9. REAL OR NOT 2

「みねくーん。なんか新宿が騒がしくなってるけど、仕事はいいの?」


 紅茶色の髪の下で、柔和な顔立ちを困ったように顰める男の声が響いたのは、午後五時二〇分頃――機械人形の暴走事件の真っ最中だった。

 『三川茶屋』のアンティークカウンターでカップを磨きながら、男――加々美かがみ千歳ちとせは咎めるように悠然とイスに腰かける友人をジト目で眺めた。

 

「あれはうちの管轄じゃない。よって、関係ない」


 カタカタと黒いノートパソコンを鳴らしながら、友人――風峰は答える。


「あれ? でももうそろそろ勤務時間じゃなかったっけ?」

「やすむ」

「……おぅ」


 駄目だ、コレは。

 間髪入れず勝手に休む宣言をした風峰を、こうなったらもう止められないことを加々美はよく知っていた。

 いつもウジウジじめじめしているくせに、こういう時だけは妙に思い切りが良く行動も早い。

 既に会社NSOCにも連絡を入れているのだろう。まったく、コレでよく就職できたものだ。NSOCも何を基準にしてこの男を採用したのか。

 ふっと溜息を吐きながら、カップを戸棚に仕舞う。


「まあ、お金はいるしウチも別にいいけどさ」

「ついでに店閉めといてくれ」

「はいはーい……って、え~?」


 藪から棒のまさかの指令に、カウンターに背中を向けていた加々美が嫌そうに振り返る。

 

「いやいや。何、店閉めといてくれって……僕を君のストライキに巻き込まないでくれるかな」

「いいだろ。どうせ客は俺ら以外に居ないんだし」

「いやいや、これから入る可能性も」「これから店が犯行現場・・・・になってもか?」


 ――…………ん?


 たった一人のバイトも今日は休みでおらず、客も居ないが、だからと言って休んでいいわけではない。

 いい大人が何を考えているのだ。そう言って、加々美がお説教を始めようとした時、死んだような眼をした男が、「死体を今から作ります」といったような顔で発言をした。

 しん、と店内に静寂が満ちる。


「………………………………え、まって。なに、その話」

「俺がいま決めた」

「いやいやいや。まってまって、何そのジャイアニズム。マジで君これから何する気?」

「お前、ジャイアニズムって言葉がどこから来るか知ってるか?」「知るかボケ。君のそのアニマニア知識はマジ今どうでもいい」


 なにやら一般人に通じなさそうな昔のアニメだの漫画だのの意味不明な話題に、きららんとぬめった光を双眸から放ちながら飛び火しそうな風峰を、加々美は無表情で切り捨てた。


「店が壊れるとかそういう話じゃないよね? バズーカどーんとか、ドローンばーんみたいな事態になるわけじゃないよね? え? マジで違うよね?」

「いや、擬音語おおすぎてお前の方がマジでなに言いたいのか、わからないんだけど」

「とぼけるな死魚しぎょ

「――お前、今すっげぇ貶し方したな」


 ただでさえ、精神病者を連想させるような鬱々とした顔をしているのに、加々美の鮮烈な一言で風峰の表情から色が消えて、本物の死体のように翳る。

 しかし、加々美は全く気づいていない――。


「いやいや、そんな横暴な。え、ていうかホントなに? まさかとは思うけど――」

「…………」


 ――どころか、先ほどの中傷で沈みかけている風峰の心に止めを刺すように、殺人鬼を見るような目で彼を凝視した。

 よほど、その視線が辛かったのだろう――すすっと、風峰が袖の下から鈍色のカードをカウンターの上に差し出す。


「……今日の貸し切り代だ」

「前から疑問なんだけど、どこからこんなお金はいってくるの? え、大丈夫なんだよねコレ」

「…………」


 「大丈夫なんだよね、ね」と確認をする加々美に、ふっと風峰は腐ったように笑いかけた。

 無骨な風峰とは違う、白魚のような手が、差し出されたカードを自身のエプロンのポケットにしっかりと突っ込んでいるが…………もう、何も言うまい。


「安心しろ、出処のハッキリしてるクリーンなマネーだ」

「出処がハッキリしているって……なんか不安を煽る言い方だなぁ」


 だったら、受け取るなよ。と外野が居れば確実に言われたであろう言葉は、残念ながら二人以外に店内には誰も居なかったため、加々美の行動はそのまま流された、


「で、何をするつもりなの? 自分の管轄じゃないとか言ってるけど、明らかにコレに何かしようとしてるよね」

「栗田と志門は?」

「――え、ああ……そういや、二人とも今日まだ見てないや」

「まあ、志門の仕事先だからな」

「え、仕事先って」


 小首を傾げた加々美に答えるように、点けっぱなしのホログラミックスクリーンを風峰は顎で指した。

 ――現在、問題になっている機械人形のメイカー・・・・だ。


「――え、」


 全く知らなかった……というより、全くの予想外だったのだろう。

 まさかの勤め先大手メイカーに、あんぐりと加々美が顎を落とした。


「え、え~。アレで大手に務めてたの……てっきり、ブラック系かと」

「お前、ホント小綺麗な面して好き勝手言ってくれるよな。マジでなんなの。女性に向けるその優しさちっとは野郎にも向けられないの」

「誤解だよ、ミネくん。僕が遠慮しないのはハゲと死魚目だけだ」

「…………」


 尚、酷い気がする。

 あまりの差別に風峰の顔から表情が消えた。能面のような無表情だ。


「――すみません、風峰さん! 遅くなりました!」


 カランカランと入店を示す時代錯誤な金属ベルが鳴った。

 古びた木製の扉を開いたのは、店の常連であるスケボー少年――栗田だ。

 オレンジ色のキャップの下で、快活な笑顔を浮かべる少年に、にっこりと加々美は微笑を向け、風峰は軽く右手を振った。


「おう」「いらっしゃい、栗田くん」


 いつもと変わらない様子の二人の元へ青いリュックサックを下ろしながら、栗田は駆け寄った。

 今日は何を飲もうかと壁にかかったドリンクメニューを覗こうとするが、ふと自身をジッと観察する視線に気がつき、たじたじと口を開く。


「……な、なんすかマスター」


 視線の主は、加々美だ。

 カウンターの内側からじーっとつぶらな瞳で、何故か栗田を見つめていた。


「僕さ、前から君と志門くんの苗字は逆だと思うんだ。頭髪的に」

「え゛」


 唐突な店主の疑問に、常時であれば出ないはずの濁音が栗田から零れ出た。

 よくよく見れば、加々美の視線の矛先が自身の頭髪部分であることに気がつき、はっとキャップを押さえる。同時に、此処には居ない「志門」の頭部が勝手に脳裏に浮かび上がった。

 加々美も栗田と同じものを思い出しているのだろう。「俺は絶対に遺伝子を弄らない」と涙交じりに豪語した志門の声が遠くから聞こえた気がした。

 栗田の頭から目を逸らさないまま、加々美はそっと呟く。


「――志門くんの方が《栗》って名前、似合うとおも」「お願いだから、やめてあげて」


 決して大きくはないが、はっきりとした声が加々美の言葉を打ち破る。

 はっと栗田が横を見れば、風峰が何やら紙媒体のメモにかっちりとした文字を黒ペンで書き込んでいた。


「――栗田、とりあえずコレ調べといて」

「うっす!」


 助かったとばかりに、さっと渡されたメモを確認し、自身のパソコンをリュックから引っ張り出す。

 可笑しな会話から解放されて安堵した様子の栗田とは別に、加々美が胡乱げな瞳を風峰に向けていた。


「ぼく、まだ何も了承してないんだけど」

「旅は道連れ、世は情け」

「いや、意味が全くわからないんですけど」


 未だに納得していないらしい加々美に、風峰は少しも意に介した様子を見せずに何やらパソコンを使って作業を続けていた。

 ふっと、諦めたように加々美が吐息を零す。


「――繋がってる・・・・・、かもしれないんだね?」


 何が、とは言わなかった。言外に伝わると思ったからだ。

 ちらりとモニターから視線を上げて、すぐに戻す。風峰のその行動の意味を読み取って、加々美は大袈裟な仕草で天井を仰いだ。


「あーあーあー、もう……しょうがないなぁ!」


 結局、風峰が何をするつもりなのかは加々美は知らないが、彼が何をしたい・・・のかは知っていた。

 先日、商店街で起きた事故も、今回の馬鹿騒ぎも、きっと一連の《機械暴走事件》は繋がっていると風峰は思っているのだろう。

 正直に言えば、加々美も他者と同様、風峰が指摘した今までの事件に繋がりがあるとは思えないし、事件ではなくやはり事故だと思っているところもある。

 しかし、友人が此処まで言っているのだ。

 「伊吹」には申し訳ないが、こんな死魚をここで見捨てるわけにはいくまい。乗りかかった船だと言わんばかりに、店を閉めようとカウンターから加々美は出た。

 やれやれと首を回して、「全く世話の焼ける友人だ」と文句を垂れながら『CLOSED』の看板を下ろそうとした――が、


「――エプロンのポケットから四角い物・・・・が透けて見えてんぞ、カンガルー」

「……」


 ぼそりと呟かれた友人の言葉に、マネーカードを隠すように、思わずソッと手をポケットに当てた。


 台無しである。


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