11. REAL OR NOT 4


「…………これで、何機目になるんだろ」 


 我ながら独り言が多いと思いながらも、新たな暴走機械を作り出したかさねは口を閉じることが出来なかった。

 それは正気を保つためか、孤独を紛らわすためか、かさね自身にも分からない。ただ、喋らずにはいられなかったのだ。


「……ほんと、酷い夢だな」


 ガシャンガシャンと軍隊・・の歩行音がする。

 芸術的にも感じられる人型のフォルムを纏い、驚愕で満ちて騒然と踊る人の群の間をすり抜け、軽やかなステップで警備ドローンを引き放していく小さな機械人形たちは、現在しているはずなのに、どこか非現実的に見えた。


「こういうのって、悪夢って呼んでいいのかな……」


 眼前に広がるSFチックな光景を前に、性懲りもなく、篠原かさねは馬鹿みたいな発言を繰り返した。

 別に現実を疑っているわけではない。疑うとか――そういう次元は、もう疾うに超えている。

 スクリーンに映る街の喧噪は、かさねが引いた引き金によって起きたものだ。


 ぐるぐると、何か、形容のしがたい感情が胸奥でのたうち回っている。それは憂いか、苛立ちか、迷いか、或いはもっと別の感情なのか、かさね自身にでさえ分からない。

  寂寥感にも似たものを覚え、ふっと、我知らず小さな小さな歎息が洩れた。


 電子領域と呼ばれる何もない、只管に黒色が無限に広がる空間は、長時間ひとりで閉じこもっていれば発狂しそうな環境であるはずなのに、狂えない妙な居心地の良さがある。

 ここは空間の中心か外れか……宙に浮いているのか地についているのかすら判別がつかない。


 暗闇の中、未熟な雛鳥を守るようにかさねを囲う《球体》、それを形作っているのは淡く光るいくつもの《ウィンドウ》だ。

 真っ黒な画面もあれば、今し方奪った機体の視界を映しているものもある。


 かしゃんかしゃんと、また人形が躍る音がした。

 ああ、そうだった……と、かさねは思い出したように俯けていた顔を上げた。

 コントロールを奪った機体は注入したウィルスが勝手に動かしてくれるので、用事が済んだら誰かに見つかる・・・・前に、機体から早く自身の痕跡を消して接続を切らなければならない。

 指の一振りで、外の景色が流れているウィンドウを消す。


「――これで、よし」


 こうして簡単に電子領域とやらで操作はできているが、ハッキングの知識なんてものは、かさねは持ち得ていない。

 かさねは0と1の数字の羅列どころか、プログラミング言語ひとつさえ理解できないド素人以下の人間だ。

 学校での英語の成績も、正直、目を当てられるものではなかった。成績表を見た父母の悲愴な顔は、今でもかさねの瞼の裏に焼きついている。

 それでもこうして専門家の顔が蒼白になるほど電子世界で悪さを出来ているのは、《電脳化》によるものなのだろう。

 仕組みや原理を全く理解していないのに、単純な動作であっというまにイメージ通りのことが出来てしまう。

 まったく、とんだびっくり人間……あ、いや、この場合はサイボーグか。


 かさねは未だに自分たちがどのように機能して、どのようなことが出来るのか、完全に理解できてはいない。

 ただ、電子領域サイバーエリアに潜るという行為は、小説やアニメでよく描写されていたVRと似ていると思った。

 HPや、必殺技のためのMPゲージは見当たらないが『ランク』や『フレンド』はあったし、そういえばこんな無茶苦茶な混沌世界に放り込まれる前に、説明会のイベントで主催者がこれは「VRMMO」のようなゲームだと謳っていた。

 薄紅美少女ことPIXYが「レベル上げ」だの「パワータイプ」だのペラペラと銀髪少女と話していたのも覚えている。

 ――ゲームと呼ぶには、かなりとち狂っているが。


(PIXYの黒いハンマー……あれって、所謂『特性』っていうのになるのかな)


 イベントでも説明されたし、PIXYも言っていた。

 プレイヤーによって武器や特性タイプは異なり、ステージをクリアしていくに連れ、自身の個性に合わし、自身の望むように進化ができると。

 ステージとは何か、レベル上げはどうやって成されるのか――と自問したところで、思考を止めた。


『そこで、君たちには


 狂喜で染まった声が、耳奥で木霊した。

 ――ああ、そうだ。そうだった。

 プレイヤーを殺せば殺すほど、ポイントが加算されていく……そんな血みどろなシステムになっていたのだった。


あの男の人・・・・・みたいに、他のプレイヤーも殺されたり、殺そうとしてるのかな)


 狂っているのはあの銀髪少女と薄紅美少女だけでいい。

 そう願うが、現実が自分が望むように優しくないことはもう嫌というほどに実感させられている。

 今のこの状況が、いい例だ。


『――いやあ、かさねちゃんが物理特化のパワー型じゃなくて良かったよ! 初心者レベルだけど、電子系の特化型なら一人でも今回の作業は楽勝だよね! というわけで、後は全部よろしくー!』


 プレイヤー狩りに行くと言って、爛々とそんな言葉を残していったPIXYの声がかさねの神経を蝕む。

 電子系の特化型だと、彼女は言っていたがそんな自覚はかさねには無い。カプセルの説明をよく聞いていなかった間抜けな底辺プレイヤーだ。電子系に特化していると言われてもどう特化しているのか分かるどころか、そんなことは意識さえもしたことがなかった。

 かさねは特殊スキルを持っていなければ、個用の武器を持っているわけでもない。

 しかし、あのイベントの主催者は言っていた。


『――僕は差し上げよう。君たちに“設定”を、誰もが振り向かざるを得ない絶対的な“物語”を、ゲームという名のストーリーを』


 今、思えば何とも滑稽な神様気どりの台詞だった。だが、それよりも滑稽で愚かであったのは、それに追いすがった軽骨な自分だろう。

 苦々しいものが胃から這い出、食堂を伝って喉から競り上がり、咥内を満たす。

 ぐっと、奥歯をきつく噛み締めた。

 あの男は確かに、こう言った。


『――誰もが驚くストーリー。その中心に立っているからこそ、その人物は主人公・・・になれるんですよ』


 物語って、なんだろう。主人公ってなんだろう。

 今、生きている現実は物語で、自分はその主人公だとでも言うのか。


 ――とんだ茶番だ。

 お花畑な思考で現実から逃げ、呑気な顔で夢見た日常を謳歌しようとして失敗し、階段から転げ落ちるように、最低最悪な事態に陥ったこの現実を物語とするなら――なんと、酷い話だろうか。三流作家が描いた、とんだ三流話だ。

 現実から逃げ、強者に媚び諂いながら他者を陥れ、人を踏みつけてまで生きようとする少女を、一体だれが好むと言うのか。


「漫画の主人公みたいな人だったら……死んでも、PIXYたちに逆らうのかな」


 ぽつりと、そんな疑問を零し――自身の足を殴った。

 痛みはない。太ももが無数の画素の塊のように、或いは水面に浮かぶ月のように一瞬だけ揺れただけで、じじっという小さな不協和音を残して落ち着いた。

 はあ、と深い息を吐く。


 ――こんな過程話しているから、自分はいつまで経っても駄目なのだ。


 主人公であったなら、とかそんな話ではない。

 真っ当な人間であれば、こんなことにはなっていない。グチグチと悲劇めいた文句を口で垂れ流しながら、その下で人を貶める操作を行いなんて、しはしない。

 

 結局、篠原かさねは言い訳を探そうとしているだけだ。

 罪を犯す言い訳を。自身の正当性を保つための免罪符を。


「…………ぐちぐち文句を垂れるなら、やらなければいい」


 やりたくないのなら、逆らえばいい。死にたくないのなら危険を冒してでも小さな逃げ道を探し、見つからなければ現状を打破する術を考え、抗おうと立ち上がればいい。

 だが、出来ないというのなら。命を投げうつことが怖いというのなら――黙って、従うやるしかない。

 やるのなら、黙ってやれ。嘆くな。泣くな。


「――あんたに、そんな資格はない」


 そう自分に吐き捨てるように言葉を紡ぎ、ぐしりと鼻水を垂らしそうな鼻先を手の甲で擦って、かさねは顔を上げた。

 ……結局、篠原かさねに命の綱渡りをする度胸も、敵に逆らう勇気も無いのだ。

 そんな人間に嘆く資格などない。そう結論を出し――篠原かさねはあきらめた。


 あきらめて、ただの人形に成り下がることを選ぶことにした。

 

 止まっていた指を動かして、次に狙う機械人形を探す。

 PIXYから渡されたリストに記された人形は、まだ殆ど見つかっていない。

 恐らく騒ぎに気付いて、持ち主たちが何等かの対策を取ったのだろう。

 ……これでは、PIXYの指令を遂行できそうにない。

 それなら、それで良い。これ以上、クラッキングをしなくて済むのなら、それに越したことはない。

 ウィルスに蝕まれる感覚は、かさねもよく知っている。独善偽善だとは分かっているが、たとえ思考を持たない機械だとしても、同じ目には合わせたくなかった。


 ぴこんと、ネットワークに広げていたセンサーが、新たな機械人形の存在をかさねに通達してきた。

 右側のウィンドウの一つが、相手のアカウント名やコード、アドレス、その他の詳細を表示している。

 

「特性はスピード特化。軽量装備で、05型のバッテリーを搭載してる……最終メンテナンス先も、


 ――当たりだ。


 PIXYが渡してきた適当なリストには載っていないが、銀髪少女ことレイが最初に指定した標的の機械人形と、特徴が一致している。

 05型のバッテリーで、あるメンテナンスを行った機械人形――必ず、この二つの条件をクリアしている人形たちを優先して狙うようにかさねはレイから命令されていた。


「これで、百三体目」


 本当は、自分が人形を何機奪いとったかなんて、記憶を掘り返そうとせずとも、かさねは覚えている。

 何体目になるか、自問せずとも直ぐにパッと答えが頭に浮かぶ。


「…………馬鹿だなぁ」


 それは、飛んで火に入る夏の虫のごとく、ネットワークに人形を繋いだ持ち主に対する嘲りか、或いは未だに胸を痛めている自身に向けたものか――かさねは小さく苦笑いをしながら、眼前に浮かぶ蛍光色の『HACK』の文字に、触れた。

 左側に設置された『アイテムボックス』をタップして、『DOLL_LOLウィルス』の文字を掴むようにウィンドウに指先を突っ込み、桶に溜まった水の中を手探るような感覚で、掌サイズの物体を見つけて、ウィンドウから引っ張り出した。

 暗緑の箱がコロンと手の上で転がる――その数瞬後。ぴこん、とまた可愛らしい電子音が鳴った。


 能面のような無表情で顔を上げれば、サッカーボールほどの大きさの、青白い円が目の前で点滅していた。

 ――標的人形の中へ侵入するための『出入りゲート』が開いたのだ。

 

 ふっと、かさねは溜息を吐いて立ち上がった。

 取り出したウイルスの箱をぐっと強く握って、円へと手を伸ばす。

 この円に触れればその瞬間、かさねは標的の人形に接続できるはずだ。

 早く動かなければ、相手に気づかれるかもしれない。

 けれど、誰かに追跡されないように、沢山のサーバーダミーを経由することを忘れてはいけない。

 早く、広く、遠くへ細い糸を飛ばしていくイメージを瞼を閉じて、脳裏に広げる。

 難しいことは考えない。大事なのは、想像だ。

 そう自身に言い聞かせて、かさねは今までと同じように、青いリングにとん、と指先で触れた――と、思えば。


 ぎょろりと、こちらを覗き込む一対の目玉・・・・が、見えた気がした。


「っ…………!」


 ひゅっと、喉が鳴く。

 呼吸を一瞬だけ奪われて、心臓が跳ね、脊髄反射で一歩後退しようとするが失敗し、がくんと膝から崩れ落ちて尻もちをついた。

 はっ、はっ、と奪われた呼吸を取り戻すように、息を繰り返し、どくどくと焦る鼓動を落ち着かせるように胸元をきつく握りしめる。


(……今の、なに?)


 目だった……目玉だった。瞳が何色かなんて覚えていない。でも、目玉だった。多分、いや、きっと、ではなくて、絶対。ぎょろりと、こっちを凝視するような視線を、向けていた。

 

 恐る恐る、かさねは先ほどの不可思議な現象を確認するために、そこ・・へ視線を向けた――が、何もない・・・・


「……な、ない」


 右を見る。次に左。上、下。

 ……何も、ない。

 標的の情報を表示するウィンドウと、青白い円以外、何も、無い。


「き、気のせい……?」


 確かに、見たと思ったのだ。

 否――むしろ、感じた・・・と言うべきか?

 きょろきょろと辺りを見渡すが、真っ暗な無限の空間しか其処には広がっていない。

 では、あの一弾指の間、背骨を走った悪寒は何だったのか――…………自分の馬鹿みたいな罪悪感が生み出した、錯覚か。


「……監視、されてるとか?」


 ありうるな、とかさねをBOT扱いをするレイの顔を思い出して、ははっと軽く笑った。


「……どっちでも、いいや」


 どちらにしても、関係ない。何が起きても、自身がどうなっても、かさねは結局『レイ』に与えられた言葉に追従すること以外、何もできないのだ。

 全身に傀儡の糸を張り巡らされた人形に、自由はない。死ぬまで、任務を遂行するだけだ。


 ふるふると全ての雑念を振り払うようにかさねは首を振り、今度こそ青白い円に触れ、ボタンのようにそれを押した・・・


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