっ、仕方ねぇな。マキがここまで言うんだ、お前の指図を聞いてやる。俺は何をすればいい? 言ってみろ」
「あたしも意地なんて全然張ってないよ。ただ本当に不思議に思っただけで。というかなんかあれだよね。ツカサと二人っきりになると、その人の人間性変わる率高くない? ツカサって実は人間じゃなかったりする?」
シンジの真摯な思いが伝わったのか、それとも私の騒がしさに辟易したのか、リョウタロウは欠伸をしながらも立ち上がり、シオリもマイペースな物言いを口にしながらも腰を上げた。
「ありがとう、皆」
「うるせぇうるせぇ。そういうのいいから、早く話せ」
「なんだかんだいっても、シンジはあたしたちのアイデアマンだからね。期待してるよ」
そして四人全員が輪になり、ステージ攻略の準備が整う。
私もシンジの言葉を一句一時聞き逃さないようにと、耳を澄ました。
「なら早速僕の考えを話させてもらう。……僕の予想だと、このステージをクリアするためのキーとなるのは“数”だと思う」
シンジは自分の唇を指で叩くという、高速思考をする際のいつもの癖を見せながら、地面に転がり落ちている四種類の鍵を一つずつ手に取る。
「扉を開ける度に切り替わる世界の数、ここに落ちている鍵の種類の数、そして僕たちチームのメンバー数。その全てが“四”という数に統一されている」
四。それがここを抜け出すためのキーワードになるとシンジは主張する。たしかに偶然の一致にしては出来過ぎていると思った。
「つまり、こういうことなんだと思う。そこにある扉は実は四つあって、その全てが別の鍵を必要としていて、さらにその鍵の正式な持ち主でないと効果を発揮しない」
「……なるほどな。お前が言っている意味はなんとなくわかったぜ」
「要するに、世界が変わる度に、違う鍵を正しい順番で、しかも鍵を差す人も適切に入れ替えて、差し込んでいけばここから出れるってこと?」
「察しがいいね。その通りだよ」
四つの扉に、四つの鍵に、四人のメンバー。
その全ての要素が複雑に絡まり合っていて、正解といえる組み合わせが存在するらしいと私は少し遅れて理解し、重要な問題点をどうやって解決するのかシンジに訊いてみる。
「でもどうやって、その正しい組み合わせを見つけるの? 次失敗したら、あたしたち脱落しちゃかもしれないんだよね?」
「ああ、すでにここで脱落したチームがいるとわかっている以上、その可能性は高い。……でも僕が思うに、組み合わせを見つける術はある」
薄桃の唇からゆっくりと指を離し、手に持った鍵の尖った先を、順に指の腹に押し付けていく。
すると三番目の鍵――スペードの鍵を使った途端、これまで一貫して無傷だったシンジの指に傷がついた。
さらに驚くべきことに、傷は共有されるはずにも関わらず、他の三人の指に変化は起きない。
「やっぱりか。ここは僕の部屋なんだ」
「どういうことだよ? なんでその鍵だけ、しかもお前にだけ傷がつくんだ?」
「きっとこの傷は“精神的飢餓”の証なんだよ。だから僕にしか傷がつかない。実はさっきひょんなことから、地面に手を勢いよく僕とマキさんの手をぶつけることがあったんだけど、その時僕にだけ小さな傷がついたんだ。その時にもしかしてと思ったんだよ」
「そうなの? シンジくんとツカサなにしてたの?」
「ま、まあ、それはいいとして。とにかく僕の予想が正しければ、酷暑の扉ではセラさん、暴雨の扉ではツキモトくん、積雪の扉ではマキさんが鍵の持ち主に割り振られていて、それぞれどれかの鍵で身体に傷がつくはずだ」
シオリのさりげない疑問を若干顔を赤らめて誤魔化しつつ、媚惑的な輝きを放つ月を眺めた後にシンジは手元にあったスペード以外の鍵を床に捨てた。
「たぶんこの空模様は、それぞれ僕たちに割り振られた重荷を象徴してるんだ。心の渇きを疼かせるのはいつだって夜だし、喉の渇きを際立たせるのは陽が強く照りつけている時だし、精神を疲弊させ、憂鬱な気持ちにさせるのは雨降りしきる曇天だし、肉体的に疲れさせる、つまり熱を奪うのは雪が降り積もる日だからね」
シンジは自信を持って、そう自らの推理を展開させていく。リョウタロウは難しい顔をしながらも異論を挟もうとはせず、シオリは納得と言わんばかりに手を叩いていた。
「それじゃあ、僕の考えが正しいことを証明するために鍵を回してみようと思うけど、構わないかな?」
最後に、シンジが覚悟を問いただすように全員の顔を見渡す。
するとなぜかリョウタロウとシオリが私の方を見つめるので、仕方なく代表して返事をアルトの声で響き渡らせる。
「はい。私はシンジを信じてます」
「……わかった。なら、行くよ」
真剣な面持ちで、シンジはゆっくりとスペードの鍵を月夜の下で差し込んでいく。
表情は変えずとも、やはり緊張しているのか額に薄ら汗が滲んでいる。
やがて一拍間を置くと、そして彼は鍵を思い切り横に捻った。
――カチリ。
小気味の良い音が鼓膜の内側で反響したかと思えば、これまでとは違い、まだドアノブを押し開けていないにも関わらず、世界に変化が起きていた。
知らぬ間に夜明けが通り過ぎ、刺すような日光が容赦なく降り注いでいる。
月は欠片もなく消失し、太陽が目障りなほどに存在を主張している。
シンジが大きく一息を吐くの同時に、私たち三人もそれぞれ頬を緩ませた。
「とりあえず第一関門突破、かな。次はセラさん、君の番のはずだ」
「おっけー。……あたしの勘だと、これじゃないかな?」
シオリは床に落ちている鍵の内、ハート型のものを拾い上げると、その切っ先で人差し指を斬りつける。薄ら血が滲み、彼女が正解を引き当てたのだとすぐにわかった。
「やったー、一発で当てたよ。じゃあここにいるとすっごい喉渇くから、ちゃちゃっと次行っちゃいますか」
シンジの推理を全面的に信頼しているのか、一切の逡巡もなくシオリは固く閉ざされたままの扉の鍵穴へハートを突き差す。
軽く捻られた鍵。
またドアノブに触れることなく世界を一変させる。
冷たく重い雨粒が絶え間なく空から降り注いでくる。
湿気と薄暗さから強い眠気を催される中、欠伸をしながら今度はリョウタロウが床にできた水溜まりから鍵を二つ拾い上げる。
「さすがにここまで来れば間違いねぇだろ。アマツカ、お前に賭けて正解だったぜ」
まずダイヤの鍵を親指に何度かぶつけてみるが、傷は全くつく様子がない。次にクローバーの鍵の尖先を親指に触れさせれば、簡単に切り傷がついた。
傷を確認すると、リョウタロウは扉へ鍵を慎重に挿入し、何度か息を整えてから、一気に捻り回す。
三度、瞬きの間に空の色が塗り替えられる。どんよりとした灰色の空は純白の雪に覆い隠され、髄まで凍えさせる風が雨で冷えた身体によく染みた。
積もった雪を手でどかしながら、私は最後の鍵を探す。
「いよいよ、最後だな」
「僕の考えが正しければ、これでここから抜け出せるはず」
「なんとなくあたし、そろそろこのゲームも終わる気がするんだよねぇ」
ダイヤの形をした金属製の鍵。指に掠らせれば、当然のように傷がついた。
私は白い吐息を吐き出しながら、自分を見つめる三人に頷き返し、睫毛を凍らせつつ鍵を差し込む。
一度躊躇ったら、二度と扉を開くことができない気がして、意を決して鍵を回す。
カチリ、とついに四度目の快音が響き渡る。
真っ白い雪はいまだしんしんと降り積もり続けていて、世界が変化する気配はない。
「……あの、これ大丈夫ですよね? 失敗したわけじゃないですよね?」
「たぶん、成功だと思う。あとは、今度こそ扉を開けばいいんじゃないかな」
一瞬、致命的な失態を侵してしまったかと不安を考えたが、よく考えてみればまだこれで解錠することに成功しただけだった。
まだ、扉は開かれていない。
「ど、どうしましょう?」
「なにがだよ。早く開けろって」
「でも、私でいいんですか?」
「私でいいのって、ふふっ、他に誰がいるの?」
最後に扉を開け放つ役目が自分には相応しくないような気がしていたが、どうやらそう思っているのは私だけらしい。
シンジはくしゃっとした笑顔で、声を出さずに唇の動きだけで、行け、とただそうメッセージを送っている。彼の笑顔には逆らえない。
「……それじゃあ、行きます」
私はドアノブに手をかけ、扉の向こう側へ一歩踏み出すことを選択した。
その選択の責任を負う覚悟は、とうの前からできていた。
そしてついに、力強く、勇気を持って開かれた扉の向こう側からは、目を眩ませるほどの光が溢れ出てくる。
視界全てを白で塗り潰され、氷雪の寒冷さも光に照らし溶かされていく。
脳内をかき混ぜるような高音が鳴り響き、視覚だけではなく、聴覚さえも奪われてしまう。
だけど、それも長くは続かない。
やがて光は収まり、無意識の内に瞑っていた目をあければ、見覚えのある色違いの視線とぶつかる。
左眼は透氷を思わせる蒼紺で、右目は満月に近い黄金。
艶やかな毛並は全身漆黒で、獣としては些か感情表現の上手すぎる顔つきはたしかに笑っているのだと見てわかった。
「やあ、ご機嫌よう。そしておめでとう。君たちがここまで辿り着いた最初のチームだ」
これまでずっと私たちを導き続けてきた球状の発光体の上に寝そべり、当たり前のように黒猫が私に喋りかけていたが、もうその事には驚かない。
「でも君には申し訳ないけど、つらい現実を伝えなくてはならない」
黒猫はいつかのようににやにやと口角を上げながら音色の定まらない声を奏でるが、その不安定な旋律が私はあまり好きではなかった。
「……君には今から、チームの中に隠れていた“紛い者”を選んでもらう。誰も選ばないことは許さないし、必ず自分以外の誰かを選んでもらう。これは覚悟の試練だ。君は最後にどんな選択をする?」
気づけば私の隣りには誰もいなくなっていて、私はもう一人だけになっていた。
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