足跡


 息が苦しい。

 蒼白光を放つ球体――ナビゲーターを先頭にして、私たち四人は両側を凪の海に囲まれた砂の直路を走っていた。

 すでに走り出してから三十分ほどは経っただろうか。

 いまだに景色は微塵も変化を感じさせず、果てのない狭隘な砂浜をやみくもに駆け続けているだけだ。

 それほどハイペースで走っているわけでもないのに、私の心臓はもう今にも喉から飛びだしそう。いくら運動が不得意だと言っても、もう少し体力があった気がするのだけど。


「ねぇ、リョウタロウくん。順位は今どうなってる?」

「ああ? そんなもの自分で確認しやがれ。……ポジション。ちっ、二位か。どっかに抜かれたな」


 刺々しい言葉とは裏腹にシオリの言葉を素直に受け取ったリョウタロウは、赤く浮き上がる2/4という表示に悪態をついた。

 命をかけたこのレースが始まった瞬間こそ私たちの順位は最下位になっていたが、それもナビゲーターを起動させればすぐにトップの順位になっていた。

 数分前に順位を確認した時も、その順位は変化していなかったのだけど、どうやらこの数分間の間に多少の変動があったらしい。


「お前らもっと走るペースを上げろよ。死にたくなかったらな」


 リョウタロウは後ろを追従する三人、特に最後尾にいる私と華奢な体躯の少年に向かって睨みを飛ばす。

 しかし私はもうほとんど体力的にも限界が近づいているのでペースを上げるのは無理な相談だ。もし自分が半分死んでいなかったらすでに死んでいると本気で思う。


「おい、なに足止めてんだ、お前?」


 すると最後尾を走るうちの一人がおもむろに立ち止まり、その様子を見たリョウタロウがこめかみを引き攣らせる。

 そして動きを止めたのは私ではなく、考え込む時に唇に指を当てる癖がある黒髪の少年だった。


「変だな」

「お前、俺の話聞いてたのか? 足を、動かせ、そう、俺は、言ってんだよ」


 少年はリョウタロウの言葉を無視して、気を利かせてシオリがストップさせたナビゲーターの方まで落ち着いた足取りで近寄っていく。

 場の空気は悪いが疲労困憊だった私はこれ幸いと、さりげなく砂浜に腰を下ろしていた。


「ポジション……順位は上から二番目か」

「お前いい加減にしろ――」

「君も、変だと思わない?」


 とうとう我慢の限界が来たのか詰め寄ろうとしたリョウタロウに対して、落ち着き払ったままの少年が指を一本突き立てる。

 そんな彼に興味を持ったのか、暇そうにストレッチをしていたシオリも二人の下に近寄っていく。


「なになに? どうしたの?」

「おかしい。やっぱり何かが変だ」


 少年は一定のリズムで自らの唇を叩きながら、周囲をきょろきょろと見渡している。

 それにつられたのか、周りの二人、加えて少し離れた場所で休憩している私も改めて辺りの景色を観察してみた。

 さざ波一つ立たない死んだように静かな海。

 雲すら泳がない無感動な空。

 幾つもの足跡が刻まれた白い砂道。

 時の流れを感じさせるものは何一つ見つからない。


「だから何がおかしいってんだよ。お前いまの自分の状況わかってんのか?」

「……ああ、わかった。違和感の理由がわかった」


 憤りを隠そうともしないリョウタロウの横を通り抜けて、少年はナビゲーターの下まで進んでいき、納得したように一人頷いていた。


「僕たちがナビゲーターを起動させて、走り出した時から僕たちの順位はついさっきまで一位だった。だけど周りを見る限り、ここまでずっと風景は変わらないままだ。そしてついさっき、順位は二位に変わり、それは立ち止まった今でも変わらないまま」


 紅色の光は、2/4を映し出したまま宙で停止している。

 いつになったらこの浜辺から抜け出せるのか。

 どうやら少年はその全員が抱いているであろう疑問への答えの道標を見つけ出したらしい。


「僕たちは強制的に生死をかけたレースに参加させられている。でも、そのレースが僕たちが知っているような普通の体力勝負のレースだとはどうしても思えない。現にあの黒猫はこのレースのことをゲームと呼んでいた」

「何が言いたい。時間がねぇんだ。遠回しな言い方はやめろ」

「つまりさ、ここは何らかの“ステージ”で、僕たちは何かしらの条件をクリアしないと抜け出すことができないんじゃないかな」


 ステージという言葉を少年が使うと、その横でシオリがなるほどと小さく頷いていた。

 リョウタロウは一瞬不審げな表情を浮かべたが、少年と同じ様にナビゲーターの真横まで歩いて行くと何かに気づいたように顔を歪める。

 やっと立ち上がることができるくらいまで回復した私も、こっそり他のメンバーの輪に加わっておいた。


「証明しよう」


 すると少年は何を思ったか、そのまま踵を返しこれまでずっと走ってきた道を逆走し始めてしまった。

 我慢の限界が来たらしいリョウタロウが怒号を上げるが、少年は一度も振り返ることなくそのまま姿を消してしまう。


「あの野郎……正気か?」

「いなくなっちゃったね」


 拳を強く握り締めながら、リョウタロウが鬼のような形相をしている。

 一方のシオリはあまり興味なさそうな様子だ。

 

「あの、どうします?」


 私がおずおずと声をかけてみても、二人から返事はない。

 追いかけることはせず、少年が戻ってくるのを待っているらしいリョウタロウは時々こめかみをぴくぴくとさせるだけ。

 シオリの方は足下の白砂を見つめながら、何か思案気な表情をしている。

 さて、これはどうしたものか。

 完全な膠着状態になってしまった私たち。幸先がいいとは言えない。


「あたし、わかったかもしれない。彼が言ってたこと」

「え?」

「ほら、やっぱり。戻ってきた」


 しかしふいにシオリが顔を上げると、再起動を待つナビゲーターの方を指さす。

 つられるように私も彼女の陶器のように白い指の先を見つめる。

 戻ってきた。

 シオリの口にしたその台詞の意味を私が理解するのに、時間はかからなかった。



「……これで、証明できたね」



 まだ私たちが進んでいない道から、幾つもの足跡を避けるようにしてあの少年がやってくる。

 特に感動もなさそうな顔で、彼はナビゲーターの横まで来るとそこで立ち止まった。

 後方へ去っていったはずの彼が、どうして前からやってくるのか。

 私も遅れて彼が何を証明したのかを悟る。

 

「おい! お前……」

「僕たちがナビゲーターを起動させた瞬間、順位が一位に変わって、さっきまでずっと変化しなかったのも、たぶん僕たちがこのステージに入ったっていう認識で、ただ他のチームと同率一位になっていただけなんだと思う」


 再び姿を見せた少年は掴みかからんとばかりの勢いのリョウタロウを無視して、彼は自らが証明したかったものを示す。


「僕たちはずっと“ループ”、つまりは同じ道を走り続けているんじゃないかと僕は考えている。足下の砂道を見てくれ。足跡が多すぎないか?」


 ループ。それはもはや明らか。

 言われて初めて足下に注目する。たしかに足跡の数が初めて通る道にしては多すぎる。

 それに最前線を先導しているはずのナビゲーターの向こう側にも見える足跡はよくみればどれも見覚えのあるものばかり。

 あれは全て、私たちの足跡だ。


「うわぁ、ほんとだ。よく気づいたね。走ることに夢中で、足跡なんてあたし全然気にしなかったよ」

「……一理あるな。よく考えてみればこのレース自体があり得ない代物だ。たしかにそんなふざけた趣向が凝らされても不思議じゃねぇ」


 完全に立ち止まってしまってから数分が経とうとしているが、ナビゲーターに表示される順位も変化しておらず、少年の推測の正しさを証明しているようだった。

 リョウタロウも怒気を引っ込め、冷静な気配を取り戻し始めている。


「でもその条件ってなに? あたしたちは何をすればいいの?」

「それは僕にもわからない。走りながらずっと周りを見てたけど、気になるような点は申し訳ないけど見つけられなかった」


 私もシオリ同様走ることだけに集中していたのであまり大きな事は言えないが、その少年の主張に同感だった。

 ここまで何か不審に思える点は一切なかった。本当にスタート地点から一歩も進んでいない気がしてならない。


「ちっ、面倒くせぇ。スタート地点はバラバラでもレースの公平性は保たれてるってあのクソ猫が言ってた意味がわかったぜ」


 この蒼い海と白い砂以外の何も存在しないこの場所から脱出することが最初の関門だとしたら、たしかに他のチームが別の場所からレースを始めても変わりはないと、私はひとり勝手に感心していた。


「僕たちの周りにヒントはない。となると、きっとここをクリアするための鍵は僕たち自身にあると思うんだけど、皆はどう思う?」

「あたしたち自身? どういう意味?」

「そのままの意味だよ。ナビゲーターを起動させることがこのステージに入る条件だったように、僕たち全員、或いは誰かが何かしらの条件を満たす必要があるんじゃないかなって」

「だから何なんだよ。その条件ってのは」

「そこまでは僕もまだわからない」


 このステージをクリアするためには、条件を満たす必要があると少年は言う。

 私もその条件なるものが何なのか一応思考を働かせてみるが、妙案は思いつかない。それは他の三人も同じ様で、皆それぞれ無言を保ったままだった。


「ねぇねぇ、ちょうどいいタイミングだし、自己紹介でもしない? せっかくのチームなんだし、お互いのことを少しくらいは知ってた方がいいと思うんだけど」


 しばらく沈黙が続いた後、前触れなくシオリがぱんと手を叩く。

 よく考えてみれば、私はまだ他のメンバーの年齢なども知らなかったし、少年に関していえば名前すらわからないままだったので、遠慮がちにだけどそんな彼女の提案に賛同を示す。


「私も簡単な自己紹介くらいはした方がいいと思います」

「悪くねぇアイデアだ。これでも一応チームらしいからな、名前と年齢、あと死にかけになった理由くらいは教えて貰うぜ。俺だけなんで死にそうになってんのか知られてんのは癪だしよ」


 一見個人主義者に見えるリョウタロウも賛同したことを意外に思ったけれど、最後に付け加えられた一言で納得した。

 思い返してみれば件の黒猫によって、彼だけはなぜ生死を彷徨う状態に陥ってしまったのかを周知にさせられていた。自分だけパーソナルデータが開示されている現状を、一応は気にしていたのだろう。


「……そうだね。もしかしたらそれがクリア条件かもしれないし、僕も構わないよ」


 そして唯一名前すら明かしてない少年も、あまり乗り気ではなさそうだがシオリの提案に反対はしなかった。

 でもそういえば、私って結局なんで死にかけてるんだっけ。

 しかしここで私は、なぜ自分がこの場所に贈り込まれることになってしまったのかまだ自身ですらわかっていないことを思い出し、少々まずい気がしてきた。


「ならまずは俺からだな。名前はツキモトリョウタロウ。歳は十六。死因は、ってまだ完全に死んではねぇか。半死因は、あのクソ猫が言ってた通り、交通事故だ。あんまり認めたくねぇが、たしかに事故った覚えがあるし、それがここにとばされてくる前の最後の記憶なのも間違いない」


 リョウタロウは苦々しい顔つきで前に黒猫が言っていた事が全て事実だと認める。

 だけど十六歳は意外だ。私と同い年だとは思わなかった。

 それに改めてよく見ると、なんとなくどこかで見たことのある顔だった。それに声も聞き覚えがある。

 四人の中で最長身のリョウタロウをまじまじと見つめながら、私は要領の得ない感覚に頭を悩ませていた。

 目尻の上がった切れ長の目。瞳の色はライトブラウンで、筋が通り高い鼻と薄い唇は形がよい。控えめに言っても二枚目といってよい外見で、不思議とその顔を見るのは初めてではない気もした。

 さらに低いが鋭くよく通るバスの声色も、どこかで耳にした記憶が曖昧に残っている。

 これは間違いない。たぶん彼と私は一度どこかで会ったことがある。


「あの、どこの高校に通ってるかとか訊いていいですか?」

「そんなこと知ってどうすんだよ」

「いや、ちょっと気になって」

「……行ってねぇ」

「え?」

「だから、俺は高校は通ってねぇっつってんだ」

「あ、そうなんですね。えと、なんか、すいません」

「なにがだよ」

「いや、その、ごめんなさい。なんでもないです」


 中学の同級生だったらさすがに分かる。でも高校はまだ入学したばかりなので知らない同級生も多い。

 そう考えたうえで、もしかしたら彼は同じ高校に通っている同級生かもしれないと思っての質問だったが、想定とは斜め上の答えが返され、私は思わず後悔に顔を手で覆う。

 リョウタロウは不機嫌そうにそっぽを向いてしまい、これ以上はもう何も話すつもりはないようだった。


「うーんと、これでリョウタロウくんの番は終わりかな? じゃあ次はあたしの番だね」


 だがその重苦しい空気も全く気にせず、肩口まで癖毛を伸ばしたシオリが口を開く。ムードメーカー的な素養を持つ彼女がこのメンバーの中にいてよかったと心の底から思った。


「名前はセラシオリで、歳は十八」

「は? お前年上だったのかよ? 絶対年下だと思ってたぜ。敬語使った方がいいか?」

「うーん、べつにどっちでもいいよ。あたしはどっちでも気にしないから、呼びやすい方で」

「なら悪いが、このままの口調で行かせてもらうぜ。昔から敬語は苦手なんでな。それでいいんだろ、セラ?」

「うん。いいよ」


 試すようにリョウタロウが唇を曲げると、シオリは特に表情も変えずに鷹揚に頷く。

 信じられない。シオリが年上だったなんて。私もどちらかといえば、同い年か下だと思っていた。でもしかに言われてみれば、なんだか大人の余裕みたいなものを感じないこともない。天然っぽいと思っていたけれど、実は全部計算だったりするのかもしれない。

 いい意味で空気の読めないシオリの言動が、案外本人の気遣いによるもののような気がしてきた。


「それで? お前は何で死にかけてんだ?」

「あたしはね、縄で首を吊ってた途中が最後の記憶だから、たぶんそれがリョウタロウくんの言う半死因ってやつだと思う」

「首を吊ってたってお前、それ……」

「まあ俗にいう首吊り自殺ってやつだね。あたしは皆と違って、どうしても生きたいって気持ちは正直ないけど、心配しないで。皆の足を引っ張るつもりもないから。だってもし本当に死にたかったら、生き返った後で、もう一回一人で勝手に死ねばいいだけだからね」


 しかし何でもない事のように語られるシオリの事情にリョウタロウは言葉を失う。それは私も同じことで、あっけらかんとした明るいソプラノの声と話される重く憂鬱な内容があまりに剥離していて、一瞬何を言っているのか理解できなかった。


「……もしかしてセラさんは、この“ゲーム”に参加するの初めてじゃないんじゃない?」

「どうしてそう思うの? そんなことないよ。あたしも自殺をしたのは今回が初めてだし、もしクリアできても、次死ぬときはちゃんと即死できるような方法選ぶつもりだから、もう二度とここに呼ばれることはないと思う」

「そうか。ごめん。変なことを訊いて」

「ううん。べつにいいよ。気にしてない」


 シオリはリョウタロウに似た台詞を言ったときと全く同じ調子で、気にしていないと少年に向かって繰り返す。

 凪のように穏やかで、どこにも影を感じさせないそんな彼女の表情の裏側に、どんな想いが渦巻いているのか私にはわからなかった。


「とりあえずあたしからはこれくらいかな。それじゃあ皆、よろしくね」


 なぜか困ったように最後に笑い、そしてシオリは自らの自己紹介を終える。彼女に笑顔を返せる者は誰一人としていなかった。


「なら次は僕が話そうかな。なんかトリって嫌だし」


 結局シオリが話し出す前より重鈍になってしまった空気の中、なんとか口火を切ったのは相変わらずのポーカーフェイスを貫く少年だった。


「僕の名前はアマツカシンジ。歳は十七だけど、僕もセラさんと同様、敬語とかに拘りはないから好きなように呼んで貰って構わない」


 淡々とした口調で少年――シンジは自らの名をここで初めて明かす。

 真っ黒な瞳は夜の海のようで、彼の声はどこかひんやりとしていて透明なテノールだった。


「僕は小さい頃からちょっと珍しい病気に罹ってたんだけど、ちょうどその病気に関係する手術の最中だったはず。だからたぶん、僕の半死因はそこにあるんだろうね。医師の技術的な問題か、僕の身体の拒絶反応とかそういう問題かはわからないけど、どうやら手術は上手くいかなかったらしい」


 シンジはまるで他人事のように、自らの記憶の果てを語る。温もりのない視線は他の三人ではなく、遠く水平線の彼方に向けられていて、それを私は少しだけ寂しいと思った。


「何か質問がなければ、僕の方からはこんなものかな」


 簡潔に話をまとめると、シンジは促すように私の方に顔を向ける。

 私も含め、他のメンバーからも特に質問の声は上がらず、いよいよ自分の順番が回ってきてしまった。話の流れも合わさって私は脳の髄まで緊張しきっていたが、なんとか声を絞り出そうとする。


「えと、じゃあ、最後は私の番ですよね。私の名前はマキツカサです。年齢は十六で――」

「マキツカサ? どんな字を書くの?」

「え? あ、その、牧師の牧でマキ、上司の司でツカサ、です」

「歳は十六って言ったよね。学年は?」

「学年は高校一年生です。私、六月生まれなのでもう誕生日は迎えてます」

「六月生まれだって? 六月生まれの十六歳? そして高校一年生?」

「あ、はい」

「もしかして左利きだったりする?」

「え? そ、そうですけど、なんでわかったんですか?」

「おいおい、どうしたアマツカ? 何をいきなりそんながっついてんだよ?」


 名前と年齢まで私が口にするとシンジが驚きに目を見開き、こちらへ矢継ぎ早に問いを投げかけてくる。これまでずっと鉄仮面を保っていた彼の突然の豹変に私は困惑し、リョウタロウも面白そうにそんなシンジを眺める。


「……いや、ごめん。話を途中で遮って申し訳ない。続きをどうぞ」

「なんだよアマツカ。俺とかセラの時とはずいぶん態度が違うじゃねぇか。そんなにこいつのことが気になるのか?」

「べつに。そういうわけじゃない。ただ――いや、何でもないよ。気にしないでくれ。君たちには関係のないことだ」

「こういうのが趣味なのか? やっぱりお前とは仲良くなれなさそうだな」


 リョウタロウがヘラヘラと挑発染みた言動を振る舞うが、シンジはまたいつもの無愛想な顔に感情を隠し込み、ピアニストのように細い指で唇に封をする。

 私はどうすればいいのかわからず傍観者になり果てていたけど、シンジとリョウタロウの問答がひとまず収まったことを見て、おそるおそる拙い自己紹介を再開させる。


「あの、それでこの空気の中大変言い辛いんですけど、実は私、自分がなぜここに送られてきたのかわからなくて」

「は? どういう意味だ? 自分の半死因がわからねぇってのか?」

「ごめんなさい。つまり、そういうことです」


 そして自らが半死半生の状態になってしまった理由を結局思い出せなかったことを素直に白状すると、私はいたたまれない気持ちに身を縮こまらせる。かなり気まずい。


「どういうこと? ここに来る前の最後の記憶は? 覚えてないの?」

「完全に覚えてないってわけじゃないんですけど、その、なんというか、どうも死にかけるような事態になった覚えがなくて」

「へぇー、そうなんだ。そういうパターンもあるんだねぇ」


 懸命に記憶の糸を辿る。私が覚えているのは全くもっていつも通りの日常だった。

 学校での授業を至極真面目に受け切り、帰宅部として真っ直ぐ家に戻った後は、両親と共に惰性で見続けているテレビドラマとバラエティー番組を鑑賞し、自室で簡単な授業の復習予習をこなした。一時間ほどの長風呂でリラックスすると、趣味の読書を行い、ある程度読み進めたところで就寝。その後はまた普段と同じく目覚まし時計に叩き起こされ、眠気覚ましに朝風呂に入ったはず。

 変わった事など何一つなく、生死を彷徨うことになるほどの劇的な出来事は一切身に覚えがなかった。


「隠してるわけじゃねぇんだよな?」

「違います。本当に覚えてないんです。たぶん、最後は朝風呂に入ったと思うんですけど」

「もしかしてお家に隕石でも降ってきたんじゃない? もしそうだったら、自覚がなくても変じゃないし」

「馬鹿かお前。もしそうだったら、半死半生にならねぇよ。確実に即死だろ」

「それもそっか」


 シオリが口にする突拍子もない可能性を、リョウタロウが反応よく否定する。意外にこの二人は気が合うところがある。

 それにしてもどうして私は死にかけているのだろう。

 他の三人とは違い、交通事故にあった覚えもなく、もちろん自殺願望も持ち合わせてないし、難しい手術が必要な重病に侵されているわけでもない。いたって平凡な人生を送っていた自分がなぜ死に追い詰められているのか、私にはまったく想像もつかなかった。


「もしかしたら案外、些細なことなのかもしれないね」


 すると、ぼそりといった調子でシンジが唇に指を当てたまま声を零す。

 黒の瞳はきめ細やかな白砂に注がれていて、それは私に喋りかけるというよりは、どちらかといえば独り言に近いものらしかった。


「死ぬのに必ずしも特別な理由が必要なわけじゃない。僕とかセラさん、ツキモトくんみたいに、それこそ小説のワンシーンになるような死に方を誰しもがするわけでもないと思う。マキさんは朝風呂に入ったんだっけ? だったらたとえば、お風呂場で足を滑らせて頭をいきなり打ったとか、あとは間違えてシャワーで冷水を出しちゃって、その冷たさに身体が驚いて心臓発作を起こしたり。いや、さすがに心臓発作はないか」


 死ぬのに必ずしも特別な理由が必要なわけではない。シンジの台詞が妙に頭の中でリフレインする。

 なぜかそのテノールの声から羨望と失望の入り混じった感情の色が見え、それを私はとても不思議に思った。


「まあ、何でもいいぜ。べつにこいつの半死因にそこまで興味もねぇし。それよりどうするよ? 一通り全員の自己紹介が終わったけどよ――」

「あ、ちょっとリョウタロウくん」

「なんだよ? まだ何か言い足りねぇことでもあるのか?」

「違う違う。あれ、見て」

「見ろって何を。どうせ海と空しかねぇだろ……っては?」


 とりあえず四人全員の自己紹介がひと段落を終えたところで、シオリがリョウタロウの腕を引っ張った。彼女は何か見せたいものがあるようで、つられるように私とシンジも緩やかな癖毛が印象的なシオリの指さす方に顔を向ける。



「嘘だろ、おい。マジかよ」

「まさか本当に互いのことを知ることが条件だとはね。それとも何か別の条件を知らないうちに満たしたのかな?」

「やったね。よくわかんないけど、これで第一ステージクリアってわけだ」



 雲一つない快晴の下、圧倒的な存在感を放つ、見覚えのない巨大な島。

 数秒前まではたしかにそこになかったはずの島が、なぜか砂浜の道先に忽然と姿を見せていて、剥き出しの岩肌と青々しい樹林が少し離れたここからでもよく見える。

 これまで止んでいた風がまた吹き始め、呆然と言葉を失う私の長髪を踊らせた。


「ツカサさんの半死因、やっぱりお風呂で滑って転んだか、シャワーの冷たさにびっくりして心臓発作のどっちかだったのかもね」


 チームメンバーが生と死の間に追いやられた理由。それを全員で共有することが道を拓く条件だと判断したのか、シオリが私の隣りまで近寄ってくると唄うように口ずさむ。

 私は華の女子高生なのにお風呂で転んで頭を打ったか、シャワーの温度設定ミスで人生終わってしまうかもしれないなんて。誰か悪い冗談だと言って欲しい。いくらなんでも酷すぎる。

 改めてこれが全て夢ではないのかと頬を自分で抓ってみるが、痺れるような痛みと吹き抜けていく風の潮の匂いが私の期待を容赦なく打ち砕く。


「……よし、行くぞ、アマツカ、セラ、マキ。悪いが俺はまだ死ぬわけにはいかねぇんだ。元の世界に戻るまでお前らには死んでもついてきてもらうぞ」


 そして宙で浮遊していたナビゲーターを再起動させると、視界の奥に佇む巨島の方へ吸い寄せられていく光球をリョウタロウは躊躇なく追っていく。そんな彼の背中にシンジとシオリも追従し、少し遅れて私も三人分の足跡を踏み越えていく。

 結局自分が死にかけることになった理由ははっきりとしないままだったけれど、わかったところでどうせ対して面白いものでもないと判断し、私はそれ以上を考えることを止めたのだった。



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