3-10 レッセ島の夜②

 ――一方。レッセパッセの家の中では。

「うお! ビックリした! なんの音だ!?」

 ヤシの木が倒れる音でラルフが目を覚ましていた。

「おはよう」

 レッセパッセがぼんやりとした声で彼に話しかける。

「師匠。おはようございます。起きてたんですか?」

「うん。ずっと」

「あれマリシアさんとジルは?」

「どっか行った」

「そうですか。散歩かな? 仲良いなあ相変わらず」

 あくびをしながら再び眠りに入ろうとすると、レッセパッセがよちよちとした足取りでラルフに近づいてきた。

「不安で眠れないのか?」

 などと耳元でささやく。

「えっ? 眠れないっていうか今目を覚まして」

「眠れないのだろう?」

「いや。いますぐ二度寝――」

「眠れなくないのか……?」

「……眠れないです」

 ラルフは長いものに巻かれた。

「よし。それなら。なでなでしてやる」

 するとレッセパッセは無表情のまま、優しくアタマを撫でてくれた。

「懐かしいな。小さいころはいつもこうしてムリヤリ撫でてもらってましたよね」

「おまえは子供のころから実に可愛くなかったな。変に落ち着いていて、まったく『だっこしてー』とも『よしよししてー』とも言わなかった。だから愛情不足にならないよう、こっちの方で無理矢理よしよしちゅっちゅしていたのだ」

「そうだったのですか。ありがとうございます。それは本当にありがたいことだと思います」

「なんだその感じ。やっぱり全然可愛くない」

 アタマを撫でる手が乱暴になる。熱さを訴えてもやめてくれない。

「本当に行くのか?」

 つぶらな瞳がラルフをじっと見つめる。

「ええ。そのつもりです」

「行かないという選択は?」

「僕には目的があります! 聖なる夜の秘宝は人類共通の宝だ! ドラゴンなんかに奪われたままというわけにはいかない! と言えばかっこいいですが……まあぶっちゃけ、どうせ逃げたって無駄だから、半分やけっぱちっていうのが本音です」

 レッセパッセはハァ……と可愛らしい溜息をついた。

「あとは好奇心ですね。聖なる夜の秘宝がどんなものなのか見てみたい。それが一番大きいかもしれません」

「おまえらしいな」

「マリシアさんも多分同じですね。色々理由はあるみたいですけど、結局すべては好奇心なんだと思います」

 外からなにやら乾いたビシバシという音が聞こえる。

「好きにしたらいいさ。どうせ死んだって死ぬようなタマじゃないよおまえもあのムスメも」

「ははは。ありがとうございます」

「褒めてないよ。分からないヤツだなァ。それで――」

 ラルフを両手で指さす。実に子供っぽい仕草である。

「おまえはどうするつもりなんだ? 三日後」

「なにがですか?」

「だから。どういう格好でボルケオドラグーンに挑むのかって聞いているのだ」

「えっ!? あっそういえば!」

 しまった! 自分の分のドスケベミズギを準備していなかった!

 ラルフはアタマを抱えて床に突っ伏す。

「ははは。バーカ。あほーー。ほうけいーーー」

 などと悪態をつきながら、レッセパッセは戸棚の奥からなにか真っ黒な布を取り出して、それをラルフのアタマに被せた。

「ん? これは!?」

「おまえがここを出ていく直前に『卒業制作』としてこさえたものだ。履いてみたらどうだ」

 ラルフは天狗のごときスピードですべての服を脱ぎ捨てた。パンツも。

 全裸が完成したところで両手を腰につけて一旦ドヤ顔。

 それからアタマに被せられたブツを股間にフィットさせた。

 レッセパッセは一ミリも目を逸らすことなく一部始終を見つめ続けている。

「これは……! 我ながらなんたる素晴らしい履き心地! デリケートな物体を慈しむかのように包み込むこの優しさ! そして見た目にも異様にしっこり……いやしっくりくる!」

「『セクシャル・ブーメランパンツ・ナンバーワン』。シャール様の作品で数少ない男性向けの装備だな。まァおまえにしてはよくできているよ。なによりおまえによく似合う」

 ラルフがいまげんざい身に着けているのはタイトなパンツが一枚のみ。そのピチピチに食い込んで『V』の字型に大事な部分のみをギリギリでかくしている感じは、確かにブーメランを連想させる。

「はは。なにせ『ブーメラン』パンツだ。僕にはうってつけではありますね」

「昔から好きだったよなブーメラン。ヘタのくせに。ま、そいつがあればなんとかなるだろう。持っていけ」

「ありがとうございます。大切に取っておいて頂いて。なんだかんだで僕を愛してくれているというのを感じます」

 レッセパッセは「キモイ!」と叫びながら強烈な足払いを食らわせた。

 これはもう明らかに『テレギレ』である。

 彼女は一度咳払いをすると、床に倒れ伏したラルフに対して――

「あと。大事なことを教えておいてやらないとならんな」

 としゃがみ込みながら耳打ちした。

「大事なこと?」

「ドスケベミズギの隠れた機能の話だ。ドスケベミズギにはな『別の使い方』がある」

「そ、それは……!?」

 レッセパッセはラルフの耳元に口を寄せ、『別の使い方』について小さくささやいた。

「――なるほど。まさに最後の切り札ですね」

「一応覚えておけ。使わないに越したことはない。あのムスメに教えるかどうかはおまえに任せる」

「……教えません。マリシアさんは僕が守ります」

「そうか。そのほうがいい」

 レッセパッセは立ち上がり、お湯を沸かし始める。

 そして器用な手つきで紅茶を二人分淹れ、片方をラルフに渡した。

「しかし。不思議な因果だなあ。おまえがあの娘を守るために闘うことになるとは」

「へっ? どういうことです?」

 レッセパッセは紅茶に口をつけつつポツリと漏らした。

「私とマリシアの父、レイド・ファイブスターは同じ師匠について防具職人の修行をしていた。いわゆる兄妹弟子だ」

「ええええええっ!?」

「ちなみに師匠の名前はリニア・ファイブスター。おまえの母親、私、レイドは特に優秀だったということでリニア三銃士などと言われておったな」

「なるほど……世の中は狭いですね……」

「で、私とレイドは元恋人同士でもある」

 ラルフは紅茶を霧のごとく噴き出した。

「でも。あのクソ野郎は育ちが育ちだからか分からんが、浮気性のゲスの極み野郎でな。だからぶん殴って別れた」

「そういえばマリシアさんもそのようなことを……」

 なるほど。それでマリシアにあんなに冷たかったのか。妙な納得感がラルフに去来した。

「そんで。私は人間不信になりここでヒキコモリ生活を送ることに」

「……マリシアさんには言わないで下さいね。変に気にしそうですから」

 レッセパッセはかっくんと首をもたげ、それから溜息をつく。

 ――しばらくの沈黙ののち。

「いつここを立つんだ?」

 レッセパッセがラルフに問うた。

「明日には村に戻ろうかと」

「そうか。では寂しいだろう。だdっこしてやる」

 と両手を広げる。

「師匠が寂しくなっちゃっただけじゃないんですか?」

「違うし」

 外からはすっとビシバシという乾いた音が聞こえていた。

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