5 魔女は悪魔を抱きつつ。

 んー、にゃ、ふうんんん。

「一応、ごめんね」

 言いながら、ノイジはカーテンで仕切られた一角に入り、服を脱ぐ。

 それを竹で編まれた籠に入れ、備え付けられた棚に上げた。

 その声は若干弾んでいた。

 汗を流せることがわかったからだった。 


 その夜、ノイジとクリエの二人は星繋の塔管理組合ギルドの宿泊室に泊まる事にした。

 街の地理に明るくないノイジは、トラブルの火種を抱えた状態で外に出歩く気にならなかったのだ。

 それに、宿泊料金が安いことも理由の一つ。

 最低限のクオリティだけど、とはファの言葉。

 確かに、飾り気の無い木製のベッドと休憩室にあったものと同じ机が一つずつあるだけで、お世辞にも見栄えの良いものとは言えない。

 けれど、シーツもマットも清潔でしかも、石鹸の香りが微かにして。

 市井のボロ宿、安宿とは比べるまでもなく上等だとノイジは思う。

――それ以前に当たり前のように潤沢な湯水が使える なるものがある時点で破格なのだけれど。

 旧文明の恩恵で各都市に大抵入浴施設はあるし、公衆衛生の観点から比較的安価に開放されているものの、庶民にとっては風呂好きでも3日に一度が限度な、ちょっとした贅沢で。

 ちょっとした高級宿並の設備よね。

 蛇口を回し、上の固定具から、温かな湯の雨が落ちてくるのを浴びながら、半ば呆れながらノイジは思う。

 ――とはいえ、高給取りかつ、師匠の影響で風呂好きのノイジからすると、浴槽が無いのがマイナス評価ではあったが、ねだるだけ野暮と言うものだろう。

 鬱屈な旅路でかいた汗を流せるのはともかくありがたい。

「何がですか? 説明を求めます。理解不能です」 

 簡単な防水のカーテンで仕切られただけの浴室の外から、おそらくベッドに寝転がっているだろう、クリエの声が水音に紛れて聞こえた。

 あまりに汚れていたので、先に体を洗わせたのだ。

「ああ、ごめん。トッシ、だっけ? 貴方と彼の間に勝手に割って入ってあんな啖呵きってしまったこと」

 言いながらノイジは樹脂の容器に入った洗髪剤を手に取る。

 香油が混ざっているのか、柑橘類に似た良い匂いがした。

 自然に笑みが浮かぶ。

 先に洗わせたクリエの髪がいい匂いをしたから、自分の を出さず試して見たのだが、良い塩梅だ。 

 髪につけ、軽く染み込ませようと揉むと驚く程細やかに泡立った。

「問題ないです、助かりました。感謝感激、雨あられ? という奴です」 

「そ、なら良かったわ――あ、しまった」

「? 何か」

「体洗うスポンジ、外に置きっぱなしだ――」

 言いながら、シャワーを一旦止め、一回体をタオルで としたノイジは固まった。

「これです?」

 カーテンを開けたクリエが外に置いてあったらしい目的のスポンジを差し出してききて。

 ――ノイジの裸を、 の体を見られた。

 その右肩に刻まれた刻印を。

 とっさに手で隠そうにも遅きに失していて。

 血の気が引いたように、体が冷たい。

「? どうしたんです」

 不思議そうに首を傾げるクリエ。

 その格好は、ノイジの手荷物にあった大きめの水玉のパジャマ。

 その昔、大きくなるからと師匠から押し付けられた一品だった。

「……なんでも」

 気づかれてない?

 努めて、平静を装おうとしたノイジは、けれどクリエは言葉に虚をつかれる。

「その の文様? タトゥー? 綺麗ですね」

「綺麗?」

 思わず、聞き返してしまう。

「ええ、桃色で、とっても鮮やか?」

 その言葉の意味するところは――クリエは、ノイジに刻まれた を知らないという事で。

「……そ。ありがと」

 そう返しながら、ノイジは心の底から安堵するのだった。


 折角の湯浴みの時間だったが、楽しむ気分では無くなったノイジはさっさと切り上げてシャワー室から出ることにした。

 事前に用意していた服に着替えて備え付けのタオルで髪を拭く。

 師匠の予想を裏切りさほど成長しなかったノイジは一回り程小さいクリエと同じ柄のパジャマ。

「……今更だけど、あんた、けったいな喋り方をするのね。壁面大陸フォールゲートの人間じゃないの?」

 ベッドに寝転ぶクリエの横に座り、ノイジは気になっていた質問をぶつける。

 壁面大陸フォールゲートの外はとっくの昔に滅んで瘴気にまみれた汚れた大地が残るだけ――その定説がひっくり返されて数年。

 ごく一部ではあるけれど、北部のゲートから異国の人間が流入するようになっていた。

 クリエの拙い言葉と、珍しい褐色の肌にノイジはそうあたりを付けていた。

――あの刻印の意味も知らないし。

「クリエの故郷は、生まれ――壁面大陸フォールゲートのはずです? 多分、そう。言葉は、ばあやに習いました。それ以外知らないので。だから、クリエも多少、個性的ユニークなのかもしれません」

 けれど、クリエは首を横に振りそう答える。

「そう……え、ちょっと待って、他に誰も言葉を くれなかったの!?」

 ノイジは驚いた。

 そんな筈はない。

 だって、それは生まれてから、そのばあやと言う人間以外から と言うことになる筈で。

 そんな状況、想像出来なかった。

 ――否、似た状況をノイジは知っていたし していたけれど、でもそれだって全く話す機会が無かった訳では無かったのだから。

「クリエは、ずっと屋敷に居ましたから。ばあや以外の人間、よく知りません。皆黙ったままでしたから。だから、退屈、暇でした。1年前――ばあやが死んだので出てきました」

「……それ、軟禁されてて、脱走してきたってこと?」

 その言葉にクリエは頷く。

「おそらく」

「……ちょっとまって、じゃあ魔術の勉強はどうしたのよ!? 三ツ星半でしょ」

 それは、一人前と言うには過大な証で。

 いくら固有魔法ユニークスペル持ちでも、昇任試験は甘く無い、むしろ無慈悲で容赦が無く、平等に公平に過酷で。

 その筈なのに。

「最初に着いた街で協会の審査の人? に星を貰うために――勉強しました。クリエは、生きないと、食べないと駄目ですから。クリエには固有魔法これしかないですから」

 淡々と答えるクリエ。

「文字はどうしたの、どうしたって学習には必須でしょうよ」

 固有魔法ユニークスペルとは言えども最低限の知識は必要だったはずで。

「勉強しました、勿論」

 ノイジは事も無げに口にするクリエを見ながら想像する。

 文字もわからず、頼れる者もおらず、それでも、生きるために学ぶ。

「……凄いのね貴方」

 その意味を噛み締めて、理解して――素直にノイジは称賛の言葉を口にする。

「……嘘って言わないのですね、ノイジは」

 クリエが不思議そうにそう問うので、ノイジは思わず吹き出した。

 きっと同じように説明した時に 話だと言われたのだろうとノイジは簡単に想像できた。

 本来魔術師に認定される、一人前になるのはどうしたって10年前後はかかるのが普通だ。

 無知なら言わんがや。

「それは、だって本当の事なんでしょ」

 クリエは頷く。

「私だって、 があるし。それしか無いのよね、それ以外の道が無かった。そういうことでしょ」

 ノイジも 生きる道が無かった、だから努力した。

 クリエも同類だった、それだけの事。

 枕元に置かれたクリエの徽章を見ながら、ノイジは認める。

 自分は、この子の事を気に入っている、だから力を貸すのだと決める。

「そろそろ寝ましょうか」

 言いながら、ノイジは枕元のスイッチを押して灯りを消す。

 照明は当然の用に電球式のようだった。

 ノイジの知っているそれよりも熱くなく、優しい光だったけれど。

 

 気づけばノイジはクリエに抱きつかれていた。

 ベッドは一つなので、二人で寝るのは仕方ない事だとノイジは割り切っていたのだけれど、これは予想外だった。

「……何よ、いきなり」

「ノイジ、ぬくい、です。ぬくぬく、極楽。そしてベッド寒いです、から」

 どうやら、クリエは暖を求めての行為だったらしい。

 眠気のためか、どこまでも柔らかい口調。

 リラックスしてるためか、クリエの身体は弛緩しきっていて、ノイジを抱きしめる腕も柔らかい。

 ノイジは気恥ずかしくなりながらも、クリエの好きなようにさせていた。

「しょうが無いわね」

「? 素直ですね。シーニャは無理、恥ずかしい、って嫌がってましたけど」

「そう? 別になんてことないでしょ。でも、そうね……ちょっと嬉しいかも」

 言いながら、不思議そうに首を傾げるクリエにノイジは向き直り微笑んでみせる。

「嬉しいのですか?」

「な、何でも無いわ。ほら、明日は早いんだからさっさと寝る」 

 その言葉を受けたためか、単に疲れていたのか、クリエが寝息を立て始めたのはそれから直後で。

 それを したノイジは安心して、その身をクリエに預けたのだった。

 


 

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