扉と鍵


 地面は薄らと白く色づいていて、吐く息も冷気によって水蒸気となり視認できるようになる。あれほど鬱蒼と茂っていた木々もすっかり見えなくなっていた。

 生死の狭間で彷徨う者達によるレースが始まってから、いったいどれほどの時間が経過したのだろうか。

 すでに孤島の山頂付近までやってきている私にはとっくのとうに時間感覚がなくなっている。

 空を仰いでみれば、燦燦と太陽が照り付けているように見えるけど、その位置はレースの開始時から全く変化していない。

 おそらくあれは太陽であって、太陽ではないのだ。


「……やっと追いついたみたいだな」


 大地に霜が積もるような気温下においても、いまだに私の少し前を歩くリョウタロウは上裸のままだった。

 一方私は彼のシャツを一枚余計に羽織っているのにも関わらず、寒さに歯をかちかちと鳴らしていた。



「おーい、二人ともー! こっちだよー!」



 渇いた砂石と氷礫に塗れた山道。その先でソプラノを高らかに上げながら手を振る一人の少女と、遠くの景色を睥睨しながら頭痛でもするのか額に手を置く華奢な少年が見えてくる。

 それが自分のチームメンバーであるシオリとシンジだと気づくのに、そう時間はかからなかった。


「よう、アマツカ、セラ。待たせたな」

「ただいまです。シンジさん、シオリ」


 見晴らしの良い小高く丘のようになっている地点に辿り着けば、そこには発光球体が蒼白い光を放ちながら宙に浮かんでいて、その両側にシオリとシンジが揃って立っていた。

 約束の通り頂上で私たちは再会することができた。


「ツカサもリョウタロウくんもおかえりー。なんかこうやって四人全員揃うのは久し振りだね」

「おう、セラ。身体の調子はどうだ?」

「それなら心配要らないよ。沢の水を馬鹿みたいに飲みまくったら、なんとか体調は回復したから。あとそこら辺に落ちてる雪も結構美味しく食べれるよ」

「そうなのか? ならいいけどよ」

「ていうかなんでリョウタロウくん上の服着てないの? 寒くないの?」

「余裕だ。ちと眠いだけで」


 どうやら水分を摂取するだけで詩織の飢餓は完全に収まるらしかった。

 だけど思い返してみれば、この山の中には機械の怪物と自分たち以外には生き物が一切存在していなかったのでそれも当然のことに思えた。食事の方は免除されているのだろう。


「誰にも問題ないなら、さっさと先に行くか。順位も相変わらず最下位なんだろ?」

「あ、順位もね、ちょっと見て貰いたいんだけど……というかなんか、今度はリョウタロウくんの雰囲気ちょっと変わったんじゃない? やけに落ち着いてるっていうかさ。もっとリョウタロウくんって感情が不安定で、短気で、いつもイライラしてるイメージだったから」

「酷でぇイメージだな。だいたい合ってるけどよ」

「でしょ? なんかあったの?」

「俺は今寝起きなんだよ。寝起きの俺は調子が良いんだ」

「どういう意味? というか暢気に寝てたの? もしかしてやる気もうなくなっちゃった?」

「そういうことじゃねぇ。ちっ、面倒くせぇ。あとで説明してやるから、さっさと行こうぜ」

「あ、今の舌打ちめっちゃリョウタロウくんっぽい」

「お前は本当にうるせぇなセラ。黙って雪でも食ってろ」


 少しの間四人離れ離れになっていた時間が長かったせいで多少のぎこちなさが垣間見えたけど、それはシオリのあくまで変わらない調子によってすぐに解消される。


「それでどうでしたシオリ? 私たちがいない間に他のチームの姿を見かけたりしましたか?」

「ううん、してない。でもまた一応順位が上がったっぽいんだよね」

「え? それってまさか」

「うん。そのまさかだよ」


 私たちは運よく、あの沢以降、機械の虎や、他の危険な存在に出食わすことはなかったが、他のチームはどうだったのか。

 見たところシオリとシンジも無事だったため、これ以上の犠牲者が出たとは思えなかったが、どうやらそれは間違いらしかった。


「ポジション……おい、マジかよ。マキに話を聞いたときよりチームが減ってんじゃねぇか」


 リョウタロウがナビゲーターに近寄り、現在の自分たちの順位を確認する。

 光の色が紅く変化し数字が浮き上がってくると、そこに投影されたものに私は目を疑った。


「……2/2、信じられないですね。もう私たちの他にあと一つしかチームが残ってないということですか」


 開始時の半分に減ったチームの分母の数。

 それはゲームの険しさを表していて、私は自分がまだレースの中で生き残っていることが奇跡に思えてしまうほどだった。


「森の中で他のチームが襲われたってことですかね」

「……いや、たぶんそれは違うんじゃないかな」


 するとそこでチームが減少した理由を一つ予想してみると、これまでずっと黙りこくっていたシンジが口を開いた。

 でもその相貌はげっそりとしていて、心なしか他の三人からも少し距離をとった場所に立っている。


「やっと喋ったな、アマツカ。だけどお前大丈夫なのか? ゾンビみてぇな顔してっけど」

「あぁ、大丈夫だよ。心配いらない。僕は平気だ」

「ほらー、やっぱりそうだよねー。シンジくん様子変だよね? だけど、あたしが何言っても大丈夫しか言わないんだよ」

「本当のことだ。僕に心配はいらない」


 シンジはどう考えても虚勢を張っている。

 それは誰の目に見ても明らかだったが、その原因がわからないため私たち三人も強くは言えない。

 私には肉体的苦痛、リョウタロウには精神的苦痛、シオリには飢餓。

 ではいったいシンジはどんな重荷を背負っているのだろうか。私はふと考えてみる。

 どう見てもシンジは何か負担を抱えている。

 私とリョウタロウが種類の違う苦痛で、シオリが飢餓。ということはシンジも飢餓だろうか。

 傾向的に考えたら、シオリが肉体的飢餓で、シンジが精神的飢餓というところになりそうだ。

 でもわからない。精神的飢餓とはどんな重荷を指すのだろう。

 本人が原因を自覚しているのかどうかは不明だけど、おそらく課された重荷によってシンジは苦しんでいる。しかしある程度予想はできても、核心に触れるところまでは推理できなかった。


「僕のことはいいから、ゲームに集中しよう。順位のことだけど、たぶん今回減ったチームは、森の中で襲われたわけじゃないと思う」

「それはあたしも同感。だってあたしたちが二位になったのって、ここについて、ツカサとリョウタロウくんを待ってる間だから。あたしたちはどのチームも抜かしてないし、ここより先のどっかで脱落したんだと思う」

「セラさんの言う通りだと僕も思う。そしてここより先のどこかで、他のチームが一つ脱落したという話だけど……具体的にいえば、僕はあそこに何かが仕掛けられてるんだと思う」


 丘の先まで少し歩くと、シンジは女性のように細い指を使い若干下ったところにみえる異様なものを指し示す。


「……え? あれは?」


 私は茫然と口を開いたまま言葉を失う。

 丘を下った先に見えたのは、明らかに自然のものではない人工物だった。

 平坦に伸張された荒地に、忽然と出現している神殿の跡のような建築物。幾重にも煤けた柱が規則的に並んでいるのが遠くからでも見て取れる。


「僕の予想だと、あれが次のステージだと思う」

「なるほどな。登山ステージはここで終わりってわけか」

「きっとあそこで、一つのチームが消えたんだね」


 リョウタロウが首を左右に曲げ音を鳴らす。それは直感的にレースが終盤に差し掛かって来ていることを感じ取ったがための行動らしい。

 シオリも珍しくどこか憮然とした態度をしていて、それは彼女なりの緊張を表しているように見えなくもない。



「準備はいいかい? おそらく次が正念場だ。チームの絶対数が減っているとはいっても、僕たちが最下位だということには変わりない」



 そしてシンジは片目を手で覆い隠したまま、私たち三人に覚悟を問う。

 そういう彼自身に覚悟はあるのか、私は僅かに違和感を抱いたけど、実際に問い返すことはしない。

 このレースを一刻も早く終わらせたい。

 その気持ちは全員が共有できる最もたしかな思いのはず。

 だからシンジから、どこかまだゲームを続けていたいような想いを感じ取った気もしたけど、それはきっと気のせいなのだと、私はひとりその違和感を忘れることにしたのだった。





 丘を離れてしばらくすれば、すぐに神殿跡には辿り着いた。粉雪混じりに吹きつける風に目を細めながら、私は改めて近くで目の当たりにするその偉容な光景に少しだけ気圧される。

 起動させたナビゲーターはそのまま奇妙な紋様の刻まれた柱の間の方へ吸い込まれていく。


「……ってあれ」


 しかし、低い台座型の階段の向こう側にナビゲーターが差し掛かったところで、突然その道標となる蒼白光が消えてしまった。

 何が起きたのかわからず私は他の三人の方を見てみるが、やはり反応はそれほど自分と変わらないものだった。


「んー? ナビゲーター消えちゃったね?」

「どうなってんだ? なんか仕掛けでもあんのかよ」

「おそらくそうだろうね。あの海からこの島にやってきた時と同じ様に、空間が切り替わってるんだと思う」


 一歩先に進んでしまえば、そこはこことは全く違う異空間となる。

 やはりシンジの予想は正しかったようで、自然と私の身体にも緊張からか力が入る。


「でも、あたしたちも行くしかないよね? たぶん他のチームもここに入ったんだと思うし。ナビゲーターが先に行っちゃったってことは、ルート的にはここで合ってるもんね」

「だな。躊躇する理由はねぇ。行こうぜ」

「う、うん」

「……わかった。行こう」


 ふっと一度息を吐くと、まず最初にリョウタロウが階段を昇って神殿跡の中に足を踏み入れる。階段を登り切ったところで、大方の予想通り彼の姿も完全に消えてなくなった。

 次いでシオリが先へ進み、彼女の姿もまるで溶けるようにしてどこにも見えなくなる。

 残されたのは二人となったが、どうもシンジが動こうとしないので、私が先に二人に続くことにする。

 一段一段、石質の階段を登っていく。たった数段の階段にも関わらず、一歩進むたびに空気が重くなり、私が先へ進むことを拒んでいるような気さえした。

 それでも私は足を止めることをしない。自分一人ではないと、この重荷も四等分できると、今の私は知っていたからだ。


「――うっ!」


 そしてついに神殿跡の中に足を踏み入れた瞬間、全身の毛が逆立つのがわかった。

 氷の結晶を微かに含んだ風はぴたりと止み、煌々と輝いていた陽の光が不自然に途絶え、代わりに熱を感じさせない月光が世界を照らしている。


 それは、夜だった。


 辺りを見渡してみると、先ほどまでに比べて変化した点がいくつか見つかる。

 蛇が這いずり回ったかのような模様が装飾された柱が一縷の乱れもなく整列している殺風景な神殿跡。そこに私は立っていて、そこには疑問はない。

 最も大きく変化した点を挙げれば、それはやはり時間帯だろう。

 寸前まで天の最上に陣取り、一切動こうとしなかった太陽は跡形もなく消えていて、淡い白光を放つ月が代わりに鎮座している。

 他にも大きく変化した事柄はいくつかある。まず一つは床一面を埋め尽くす、金属製の小さな物体だ。宵闇のせいで見えにくかったけど、僅かな月明かりを頼りに目を凝らすと、どうやらそれは鉄で出来た鍵らしかった。


「ツカサー、こっちこっちー」


 夜天に浮かぶ一つの月と、石床に散らばる数多の鍵に目を奪われていた私にどこからか声がかけられる。そのソプラノが聞こえてきた方に顔を向ければ、そこには手招きするシオリとその隣りで若干苛立たしそうに頭を掻きむしっているリョウタロウの姿が見えた。

 私は小走りで二人の傍まで寄って行くと、奇妙なものを目にする。


「ほら、見てツカサ。これ、超怪しくない?」

「えと、これって扉、ですよね」


 荘厳な夜の中、神殿跡の中央付近で不自然に佇む一つの扉。その横にはナビゲーターが、起動中を示す蒼白光を放ったまま宙空で停止していた。


「どうもこの扉の先に行けってことらしいな」

「もしかしてこの床に沢山落ちてる鍵から、この扉に合う鍵を見つけろってことですか? 冗談ですよね。そんなのいくら時間があっても足りないですよ」


 一つの扉と大量の鍵。そこから想起される自分たちがやるべきことに対して、私は顔が引き攣る思いだった。

 しかし足の踏み場に困るほど夥しい数の鍵を一つ拾うと、シオリがある事に気づく。


「でもこの鍵、よく見たらほとんど同じ奴じゃない?」

「え、そうなんですか」


 シオリの指摘を受け、私も幾つか落ちている鍵を手に取ってみる。

 たしかに彼女の言葉通り、鍵の種類はある程度限定できるみたいだ。


「……ハート、スペード、ダイヤ、クローバー。鍵の種類はどうやら全部で四種類みたいだね」


 するとそこに、後ろからテノールの声がふいに聞こえてくる。

 振り返ってみれば、本格的に体調を崩したように、血の気の引いた表情のシンジの姿があった。


「遅かったな、アマツカ。それにしても相変わらずお前顔色悪りぃな。何をひとりで抱え込んでんのか知らねぇが、俺たちの足だけは引っ張るなよ」

「ちょっと、リョウタロウ。さすがにその言い方はどうかと思いますよ」

「そうか? それはすまねぇな。ちと寝不足気味でね」


 明らかに無理をしているのに、周りのメンバーに頼らないシンジの態度が気に食わないのか、リョウタロウはそっけない態度でそっぽを向く。

 山丘から神殿跡に移動する間に、リョウタロウに課せられた重荷の説明は二人に行ったため、今や重荷を仲間に知られていないのはシンジだけになっていた。


「四種類しかないんだからさ、これ全部試していけばいいんじゃない?」


 微妙に流れた剣呑な雰囲気の中、シオリがハートの形をした鍵を指でくるくると回しながら提案する。

 それは澱んだ空気を変えると同時に、この場で最も適切な次にすべき行動に思えた。


「そうだな。とりあえず試しにそれで鍵回してみろよ」

「おっけー。二人もそれでいい?」

「はい。私も賛成です」

「……僕に異論はない」


 全員の了承を得ると、シオリはハート型の鍵を扉に差し込む。そして迷うことなく捻ろうとするが――、



「きゃああああああっ!!!!!」



 ――次の瞬間、鮮血が夜を紅く濡らし、アルトの絶叫が暗闇を貫いた。

 扉の鍵穴から解錠の快音は聞こえてこず、代わりに漿液が床に撒き散らされる音が響き渡った。

 私は左手首をじっと見やる。そこには真新しい傷が深く刻まれていて、脈打つように血を吹き零している。

 前触れのない叫び声は私のもの。

 激痛に耐えながら周囲を見渡してみれば、そこにはやはり自分と全く同じ場所に傷をつけた三人の姿があった。


「……は? どういうことだ? なんで、傷が?」

「どうやら外れ、みたいだね」


 困惑したようにリョウタロウは左手首の切り傷を見つめている。

 シンジにはそこまで驚いた様子はなく、どこか冷めた、或いは心ここにあらずといった表情をしていた。


「あ、ああ、ご、ごめん。ツカサ、大丈夫? 痛かった、よね?」

「……い、いいえ。もう大丈夫です。痛かったですけど、意識が飛ぶほどじゃないので。まあ、そっちの方がたち悪いかもしれませんが」


 そしてこの中で唯一痛みを感じる私だけが息を荒げていて、シオリは自分の発言のせいで私に苦痛を与えてしまったと罪悪感を覚えているのか私の傍まで駆け寄って心配の声をかけてくれた。


「どうするよ? 別の鍵を試してみるか?」

「リョウタロウくん、本気で言ってるの? さっきのツカサの悲鳴が聞こえなかった?」

「そうは言っても、他に方法がないだろ」

「だけどツカサをこれ以上――」

「シオリ、私は大丈夫です」


 リョウタロウがもう一度別の鍵を試行しようとすることに、珍しくシオリが声を荒げて反論している。

 でも私は、自分が傷つくことで先に進めるのならそれで構わないと、彼女の肩にまだ綺麗なままの利き手ではない方の手を置いた。


「悪いな、マキ。じゃあ、次はこの鍵でいいか?」

「はい。私は構いません」

「……ツカサがいいって言うなら」


 普段はマイペースを貫くシオリがあからさまに不機嫌になっているけど、それをなるべく気にしないようにする。

 若干気まずそうなリョウタロウも、やがてスペードを模した形の鍵を扉に差し込み、ゆっくりと横に捻った。


「――うっ!」


 だが扉の鍵穴は拒絶するように一度震えるだけで、特別な反応は示さない。そしてまたもや私が痛みに呻き声を上げて、リョウタロウは右手首から迸った血飛沫に表情を歪めていた。


「……これはまずいかもしれないね」


 するとそこで、シンジが自分の両手首に付いた傷を見ながら、小さく呟く。


「なにがまずいんだよ?」

「これはたぶんカウントなんだよ。左手首、右手首、次もし解答を間違えたどこに傷が付くと思う?」

「は? ……左足首か?」

「かもしれない。それか……首、のどちらかだと僕は考えてる」

「首って、それはたしかにあたしもまずい気がするよ」


 そこまでシンジに言われてリョウタロウは表情を沈鬱に曇らせた。

 鍵の種類は全部で四つ。その全てをノーリスクで試せるとは私も思わない。


「ここは一旦、鍵を試すのは止めにしておいた方がいい」

「ちっ、ならどうすんだよ?」

「鍵以外の、他のことを試そう。たとえばそうだな……そもそもその扉は、本当に開かないのかい?」

「は?」


 シンジから放たれた予想外の言葉に、リョウタロウが間の抜けた声を漏らしてしまう。

 意味深に設置された扉に、存在を主張するかの如く辺り一面に散りばめられた鍵。

 扉が閉じられていると思うのは当然で、私も開くわけがないと思っている。


「そりゃ、開いてるわけねぇ……よな?」

「わかんない。ドアノブにはまだ触ってないよ。鍵穴しか弄ってない」


 シオリが首をかしげるのを見て、リョウタロウはまさかと言いつつも、ここで初めて裏側は空っぽになっている古びた扉の取っ手を握ってみた。

 そしてそれを捻り、押し開けるような動作を彼がすれば、世界はまたもや劇的に変化した。



「マジかよ」



 再び世界は一変し、夜が明け、眩しい太陽光が戻ってきた。

 雲一つない晴天に、うだるような日差しの気温。

 肉体的苦痛を感じにくい遼太郎ですら肌に焼き付くような痛みを覚えているようで、凄まじい暑さにシオリは早速喉の渇きを主張した。


「また、世界が変わったの?」

「うぇ、ここ、なんか凄い喉が渇くね」

「……まさか本当に開くとはね。これは予想以上に厄介なことになってるみたいだ」


 砂漠地帯のように乾燥し、熱射が降り注ぐ気候条件以外には変化がなく、相変わらず漆塗りの扉と先導を止めたナビゲーターは目の前で無愛想に立ち尽くしていて、足下には四種類の鍵が所狭しと転がり落ちている。

 私は嫌な予感を覚えつつ、もう一度ドアノブを捻り押し込むリョウタロウを見守る。

 すると案の定、怖れていた事態が起き、絶望に私は天を仰ぐ。


「いったいどうなってんだよ」


 気づけば一瞬前まで、狂ったように輝いていた太陽は分厚い雲に遮られていて、身体中を強く打ちつける豪雨の下に私はいた。

 数秒に一度、耳を劈く雷鳴が轟き、閃光が私たちの目を眩ませる。曇天は灰色の世界を創り上げていて、私は微かに眠気を感じた。


「ふざけやがって! くそがっ!」


 癇癪混じりに、もう一度リョウタロウが扉を殴りつけるような勢いで押し開ける。

 そうすれば三度世界は変貌を見せ、今度は白銀の世界を私の目に映し出した。


「今度は雪なの?」

「もう、めちゃくちゃじゃねぇか」


 シオリが掌を開けば、そこには氷の結晶が幾つも舞い降りてくる。私は冷気に身を震わせ、急速に体温が奪われて倦怠感に支配されていくのが自覚できた。

 月夜、酷暑、暴雨、積雪。

 四つの顔を見せた世界に悪態をつきながら、うんざりした顔つきでリョウタロウがまたドアノブを回す。

 すると再度世界は姿を変えてみせるが、次に現れたのは見覚えのある暗闇と白光だった。


「一番最初に戻りましたね」

「やっぱり、この鍵をどうにかしないといけないのかなぁ」


 戻ってきた夜天に私は困惑の視線を注ぎ、シオリは常に変わらず足下で横たわっていた鉄鍵たちを無感情に見下ろしている。


「ポジション……ちっ、やっぱりここもループステージかよ。この数字を見るのは久し振りなのに、ちっとも嬉しくないぜ」


 忌々しそうにリョウタロウが紅く浮き上がった数列を見やっている。

 示されているのは1/2。

 その分子に刻まれた数字はずっと追い求めていたものだったけど、ここで先行したチームがどれほど足止めされているのかも分かってしまい、どうしても素直に喜べる気にはならなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る