最終話 スカウトの日

 9月の連休がはじまってすぐのことだった。

 草野球の帰り道、真太郎はふいに見知らぬ女性に呼び止められた。

 人気のない河川敷のサイクリングロードだ。

 突然前に立ちはだかった相手に、慌てて自転車のブレーキをかける。

 真太郎よりもいくつか上の20代半ばと思しき女性だったが、困惑したのはまず出で立ちだ。

 ハロウィンにはまだ間があるというのに、フード付きの黒いローブをまとい、細長い布の袋を肩から提げている。

 声をかけてきたわりに用件を切り出す様子がなく、その場を立ち去ろうとすると、女はメモ帳のような紙を取り出し、しきりに瞬きを繰り返しながら読み上げた。

「わ、私はマルクール・シュトヘペストで、です。バットとボールの競技の祖、ピッチ&ヒットのバット職人です。あなたの能力は基準値を満たしているので、ぜひリーグ戦に参加して、く、ください。豪華な特典もあります。わ、私と一緒に来てくれますか?」

 首をかしげていると、にぐんきゅうじょうというところにも行きました、と女は言った。

 でもみんなあと一歩です、あなたには及びませんなどとまったく要領を得ない。

 それでも、声を掛けてきた可能性として考えられたのは一つ。

 よそのチームからの勧誘だ。

「今日は川に2発放り込んだから気がつかなかったのか。俺は特別ルールじゃないと野球ができない身体でね。残念なことに、足に少々問題がある。事情を理解して、甘えさせてくれるチーム以外ではプレーできん」

 外野の頭を越えない場合は、すべてアウト。

 それが真太郎に適用されている特別ルールだ。

 代わりに頭を越えればホームランとなり、ダイヤモンドを走らずにゆっくりと回ってホームに戻って来られる。

 ポジションはサードだが、守備は難なくこなせるのが面白い。

 そんな大きなハンディを背負いながらも、レベルの高い硬式リーグで真太郎は4番を張っていた。

「足は、し、心配ないです。そういう意味でも、ピッチ&ヒットは最適な選択だと私は思います」

 やはりぎこちない口調で相手は言った。

 これはまずい、と真太郎は焦りつつあった。

 訳が分からないが、妙に真剣味がある。

 女はメモ帳をローブのポケットにしまうと、意を決したように布の袋に手を掛けた。

 中から出てきたのは木製のバットだ。

 さあ握れ――。

 鼻先に突き付けられたグリップの奥にある目が、そう訴えていた。


 その数日後、真太郎は門をくぐり、アズスタックに足を踏み入れた。

 声を掛けてきた相手は、バットの材料を探すと言い残して山に向かい、代わりに弟子だという男の工房に案内された。

 見た目は真太郎と同年代に見えたが、どちらかといえば愛想がない。

 佐藤真太郎だと挨拶をすると、サトーだってと男は訊き返した。

「まあ、いい。あんたの部屋は2階だ。ここじゃバット職人がスカウト組の面倒を見ることがあってな。というか、あんたよくうちの師匠に付いてきたよな。俺だったら、そんなこと絶対に考えないぞ」

 古いが居心地のよさそうな、丸太で組まれた木造の工房だ。

 勤めていた家具工場と同様、木の香りが漂っている。

 経営不振で潰れてしまったが、再び職人の厄介になるのも面白い。

 部屋に通され、窓を開けると鋸の歯のような峰々が遠くに並んでいた。

 牧歌的なせいなのか、どこかで見た風景のような気がする。

 そのことを男に伝えると、面倒くさそうな仕草で耳たぶをかいていた。

「そりゃあ、あんたのいた世界にも山くらいあるだろうよ。山なんてどこも同じだ。あと、さっき言い忘れたが、食事の片づけはあんたの役目だからな」

 問題ないと応じると、男は部屋は出ていた。

 荷物は簡単な身の回り品と、金属バットが一本。

 早速素振りをするか、と独り言ちると、真太郎は深呼吸を一つした。

  




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ダルム丘のバット職人  佐藤真太郎編 鈴木51郎 @cyan1717

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ