2-3 アシノシーサイド

『アシノシーサイド』はハコルオーネ公国の西に位置する『アシノ湾』に隣接した港湾都市だ。湾をまたいだ隣国のダイサ民国との貿易における最重要拠点として知られ、多くの商人たちで常に賑わっている。国全体がド田舎と言われるハコルオーネ公国における唯一の都市らしい都市であると言ってよい。

 ダイワクビレッジからは徒歩で二時間ほどあれば到着する。地獄のような山道を平然と歩くだけの体力があればの話だが。

「さて……と」

 ラルフは重い荷物を下ろすと額に浮かんだ汗を手の甲で拭った。

 街の中心部の噴水広場には行商人たちが店を出すためのフリースペースのようなものが設けられている。今日はここで防具屋を開こうと言うわけだ。

 ラルフはこのゴミゴミとした街があまり好きではなかった。しかし実際のところラルフの防具を買いにダイワクビレッジまで訪れてくれるような人はほとんどおらず、ここで店を出したときの収入が収入全体の九割を占める、というのが現実である。従って。

「さて。準備しようか」

 絨毯を引いて商品を並べる、店名が書かれた看板を設置する、羊皮紙に料金表を書いて木の板に貼りつける。この一連の作業は実に手慣れてスムーズなものであった。

 準備完了。ラルフは自分の頬を両手でパチンと叩いて気合を入れた。

 なにせ今日は頑張って売上を上げないことにはマリシアに着てもらう防具の材料を買うことができない。

「いらっしゃいませー! 防具店営業しております!」

 今日中に購入しなければ、次回自分がここに店を出すことができるのは一週間後。そうなれば彼女の滞在も大分長引くことになる。

(ん……? それはそれでいいような)

 今朝、マリシアと一緒に朝食を取ったときのことを思い出す。

(彼女、目つきが鋭くて凛々しい感じなんだけど、リラックスしているときの表情はすっごく穏やかでいいんだよな。なんか癒されるというか)

 それにごはんを食べているときのあの顔。とても一流の腕をもつ女戦士とは思えない無邪気で子供っぽい笑顔だった。

 もっといろいろな表情を見てみたい。なるべく長く滞在して欲しい――

(おっといかんいかん! 目的を見失うところだった)

「他では絶対に手に入らない! 魔導防具をお値打ち価格でご奉仕させて頂いております!」

 邪心を振り払い大きく声を張る。

 しかし。なかなか客は寄ってこない。

(こうなりゃ少し強引だが、個別に話かける方法に切り替えよう)

「そこの銀髪のお嬢さん! いかがですか! 装飾品なんかも取り揃えております」

 ラルフはちょうど店の前を通り過ぎた、真っ赤なマントを羽織った女性の背中に声をかける。彼女は優美な仕草でクルっと踵を返した。

「あっ……!」

 腰辺りまであるホンモノの銀を延ばしたような美しい髪、赤みのかかった神秘的な瞳、華やかにそれを飾り立てる長い睫毛。大層美しい顔の造作をしていることは間違いないのだが。

(男性じゃん!)

 しかしよく見れば顔はともかく体つきが男そのもの。背もラルフより高く足が長い。骨ばった手の甲には血管がはっきりと浮き出ている。マントの下に履いているズボンも男性モノだ。それになにより喉仏があるということが動かぬ証拠であるといえるだろう。

「も、申し訳ございません……! 髪が長かったので女性かと……」

「いいえ。構いませんよ。よく言われますから」

 と微笑んで見せた。その笑顔がまた中性的なのだが、声のトーンは低く落ち着いて男性的。なにか妙な違和感と変な色気があり、ラルフはムズムズとした感覚を覚えた。

「防具を売ってらっしゃるのですか?」

「あ、ハイ」

 どこかの貴族のお忍び旅行であろうか? だとしたら防具など無用の長物であるはずだが。

「防具には非常に興味があります。ただし着るわけではなくてコレクションとしてですがね」

「是非ご覧になってください」

 ラルフとしてはどんな用途であれ、大切にしてくれて、料金を頂ければ文句はない。

 男は「普通の服もあるのですね」と木製のハンガーにかかった服を手にとった。

「ああ。そちらは『普通の』服ではなくて魔力を付与した特製の布防具になっております。いわゆる『エンチャンティド』ですね。そこらへんの鉄の鎧なんかよりも防御力は高いですよ!」

 男は興味深そうにうんうんと頷きながら説明を聞いている。

「ただ基本的に体格や筋力的に鎧を身に着けるのが難しい女性を対象としているので、デザインやサイズが女性向けなんですよね」

「そうなのです? これなど男性でも問題ないデザインに見えますが」

 彼が手に取ったのは『清流のチュニック』。マリンブルーカラーのワンピース型のチュニックだ。確かに色合いとしては男性が着ていても違和感はないだろう。裾がスカート状になっているが、当時としては男性が下にタイツを履いた上でこのタイプの衣服を身に着けるのは珍しいことではない。

「確かにおっしゃる通りですが、ちょっと丈が短いかもしれませんね」

 男はアゴに手を当ててうーんと考え込む。

「試着なんかさせて頂くわけには」

「ああ。もちろん大丈夫ですよ。マントお預かり致します」

 ハンガーにマントをかけ、全身鏡を用意しているうちに男はチュニックの着用を完了していた。

「おお!」

 ラルフは思わず感嘆の声を上げる。

「お客様! はっきり言ってお似合いですよ!」

 爽やかな色合いが彼の中世的な魅力を存分に引き出しており、作った本人をして『世界一似合うのでは?』を思わしめるほどであった。

「しかし」

 男は全身鏡を見つめながら呟く。

「下のズボンといまひとつ合ってませんね」

「あー確かに。色も青と赤ですし」

「ちょっと脱いでみてもよろしいですか?」

「え、ええ」

 ラルフが許可すると、男はおもむろにベルトを外し、靴を脱ぎ、衣擦れの音を立てながら両足を露わにしていく。

(うわあ……なんだろうなこの艶かしさ。男とも女とも違うカンジ……)

「おお! これは素晴らしい!」

 ズボンを脱ぎ終えた男が興奮した声で言った。

 ラルフも思わず目を見張る。

「お似合いとしか申し上げようが御座いません。丈も短すぎることはないですね。ヒザ上丈は今流行ですし」

 ただ。生足が出ていることで彼の中世的な雰囲気がさらに強調されており、そこはかとなくいやらしい。――とラルフは思ったがわざわざ購買意欲をそぐ必要もないと考え口には出さなかった。

(まあ下にタイツを履けばそれほどいやらしくはならないだろうし。問題あるまい)

「不要とは思いますが一応説明しておきますと、こいつは上からなにかを羽織ったりしてしまうと魔力が発揮されなくなって、普通の服と同程度の防御力になってしまうので注意してくださいね」

「はい。承知致しました。それではこちら頂きたいのですが」

「お買い上げありがとうございます!」

(よかった! これでマリシアさんの防具の材料が買える……!)

 ラルフはほっと胸を撫で下ろす。

「いまちょっと持ち合わせがありません。代金の方準備致しますので少々お待ちいただいてもよろしいですか?」

「わかりました。では取り置きしておきますね。どれくらいかかりますか? あの……差し出がましいのですが、できれば今日中だとありがたいと……」

「いえいえ。時間は取らせません」

 そう言うと男は首にかけたペンダントを取り外した。

「それは……クリスタルですか? 大変美しいですね」

 ギザギザとした台座から六角柱状のトゲがびっしりと生えた、見事なカットのクリスタルであった。

「黒いクリスタルとは珍しい」

 色は吸い込まれそうなくらいに深い漆黒。美しいと同時に禍々しくもある。

「それと物々交換ということですか? そんな高価そうなものと交換するわけには……」

「いえまさか。ちゃんと金貨でご用意しますよ」

 などと微笑むと男はクリスタルのトゲばった部分に親指を強く擦り付けた。

 彼の真っ白な指からみるみるうちに赤い鮮血がほとばしる。

「お、お客様!?」

 一瞬の後。男の掌は虹色のまばゆい光を放った。ラルフは思わず目を閉じる。

「うううっ!」

 目をゴシゴシと擦りながら開くと、男がお椀の形に構えた両手のひらがあふれんばかりの金貨で満たされていた。

「こ、これは! 亜空召喚魔法!?」

 ラルフは額の冷や汗を拭いながら叫んだ。

「その通りです」

「もしやこのクリスタルは……『邪宝メタスタティス』では!?」

 ラルフの言葉に男は驚きの表情を浮かべた。

「おお! さすが魔法使いの防具屋さんだ。よくご存じで」

「実物を見るのは初めてですが、師匠に聞いたことがあります。空間に『ひずみ』を産んで、物体を召喚したり逆に送還することができる宝具があると。こんなものを使いこなすとは、あなたは一体……」

「ただのコレクターですよ」

 男の爽やかな笑顔になぜか背筋が寒くなる。

「おいくらですか?」

「あっそのえーっと――」

 ラルフは金貨五枚を受け取った。

「大変よい買い物をさせて頂きました。それでは失礼致します」

「あ、えーとその……」

 ラルフは男に少々不気味なものを感じながらも、一応営業努力をすることにした。

「普段はこの近くのダイワクビレッジでお店を開いております。そちらも是非ごひいきに」

 と『ラルフ魔防具工場』と書かれた看板を指さした。

「是非伺わせて下さいラルフさん。私はラヴァと申します。以後お見知りおきを」

 そう言って握手の手を差し出してくる。握り返したその手は妙に暖かかった。

「では失礼いたします。またお会いしましょう」

 ラルフはじっとりと汗に濡れた手を服で拭きながら、

(このド田舎に住んでて二日連続で新しい知り合いができるなんて。珍しいこともあるもんだ)

 などと考えた。

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