第6話 最初に刻まれた名
魂と呼ばれるものの不便さ。
数時間後、真太郎はそのことをおぼろげながら実感していた。
すべては一本の糸で繋がっていたのかもしれない。
そして、その糸の出所となる場所。
それがこのアズスタックだ。
「なあ、アッシュ君。まだ頭の中の整理が追いついていないんだが」
真太郎は判を押したような台詞を口にすると、やはり判を押したように二度三度と軽く首を振った。
セナの街中にある大聖堂だ。
中層にあるテラスは庭園になっており、市民に開放されている。
真太郎は片隅にあるベンチに腰掛けていた。
ともかく心を落ち着けたくて、見晴らしのいいこのテラスへ移動してきたのだ。
霊廟での儀式――きわめて簡単なこの通例を、真太郎は遂げることができなかった。
アッシュに奉納用のバットを手渡された瞬間のことだ。
神の怒りに触れたかのごとく、強いめまいが襲ってきた。
そうしてその場に倒れこんでしまったのだが、振り返ればアズスタックに来てからというもの、無意識にマナのバットを握ることを避けてきた節がある。
アッシュの話によると、この世界には唯一人、ピッチ&ヒットの参加を禁じられている人間がいるという。
つまりはそれが真太郎であり、なんらかの意思が儀式に関わることを拒んだということだ。
「まあ、すべては俺の憶測にすぎないが、かといって白黒つける手段もない。ただ、どうだろうな。もう一度石碑の前でバットを握ったら、あんたはまた倒れるんじゃないか。俺、なんとなくそんな気がするわ」
霊廟の主ザクター王、真太郎はその生まれ変わりだという。
石碑の前で倒れた後のことだ。
門番の詰め所で目を覚ますと、アッシュが難しい顔を浮かべて壁際の椅子に座っていた。
どうやら、とんでもない御仁の面倒を押し付けられたらしい。
そんな風なことをつぶやき、確認することがあると詰め寄られたのだ。
もといた世界で似たようなアクシデントは起きなかったか、という質問に真太郎は迷いながらも肯いた。
一塁ベースを蹴ると石化したように足が固まる不可思議な<症状>。
周囲は走塁イップスと呼んでいたが、打者として頭角を現しはじめた小学生以来、そんな状態が10年もつづいている。
そのことを話すと、何かを察したようにアッシュは天井を仰いだ。
そして、長い息を吐いた後で、じゃあそうなった理由を教えてやると言ったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「えらく遠い昔の話だ。この星では頻繁に争いが起きていた。このセナもかつては戦場でな、いくつかの軍隊が派手な攻防を繰り広げていたって話だわ。で、細かいところは省くが、セナの争いは特にひどかったらしくてな。あまりの激しさに撤退する間もなく兵隊が死んでいき、戦場には2人だけが残された。その生き残りの片割れが、後のザクター王ってわけだ。
累々と屍が横たわる地獄絵図の中、2人の兵士は弾の切れた銃を手に対峙していた。死んだほうが全滅、生き残ったほうだってたった1人だ。勝ったと喜べる状況じゃないわ。まあ、しかし、兵隊っていうのは不器用な生き物だよな。仲間の死体にずらっと囲まれているんだ。決着をつけないといけないと思わずにはいられない。
なあ、サトー。あんただったら、そんな状況でどうするよ? 相手を殺したら、生きている人間がいなくなる。恨みがましい面した数万の死体のど真ん中で、1人だけ。いっそうのこと自分も殺してくれと思うよな。
ザクター王はな、憔悴しきった相手の顔を見て、こう悟ったとさ。こいつは自分に殺されるのを待っている、と。そもそも戦争には大義名分があるのかもしれないが、別の方法で解決することだって可能なはず。ザクター王はその時、そんな風に考えたらしいな。そこで、王はある提案を持ち掛けた。銃弾は互いに底をついているし、後は素手で殺し合うしか手段がない。だが、たとえその体力が残っていたしても、すべてを忘れて日常に戻ることなどできるのだろうかってな。
まあ、殺し合いにはうんざりだが、逃げる格好にするわけにいかないってところか。で、王は銃をバットのようにかまえた。そして、相手に足元の石ころを投げてこいと言った。自分の身体に当たることなく、全部打ち返せたらこの戦いをやめよう、と。
もうお分かりかと思うが、サトー。これがピッチ&ヒットの起源だ。戦場から奇跡的に生還した王は、その惨状を世間に訴えて民衆の信頼を得た。そして為政者へと登りつめ、この平和な世界の礎を築くことに生涯を捧げた。ついでに戦場の体験から新たなゲームも生まれたわけだが、これが案外有効活用されてな。歴史の記憶を受け継ぐ競技として、この星では特別な存在になっている。ま、有能なプリーストが賛同したおかげで、神と契約ができたのが大きいな。天上の加護を得ている以上、その精神を穢そうとすれば災いが起きる。ピッチ&ヒットがアズスタックの隅々まで広まっているのには、そんな背景があるってことさ」
一気に語ると、ここからが肝心だとアッシュは言った。
天上にも名目や建前というものがある。
ただで加護を与えてもらうばかりでは成り立たない。
そこでザクター王は、ある選択をした。
未来永劫、神の恩恵を授かる機会を他のプレイヤーに譲る。
契約の場でそのように誓ったのだ。
「ようは、自分はプレイヤーにはならない。そういうことだ。さすがにこれはマルクールさんから訊いているよな? リーグ戦の頂点に立った者は、虎龍級のマナを身体に取り込む資格を持つ。言ってみれば、完璧な肉体になるわけだ。王はその資格を放棄する、と神に告げたのさ」
アッシュの話は概ねそのような内容だったが、一つだけ納得のいく点がある。
時折現れる、ギフトを授かったかのような身体能力の持ち主。
もし生まれ変わりがあるのなら、彼らの前世はこの星の競技を制した者たちなのかもしれない。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
とはいえ、だ。
結局、自分はどうしたらいいのか――。
考えがまとまらないまま、真太郎はテラスのベンチに腰掛け、腕を組んでいた。
事実か否かはともかく、悲しいことに状況は悪化している。
少なくともこの世界では、打席でバットを振ることさえ難しい。
元の世界に戻るべきなのか。
思案しながらベンチから立ち上がると、ひどくシンプルな景観が目に飛び込んだ。
高い位置にあるテラスからは、街の半分と遠く山脈地帯にまで広がる平原を望むことができる。
平原には集落が散在しているようで、民家と思しき屋根がいくつも見えた。
「さて、今後の身の振りだが、なんだったら協会に今の話をしてやるぞ。上手く取り計らえば、あんたは一躍時の人だ。試しに石碑の前で数回ぶっ倒れるだけで、一生不自由のない生活を送らせてもらえるかもな」
えらい特別待遇だなと眉をひそめて訊くと、アッシュは近くの欄干にもたれかかった。
そうして、何かの合図のように奉納できなかったバットの先端を上に向けてみせた。
「上層の壁に大きな文字が刻まれているのか。何て書いてあるんだ? 俺には読めん」
「ヘルン・サトー・ザクター大聖堂。ここはピッチ&ヒットの歴史において、最初に刻まれた名を冠した聖堂だ。ただの偶然だと決め付けていたが、はじめてあんたと会った時、ずいぶんと偉そうな名前だと思ったものさ」
神と契約した者の名の一部。
それがサトーだとアッシュは言う。
真太郎は空を仰ぎ、流れる雲を目で追った。
その雲の下には何があるのか。
たくさんの驚き、大勢の人々との出会い。
この世界も真太郎が生まれ育った世界と同じなのにちがいない。
「ヘルン・サトー・ザクター? それがフルネームってことか。なあ、アッシュ君。俺はもうなにがなんだか分からん。ただな、今閃いたんだが、旅をしてみようと思う。折角ここまで来たんだ。いろんなところを見て、うまいものを食うのも悪くないだろう」
「好きにすればいいさ。この平和は、あんたが作ったんだ。途中で路銀が尽きてくたばろうが、新しい仕事を見つけようがあんたの自由だな」
数秒の間を置き、アッシュは言った。
日暮れ時が近いのか、突如として大聖堂の鐘が鳴り響いた。
とりあえず飯を食おうと背中を叩かれ、真太郎は空腹なことに気がついた。
街はいつまでも澄んだ鐘の音に包まれている。
それはまるで、この世界中に主の帰還を報せているかのようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます