4. AND THERE THEY GO
NSOC、東京支局。高層ビル6階。
「――納得いかない!」
甲高い女性の声が、天井を突き抜ける勢いで轟いた。
モニターの前で熱り立つ声の主をどうどう、と長谷田がなだめるように声をかけた。
「落ち着いて、
「――そんなもんで、落ち着けるか! 好きなもんでコロっと機嫌を直せるガキじゃないのよ!!」
「いや、食ってんじゃん」
すっと長谷田が差し出した赤い箱から、ひったくるように饅頭を掴んで齧り付く女性に、風峰が憔悴しきった顔でツッコミを入れた。
一つ結びの艶やかな黒髪に、泣き黒子が特徴的な女性――美南は掌サイズの大福を口へ豪快に放り込むと、キっとオフィスの隅でモニターを眺めている風峰を睥睨した。
「あんははあはひとふふんへふん!」
「――いや、なに言ってるか分かんねえよ。食べきってから話すか、先に文句言ってから食えよ。考えなしのハムスターですか、あんた」
「ふん!」
「え、うんって言ったの、今? それとも唯の鼻息? まさか、ごくんじゃないよね?」
「っあんたが食べきってから話せって言ったんじゃない!」
「まじか、この人。水で流し込むんじゃなくて、ふんって一息で大福を飲み込みやがったよ。なんだよ、ふんって。○んちの要領かよ。可笑しくね?」
「うっさいわ!」
「――二人とも、仕事に戻ってください。そんな小学生みたいな口喧嘩してる場合じゃないでしょう?」
滑り込んだ長谷田の注意に、二人の会話が止まった。
ふっと視線を巡らせれば、風峰たちを睨む目が見える。びしびしと突き刺さる視線に風峰は大人しく閉口することにしたが、美南はまだ言い足りないのか、音量を落として言葉をつづけた。
「だって、納得いかないじゃない。皆だってそう思ってるわよ――なんで、機体の検視が出来ないわけ? ログのデータだってっまだっ……!」
「それは警察の鑑識がされるそうで――結果は追って連絡すると」
「それが可笑しいっつってんのよ!」
再び激昂した美南の怒りの表情に、長谷田はぐっと息を詰めた。
歪に強張った後輩の顔を目にして、美南はハッと我に返ったように大声を上げた口を塞ぐ。
長谷田だって、この状況には納得いっていないのだ。彼の目元に未だ強く残る隈に、美南はバツが悪そうに視線を泳がせると、小さく「ごめん」と謝罪をした。
だが、それで美南の不満が収まったわけではない。数泊の間を置くと、美南は再び自身の義憤を吐露した。
「……百歩譲って、暴走事件の解明をするためにあちらの鑑識が検視を行うのは別に良いわよ。けど、なんで
「別に手を出すな、と言われたわけじゃ――」「肝心のデータと事件を起こした機体をウチらに見せずに巣に持ち帰って、検査が終わってもコッチにまわしてくれないのは、関わるなと言ってるのと一緒よ」
そう言って長谷田を黙らせると、次は風峰へと言葉の矛先を、美南は向けた。
「風峰」
美南の責めるような気持ちが滲んで聞こえる声を、風峰が無言で受け止める。
「あんた、あの伊吹っていう男と友達なんでしょう? あんたから、何か――」
「あいつは友達じゃねぇし、言っても多分どうにもなりません」
美南が言い終える前に、風峰は断言した。
「こっちも、上がそれでいいって言ったんだ。お偉いさんがどんな理由でそれを承諾したのかは分からねぇけど、俺たちに出来ることは何もねぇよ」
「――なんでっ」
凛とした美しい面差しを歪めながら、美南が何かを言いかけた。
――なんで。
――風峰はなんで、そんな平然としているのか。
――NSOCは、なんで警察の言うことを大人しく聞いているのか。
美南が「なんで」と責めたいのはどちらだろうか。どちらもだろうか。
どちらにしたって、小さな職場の一社員でしかない風峰たちに出来ることはない。出来るのは精々、手元に残ったデータの解析と許された範囲内での調査、そして報告書を上げるだけだ。
かつかつと普段よりテンポが早い美南の靴音を聞きながら、風峰は自身のモニターへと視線を戻した。
『お疲れ様でした』という人工知能の機械的な声がする。おそらく美南が外で頭を冷やすために退室したのだろう。――或いは、上層部に抗議するためか。
はあ、と重い溜息が風峰の口から洩れる。
相変わらず鉄仮面みたいな表情で、早朝から同僚か部下を連れてやってきた伊吹の顔を、不本意ながらも思い出した。
『事故や事件の捜査をするのは警察の仕事だ。お前らは自分の業務に戻れ』
一方的に問題の機体とそのデータについての説明をした後、伊吹が紡いだ言葉を聞いた風峰の思考は――衝撃のあまり、一瞬だけ停止した。
思わず伊吹の端正な顔を殴りそうになった自身の衝動を抑えられたのは、奇跡に近い。
あのまま彼を殴り飛ばしていたら、傷害罪などで取り押さえられていただろう。危なかった……いや、殴る以前の問題――渾身の力を込めて伊吹へと繰り出したパンチは、避けられるか、往なされていたかもしれないと思い直す。
簡単に想像できたその結末に、風峰は思わずチッと小さく舌打ちした。
『あんた、あの伊吹っていう男と友達なんでしょう?』
先程の美南の言葉が脳裏を過る。
美南にも既に明言したとおり、伊吹と風峰はそれほど親しいわけではないし、伊吹に何を言ったとしても状況が変わらないことを、風峰は過去の経験から学んでいた。
正直な話――このまま泣き寝入りする気は風峰にも毛頭ないが、伊吹に頭を下げるのは絶対に嫌だった。
苗字は違うが風峰と伊吹は、同じ名前の響きでよく「しろうペア」として周囲からコンビ扱いをされていた高校からの腐れ縁だ。
おかげでクラスが違っても教師やらクラスメイトやらの余計な計らいで、時間を共にすることが多かった。
高校時代の伊吹はその精悍な顔に、頬に走る傷、そして言葉数が少ないその態度も相まって、周囲から距離を置かれていた。本人が近寄るなオーラを出していたことも大きな要因だ。所謂、「高二病」の気があったのかもしれない。
しかし、そんな「触るな、寄るな、話しかけるな」オーラがあったとしても、端正な顔に、他者を圧倒する運動能力、終いには無口なくせに不思議なカリスマ性を持った人間に、周囲がお近づきになりたくなるのは自然の道理で――その突破口として、伊吹と同じ名前を持つ風峰が起用されたのは、必然だったのかもしれない。
――訂正。苦し紛れの試みだ。
余談だが、常に暗く陰険で、コミュ障気味な風峰に友達が出来るようにという教師の意図もあったらしい。
風峰からしたら、余計なお世話だった。コミュ障ではなく、単に人と話す機会も必要性もなかっただけだと本人は豪語していたようだが、あえなく担任に全否定をされた。
――お前は立派なコミュニケーション障害を抱えている。
きっぱりと放たれたその言葉は教師の台詞ではない、と風峰は大人になった今でも思っているし、根に持っている。
……さて、そんな担任と生徒たちの欲と気遣いが混ざって講じられた策だが、結果は――一応ではあるが、成功していた。
少なくとも以前よりは伊吹も風峰も、周囲と関わり合う時間が増えていた。
だが、それで風峰に伊吹のことを好きかと問われれば、「気持ち悪いこと聞いてんじゃねぇよ、●女子かテメェ」と返ってくるぐらいには友好的な関係は築けていなかった。
何故かと聞かれると、風峰もはっきりと答えられるわけではないが、要するに馬が合わないのである。伊吹がイケメンで、風峰が気になっていた女性が尽く彼にハートを射抜かれていたというのもあるが、性格的な問題があったのだ。
だから風峰は何故か付き合いが長いわりに、伊吹とは良好な関係を築けていなかった。
行きつけの喫茶店のマスターで、高校の同級生である加々美千歳との仲の方が、まだ良い。
(そういや――)
つらつらと過去を振り返っていた風峰の脳裏に、ふっと先日の、加々美の苦々し気な表情がちらついた。
『――俺、お節介やいちゃったかな』
先日、彼が口にした後悔は、突然びっくり仰天な告白を伊吹にかました少女についてのものだった。
どうやら恋する少女を焚きつけようと加々美は、小さなお節介を焼いたらしい。
(――あれは、俺もびっくりしたな)
見知らぬ少女が伊吹史郎に愛の告白をしたあの瞬間、おそらく一番驚いたのは伊吹だろう。いや、リアクションに関しては風峰の方が一等大きく、一等わかりやすかったかもしれない。
……飲みかけのコーヒーを零してしまったのだ。結構な音も立てていた。
しかし、非常に分かりにくくはあったが常に冷静な伊吹も珍しくテンパっていた。相当びっくりしたらしい……割と辛辣な告白の断り方を少女にするほどには。
(……一瞬、泣きそうになってたよな)
当時の記憶を掘り返すように、風峰は頭をぼりぼりと掻いた。
伊吹史郎に告白を跳ね返された瞬間に、揺らいだ琥珀色の瞳。あの刹那、風峰は彼女の目を見て、泣くのではないかと思った。
「興味ない」と、きっぱりはっきり振られたのだ。
伊吹史郎はガタイが良い上に、眼光が鋭い。はっきりとした端整な美貌は彼に更なる威圧感を与えていたはずだ。一体、あのいかつい男のどこを好きになったのか風峰には謎だが、あんな顔であんな冷たい言葉を向けられれば、あの少女もかなり傷ついたはずだ。失恋による凍傷は、女子高生を泣かせるには十分な威力を持っている。
だが思いの外、打たれ強いのか、一瞬だけ揺らいだ瞳はすぐにピタッと静止して、にっこりとした笑顔が彼女の顔を飾った。何事もなかったように、店を後にした姿は実に堂々としており、見事だった。最後にきっ、と加々美へ向けた恨めし気な睨みも中々のものだったと風峰は思う。
(結構、可愛かったな……)
自身と同じ黒髪の少女を回想して、風峰は思った。
女子高生か、実に羨ましい。……手を出したら捕縛されるどころでは済まないだろうが。
だが、風峰が何よりも抱いた念は――。
(――伊吹、爆発しろ)
殺気だ。
ぶわりと赤髪の知人を思い浮かべながら、風峰は黒い
先ほどまで嫌いではない、という気持ちを抱いていたはずだが、風峰はやはり伊吹史郎が嫌いなのかもしれない。
その証拠に呪詛のようなものが風峰の口からぶつぶつと漏れ出ている。
びくびくと隣の様子を伺っていた長谷田の顔が、さぁっと青くなる。「だ、だれか」とか細い声が彼の口から掠れ出た時――ぽん、と誰かが彼の肩を叩いた。
「――長谷田。明日のシフトなんだけどさぁ……」
「ひ、ひぃっ!!」
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