1 花浅葱の魔女汽車に乗る

 ノイジ ソリトゥードは汽車に揺られている。

 彼女は、頭をすっぽり覆う、円筒形の帽子の位置が気に入らないのか、時々かぶり直しながら、窓の外を眺めていた。

 その身にまとうのは帽子と同色の花浅葱色の鮮やかなドレスで、白練のフリルがこれでもか、と袖やスカートの裾に過多気味に付けられており、さらに、小柄な背丈より少し大きいのか、スカートが足元ぎりぎり、それが一層幼さを強調していた。

 鮮やかな山吹色の髪は、肩で綺麗に切りそろえられており、一見すると、上級階級ハウルの令嬢のような風貌。

 少し違和感があるのは、見た目より実用性を重視した膝丈まである革のロングブーツ位か。

 その実ノイジは根無し草の魔術師で、分類としては底辺の労働者ノウンに分類されるのだけれど。

 荷物は使い古された、独特の光沢がでている革製のそれなりに大きな鞄一つのみ。


 車内は年季の入ったオンボロ列車のせいか、非常に五月蝿い。

 とんてんかんと、まるで金属の板を金槌で何度も叩いているようで。

 そのせいか、彼女以外に乗客の姿は無い。

 防音対策がそれなりにされている2等車と値段が少ししか違わない事も大きいだろう。

「……けちらず、2等車に乗れば良かったかも」

 ノイジは、誰も居ないのを良いことに、窓の縁に顎をのっけて、外の景色を眺めながらそう呟いた。

 風に揺られて、目にかかる髪の束を、うっとおしげに彼女は掻き上げる。

 睨みつけるような鋭い目つきは、環境から来る不満からでは無く、生まれつきのもの。

 その証拠に、その鋭い視線は退屈そうな欠伸一つでかき消える。

 実際彼女は暇だった。

 延々と続く平野と点在する田園、山裾に見える森林群。

 窓枠の外から見える景色は、ちょうど流れてくる黒煙でお世辞にも良いとは言えないけれど、それでも、雑多な北部の都市群をよりは随分ましで。

 けれどそれも壁面大陸ウォールゲート最大の川であるシェンフィルドを横切るころには飽きてきて。

 早く到着しないかな。

 鞄を足掛け代わりに使って行儀悪く足を伸ばしながら、ノイジはそんな事を考える。

 長時間の汽車での旅路は予想より苦痛だった。

 いっそ、奮発して、一等車にしても良かったかもしれない。


 そもそも、この汽車は、3世代は前の石炭式。

 その中でも下から数えた方が早い旧式オンボロなのだから。

 車両価格のおかげで今尚壁面大陸ウォールゲートでは比較的ポピュラーな長距離移動手段であるそれは、料金の面でも貧乏人の味方であった。

 勿論、根無し草のノイジにとっても。

 ――とは言え、過ぎたことであるし、お陰で小さな声を多少だしてもばれることはないから返って良かったかもしれないとノイジは開き直ることにした。

「んっーーくっ、んにゃ。……ふう」

 今日も ノイジの中に居る は絶好調のようで、勝手に声をだしていたから。

 相変わらずの意味もない音の羅列。

「にゅーー、にゃ、くぅーーっと」

 声に合わせてノイジは腕を伸ばして欠伸をした。

 6年前であったなら、母か父に咎められるただろう、その行為をしてもノイジは平気だった。

 瞬きを無駄に多くしても、右の指でとんとんと無造作に叩き続けてももう大丈夫なのだ。

 だって、もう会う事がないのだもの。

 親の縁は切れて。

 すでに家族でさえ無くなって。

 居なくなってきっと向うはせいせいしているはずで。

――閑話休題。

 暇だとどうも暗い思考につい、なってしまう。 

 ノイジは、陥りかけた思考を追い出して、いつもの癖で肩に触れる。

 ローブに付いているそれは、淡い銀色の徽章。

 シンプルな星が3つと半分。

 それは彼女が、初めて手に入れた、居場所の証だった。

 その少し冷たい感触で少しだけ落ち着いたノイジは、再び窓に視線を向ける。

 そして窓の外、黒煙の間から僅かに覗き始めた


 それは一つの壁だった。

 空まで延々と続く果てがない濃霧で出来た壁。

 遥か彼方だと言うのに、 大きさのそれは、ノイジが目指す目的地を見事に覆い隠していた。

 悪魔憑き達が心から望む物があるかもしれない場所を。


  

 うーーにゃあ……ふう。


 汽車がノイジの乗り込んだ場所駅から、街についたのは

 それから大分過ぎてから、日が一度沈んだ後だった。

 交易都市ヨシミ。

 大陸のほぼ中央に位置し、各列車の中継地として栄える、壁上大陸ウォールゲートでも有数の大都市と言われるだけあって、駅のプラットフォームは他都市の物と比べても、鑑賞用用途の建造物に見間違う程豪奢だった。

 赤煉瓦製の壁は、単純に積み重ねられているだけでは無く、幾つも幾何学模様の彫りがしてあったし、通路に敷き詰められた石段は白と黒の石を交互に組み合わえたモノクロ模様、天井の一部は貴重な板硝子がはめ込まれ、更には、最近壁外から持ち込まれたと言う電気式の照明が設置されていた。

 そのせいで、早朝だと言うのに驚くほど明るい。

「……きつーーかったっ」

 ノイジは座りすぎて固くなった全身を解しながら、ふらふらと汽車を降りる。

 反対に、魔道具商売道具である、高性能のドレスは絶好調のようで、ノイジが足を駅の通路につける頃には、先程までついていた皺を補正し、クリノリン無しに、ふわりとスカートを膨らませていた。

 おかげで、後半、誰も居ないのを良いことに端なく寝転がって過ごしていたことでついた皺の跡は綺麗サッパリ消えていた。


 交易都市ヨシミの玄関口だけあって、行き交う人も実に多種多様だった。

 慌ただしく荷物を背負って歩く商人風の男達、弁当を売り歩く妙齢の女性、観光旅行に来たらしい上等な衣服を纏った老夫婦、降り立つ乗客に向けて笑顔で花を売る少女や、菓子の類を売る少女。

 ノイジはそんな雑多な人混みに揉まれて、つまづきそうになって……なんだか、無駄に疲れながら駅の構内を歩く。

 ああ、なんというかこのままベッドに沈んでいたい。

 思わずノイジは、そう思ってしまう。

 長時間汽車に上下に揺られ続けていたため、全身が痛いのも余計に辛さを強調さえていた。

 結局無事に駅から出ることが出来たのはそれから約10分後。

 着ているドレスが、市販品であったなら、くたくたの皺苦茶で、とっくに台無しになっていたことだろう。

「ここからはまだあるのかぁ」

 疲労感にうんざりしながら、遥か遠方にあるだろう目的地を見つめ、半分泣きそうになりながらノイジは思わず呟く。

 駅を出て見えるのは、五目状に続くレンガ造りの立派な建物群。

 その光景を目にして、ノイジはヨシミが過去 と言われてた事をぼんやり思い出す。

 街のシンボルである機械式の時計台を頂点に取り囲むように赤レンガ造りの家々が建てられているのは確かに壮観と言えなくもない。

 少なくとも昔ながらの良さを残した町並みはノイジは嫌いでは無かった。

 それこそ、此処数年競うように増え続ける と豪語する急造粗悪な都市群よりは余程。

 ――ただ、これから行く目的地の と比べるまでもないけど。

 そう、ノイジは心の中で呟く。

 

 ん、っふう。

 汽車から降りて乗り合い馬車に乗り、街の外郭を抜け、背の低い植物しか無い草原を歩くことさらに2時間過ぎた頃。

 遠方から視認できた濃霧の壁、ちょうどその境目にノイジは立っていた。

 知識として知っていても、途方もない規模に思わず乾いた笑いが出てしまう。

 壁面大陸ウォールゲートの呼び名の元となっている大陸を囲む巨大な大陸壁ゲートウォールといい勝負かもしれない。

 めちゃくちゃだ、とノイジは思う。

 風が吹いているのに霧は

 つるりと磨かれた鏡面のような、霧の壁にノイジは手を入れる。

 ――僅かに外気より冷たい、ひんやりとした感触が手のひらに伝わる。

 その霧は、神凪の霧と呼ばれていた。

 方向感覚を狂わし、必ず入った場所に しまう、摩訶不思議の霧。

  原理も、目的も今の人類には失われた過去の残り香、過去の遺産の一つ。

  そのように言われている。

 

「――そろそろ、行こうかしら」

 言いながらノイジはカバンの取っ手の付け根の部分を軽く叩く。

「高かったんだから、ちゃんと動きなさいよ」

 一見すると革鞄に見えなかったそれは、旧世代の遺物、正確には霧の中で遮られない一定の周波数の電波を捉える受信機ナビゲーション

 正確には、後に手に入れた人間が偽装のため、カバンの部品に組み入れたもの。

 受信機ナビゲーションは、本来の役割の通り、電波の発信源――遺跡に設置されたビーコンに向かって翡翠色の光を一筋飛ばし始める。

 ノイジは、それを辿って歩いていく。

 霧の中の視界は、数センチ先も見えないほど濃く、数歩も歩くとノイジは方向感覚が曖昧になってしまった。

 それから、鞄の光を頼りに歩き続けること30分。

 ようやく、霧が薄くなって、目的地が姿を表した。

 

 ノイジは、その巨大さに圧倒されて、思わず天を仰ぎ見るように を見上げる。

 それは、一つの建造物と呼ぶには巨大過ぎる、天をへと続くかのような長大な白練の塔。


 星繋の塔。

 その巨大な構造物の機能と目的は既に悠久の時間の中で消え去って定かではなく。

 しかし、それは なお、可動していた。

 現存する過去の旧文明の遺産の一つ。

 失われて久しい技術と資源の宝物庫。

 その価値は図りしれず、記録に残るだけでも、この千年、人類はその塔に挑戦を続けていた。

 今、この地に足を踏み入れんとするノイジ ソリトゥードもその幾数千の挑戦者の一人であった。

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