5. PANIC PANIC
「……はやまったか」
ぽつりと、風峰は悔いるように呟いた。
16時10分。神谷女子学園前。
ありとあらゆる無駄な装飾を削いだ四方形の建築物が集合する街の中心で、宮殿の如く威風堂々と聳える校舎は、その学園の財力と権力をひけらかすように大きかった。
風峰が通っていた一般高校とは大違いだ。比べるまでもない。
上品な紅茶色の制服を纏う女子学生たちが非常に眩しい。そして、じろじろと突き刺さる彼女たちの視線が痛い。
どうしようかと、絢爛豪華な金の塀の前で、風峰は所在なさげに立ち尽くした。
神谷女子学園は、風峰の職場からそう遠くない。むしろ通勤途中に寄れる位置にあったので、学園の下校時間に合わせてやってきたのだが、これは失敗だった。
死んだ魚のような眼をした、長身猫背の男が女性の
やってしまった。冷静でいたつもりが、実は警察や伊吹に対して、かなり苛立っていたようだ。
十五分ほど『篠原かさね』が現れるのを待ったが、一向に彼女が出てくる気配がない。今日は休みなのか。
誰かに声をかけて、彼女の所在を問うべきか、或いは学園に直接問い合わせるべきか――いや、やめておいた方が良い。
そんなことをすれば必然と伊吹たちに、風峰が事件のことを嗅ぎまわろうとしていることがバレてしまう。風峰たちが今回のドローンの暴走を調査することを、警察は何故かあまり歓迎していない。むしろ、忌避感さえ抱いていることに風峰も気づいていた。
――おそらく、知られたくない『何か』があるのだろう。
(その知られたくない『何か』を――調べたいんだけどなぁ……)
ぼうっと、目の前を通り過ぎる女子高生以外の通行人を眺めながら、風峰は思考した。
(そういや、『
縦横50センチ程あるスーツケースのような入れ物を運ぶ人たちが、ちらほらと見えた。
きっとあの中には玩具の
そういえば今日は大手ゲームメイカーが開発した
(……行きてぇなぁ。篠原かさねさん、早く出てこねぇかなぁ……いや、やっぱり今日は帰るべきか)
『篠原かさね』に会えば、あの暴走事件について何か分かるのかと聞かれれば、風峰はきっと答えられない。
けれど、風峰は彼女に会えば、何かが変わる――そんな予感を抱いていた。
(……あの暴走ドローンは、確かに篠原かさねを狙っていた)
彼女
それは、つまり彼女にあのドローンに追いかけられる理由があったということであり、あの「暴走した」と
これは、あくまでも風峰の推測でしかない。確固たる根拠はない。
――だが、あの時。何故、彼女は逃げた? 彼女の姿が見えなくなった途端に、何故、あのドローンは停止した?
それは、おそらく。多分。きっと――彼女が
それを知るためにも、風峰は彼女について調べる必要がある。
が、調べてもコレと言って気になる点は見つからなかった。だから、ダメ元で直接彼女に会おうと学園へ出向いたのだが――一体、自分は何を考えていたのだろうと風峰は自身に呆れを抱いた。
いきなり、学園に直接会いに行ったって警戒されるだけだ。
篠原かさねが果たしてまた訪れるかは謎だが――『三川茶屋』ででも待ち伏せして、偶然を装って何らかの形で接触すれば良かったのだ。他にもやりようはある。あほか、自分は。
「……とりあえず、加々美んところ行こ」
警備ドローンに不審者として捕まる前に、早く立ち去った方が良いだろう。
そう思って、踵を返そうとした――途端。
「――風峰」
いやな――とても、いやぁな声がした。
昨日、うんざりするほど散々聞いた声だ。
「やぁ……伊吹くん、奇遇だねぇ。ぴちぴちの女子高生に癒されにでも来たのかな?」
風峰が振り返った先には、ちょうど神谷学園の正門横から出てきた伊吹の姿があった。隣には――おそらく伊吹と同じ警察の人間だろう――黒いスーツを着たクリーム色の髪の男も居る。
――どうやら彼らも『篠原かさね』に会いに来ていたようだ。
もう彼女と話は出来たのか。それとも会えなかったのか。
伊吹たちの顔を見ただけでは判断できない。
じっと、昨日も会ったばかりの知人を風峰は黙って観察をした。
相変わらず姿勢の良い巨躯に紺色のスーツがよく似合っている――ただし、頬の走り傷のせいで堅気の匂いが完全に打ち消されているが。
なんの感情も籠っていないように思える風峰の双眸に、伊吹の眉根が歪む。
「……お前、こんなところで何してる」
「女子高生ウォッチング」
「わかった。署まで来い」
「冗談だよ。女子高生見てたぐらいで目くじら立てるな。お前は口うるさい幼馴染系ヒロインか」
「お前の腐った眼は、向けるだけで相手も腐らせる」
――俺は、メデューサか何かか。
思わず言い返そうとした口を、黙って閉じる。これ以上、不毛な討論を続けたら墓穴を掘るだけのような気がした。
伊吹も同僚の傍で軽口を叩く気はないのだろう。「先に行っててくれ」と隣に居た男を促すと、ふっと疲れたように溜息を吐いた。
「――それで、もう一度聞くぞ。お前はここで何をしている」
「そういや此処が例の女子の通学先だってことを思い出して、ちょっと立ち寄ってみた」
嘘と本当を織り交ぜて、風峰は答えた。
「捜査は俺たちの仕事だと言ったはずだ。帰れ」
「だから立ち寄ってみただけっつったろ、今。言われなくとも帰るよ」
そう言って今度こそ学園に背を向け、風峰が立ち去ろうとした、その時――遠くから甲高い誰かの悲鳴が鼓膜を揺らした。
「――なんだ!?」
「――誰よ、あんなの街中で動かしてんの! ここは公園じゃないのよ!?」
悲鳴の元へと風峰が振り返ればある一点を見て目を白黒させたり、或いは批難の声をあげたりする通行人の影が見えた。何か危険を察知して、その場から離れようとする人も居る。
騒ぎの中心に立つ問題の影を風峰は注視した――原因はおそらく堂々と学園前に立つ
大人の背丈もない身長。白いプレートを纏う人型のフォルム。
大きく円らな、水晶のような瞳はちゃんと正常に起動していることを表すように、青いライトを灯している。
全身真っ白な機体に唯一施されたペイントは、持ち主の黄色の《エンブレム》だけ。
『WHITE SPLATTER』とペンキブラシで塗りたくったような文字はおそらく、機体の名前でもあるのだろう。否、
周囲の視線を一切気にしていないかのように、機体が動く。その傍では腰を抜かして地面に座り込む『神谷女史学園』の生徒が居た。
愕然とあの機体を彼女が凝視しているのは何故か――おそらく、彼女や周りの通行人が驚く
あのタイプの機体は風峰もよく知っている。
あれは作業用ドローンでもなければ、警備ドローンの類いでもない。
安全性を最重要視した上で、バトルトイとしての機能性に特化された《
普段は交通法に触れないため、持ち主によって禁止区域では機体用のアタッシュケースの中でシャットダウンされているはずなのに、何故、あれがこんな所で展開されているのか――答えは明白だ。
「――あれは、なんだ?」
伊吹の声がした。
いつのまにか隣に並んでいた赤頭を、風峰は一瞥すると答えてやった。
「《
「それが何故こんな所で起動されている」
「知らねぇよ。どっかの馬鹿がカスタマイズした自分の“キラキラ”ドールを自慢したかったんだろ――どこら辺が“キラキラ”かは全くの謎だが」
キョロキョロと意思を持ったように周囲を見回す愛らしい人形を観察しながら、風峰は吐き捨てる。
「まあ――許可区域外で起動して操作ができてる時点で、違法カスタマイズしましたって証言してるようなもんだけどな」
《機械人形》は基本、起動を許可された区域外で立ち上げられた時、機体が動けないようにロックをかけられている。
機体の持ち主による操作も不可能だ。コントローラである携帯端末と接続するための専用ネットワークも許可区域外では提供されていない。他のネットワークへの接続も、運営によって
人工知能を搭載されていない機体が専用ネットワークの無い場所で起動されたところで、何も起きやしない。
だが、どうしたことか――他の人間のざわめきを聞くに、どうやらあの機体はどこからかこの場所へ
間違いなく、違法カスタマイズされた人形だ。
ちら、と風峰は隣の警察職員を一瞥した。
「どうすんの、お前。あれ、交通規制と機械規制法二重にやぶってるけど?」
「起動された時点で巡回ドローンが通報している。すぐに交通機動隊が取り押さえに来るだろ」
そう言って、まるで自分は関係ないというような口ぶりで歩きはじめた伊吹。
こつこつと靴音を鳴らしながら歩く先は、どう見てもあの違法ドロイドだった。
「……とか言いながら自分で取り押さえる気満々じゃねぇか」
ぼそりと風峰が半目で呟いているうちに、流れるような動作で伊吹がドロイドの腕を捻り上げて捕縛する。
「――確保」
抵抗する隙も無かった。ごく自然に、流れるように、あっというまに機械人形を取り押さえる様は実に見事だ。
さすが、腐っても警察であると何処かやさぐれた気持ちで風峰は事の流れを眺めた。
犯人の特定は――第三者が介入していない限り――人形の購入時に持ち主がユーザーとして認定登録されているはずだから、直ぐに終わるだろう。
巡回ドローンと警察の対応が早ければ、操り手のIPアドレスを辿ることもできるはず。
機械人形を取り押さえた伊吹が、人形の向こう側――機械を操っているであろう人物に話しかけるように口を開いた。
「聞こえているか。交通違反、及び機械――」「あ、あー! 俺のホワイト!!」
突然、男の嘆き声が伊吹の言葉を遮った。
声の根元を追えば、蒼白な顔で伊吹たちの元へ駆け寄る男の姿が見えた。ウェアラブルグラスを首から下げているということは――おそらく、機械人形の持ち主だろう。
ウェアラブルグラス――眼鏡の形をしたウェアラブルデバイスはある事件を境に、使用を制限されたこともあり、一般の人間が身に着けることはあまり無い。
それを着用してるということは、機械人形のように認定登録されたユーザー――eスポーツのプロアスリートだと大体の検討がつく。
伊吹も直ぐに気がついたようで、無機質な瞳で男性を見た。
「こいつを操作していたのは、お前か」「違う!」
焦ったように、けれどハッキリとした声で男は伊吹の言葉を否定した。
確かに、男に違法カスタマイズをする度胸があるようには見えず、伊吹たちは黙って男の言葉に耳を傾けた。
男の足元を見ると、裾の長いカーゴパンツが僅かに擦り切れており、靴先も薄汚れている。汗まみれの肌と荒い呼吸音からして、どこかから此処まで走ってきたのだろう。
あたふたと身振り手振りをしながら、男が話し出す。
「お、おれは何もしてない! ちゃんとフェス会場でケースを開いて、起動させたんだ! そ、そしたらホワイトが勝手に動き出して――!」
「乗っ取られた、ってことか――?」
ぽつりと、周囲の野次馬と同じように、男の話に聞き耳を立てていた風峰は呟いた。
男の言っていることが本当ならば、あの機械人形はフェスティバル会場でクラッキングをされたということだ。しかし、だとして会場の無線ネットワークが届かないこんな区域外まで、機械人形が足を運べた説明にはならない。
直接機械を弄り、違法カスタマイズをしなければ、ネットワークの外まで人形は動かせないはずだ。
だが、男は「自分は何もしていない。フェスの入場権剝奪どころか、人形を取り上げられる可能性もあるのにそんなカスタマイズするワケないだろ」と叫んでいる。
――
感じたある違和感から推測を立てているうちに、伊吹が風峰の視界の端で微かに動いた。
顔――耳から顎までのほんの微かな筋肉の動きを目ざとく読み取った風峰は、すぐに伊吹が《無声通信機》を使ったことに気がついた。
伊吹が誰かへ通信を繋げたのか、或いは誰かが伊吹に通信を繋げてきたのか――耳裏から顔のエラに沿って伸びる6センチ程の尻尾が特徴的な黒い無線イヤホンをつぶさに観察しながら、風峰は伊吹の次の動作を待った。
巡回ドローンがやっと遠方の空から到着してきた。
機体のスキャンを行うドローンを傍目に、駆けつけた他の警察職員が伊吹に代わって人形のユーザーを取り押さえる。
伊吹が男たちから離れるタイミングを見計らって、風峰は現場の野次馬から一歩踏み出た。
「おい、何かあったのか?」
「お前はこのまま帰れ」
状況の確認をするため、伊吹に話しかけてみれば返ってきたのは素っ気ない答えだった。
やはりというか、この事件にも当然関わらせる気がないらしい伊吹が風峰に現場を離れるよう促す。
思わず、風峰はドスを利かせるように声を低めて返した。
「――は?」
――「帰れという一言で帰るわけがないだろう。手短くともいいから説明ぐらいはしろ」と言わんばかりの眼光で相手を睥睨する。
すると、その無言の圧力が伝わったのか、伊吹が心底しかたなさそうに、風峰に説明をした。
「機械人形のバトルフェスティバルに登録していた機体が全機、
言葉を、失くした。
は、と声にならない声が風峰の口から零れる。
――バトルフェスティバルに登録していた機体が全機、逃走した。
それはつまり、ドローンに捕まっている機体人形のようにフェスティバル会場に居たドロイドが許可区域外へ飛び出したということか。
一体、どうやって――否、そもそも、なぜ。
この異常事態にクラッカーの存在があることは、明白だ。だが、そのクラッカーの意図が風峰には分からなかった。
機械人形はオンライン上では味わえない、現実でのバトルプレイのため機能性には優れているが、一般の人間でも遊べるよう、安全性を重視してセーフティーロックが掛かっている上に、攻撃力は対して無い。
機械人形のバトルゲームは物理的に対戦相手を叩きのめすのではなく、HPを削って勝敗を決めるルール制だ。
だから、機体は最初から殺傷力を与えられないよう設計され、可能な限り軽量化されている。
クラッカーに人形のコントロールを奪われたしても、人に大した害は与えられない――はず。
――なのに風峰は何故、こんなにも激しい焦燥感に思考を駆られているのだろう。
どくどくと、心臓が嫌な鼓動を立てている。
風峰は知っている、機械人形は本来、害のないドロイドだ。――そう、
ひくりと、風峰の薄い唇が引くついた。
風峰は知っている。嫌というほどに知っている。
バグのない物なんて、ない。だから、機械規制法があるのだ。
ずきずきと痛む米神を押さえて、風峰は伊吹に確認した。
――これは、自分も職場に戻った方が良いかもしれない。
「全機って、」
「――百体」
は、と風峰の口から引き攣り笑いが洩れた。
全くもって非常識な話だ。玩具を使った悪戯にしても、程がある。こんな馬鹿げた事件を起こしているのは一体、どこの誰だ。というか、本当にどうやった。
そんな疑問を繰り返しながら、風峰は既に大体の検討をつけていた。
根拠があるわけではない。
ただ、
風峰の勘の正しさを証明するかのように、伊吹がまた過去と似たような言葉を繰り返す。
「運営もパニック状態で、かなりの騒ぎになっているらしい。直に、此処らも封鎖される――分かったら、さっさと行け」
根拠なんてない。共通点なんてあるように見えて、無い。
さすがに今回のは不自然すぎるし、あからさますぎる。到底、『事故』とは片付けられない有様だ。
それでも、風峰はあの暴走事故と同じ――――《異質さ》を感じた。
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